第59話

 瀬谷が厚木理久あつぎりくと一緒に水戸の菜園へ行った元カノに会うことになったため、神楽はとうとう具同に向き合わなくてはならなかった。


 雨宮林穂は、津村さくらを知っているのか。

 それを、具同は知っていたのか。


 胃のあたりが重かった。


 もしや、具同は、何もかも承知で神楽を操っていたのでは。


 なんのために?


 津村さくらに復讐するため?


 翌日、出勤前にルリタテハのタツヤにラインをし、具同の容態を尋ねた。

 一進一退だという。

 ただし、そう聞かされたのは具同の口からで、医師に直接尋ねたわけではないという。

――身内ではありませんから、詳しい病状を僕が知ることはできません。

 タツヤはそう記してきた。


 もし、具同にあざむかれていたとしても、自分が姪であることに変わりはない。


 まず、医師に会って、具同の病状を訊こう。

 津村さくらについては、そのあとで問い質す。


 気持が決まったものの、週末まで病院には行けなかった。横浜市中区の変死体についての捜査で多忙を極めたからだ。


 捜査本部が設置され捜査にあたる場合、休みはない。

 特別に許可をもらい、土曜日の午後だけ抜けさせてもらった。

「その分、明日頑張ってくれよ」

 佐々は嫌味ではなくそう言って送り出してくれた。


 病院には、一人で向かった。

 医師との面会は、無理を言って、午後四時に取り付けた。

 ナースセンターに面会の旨を知らせると、担当医はすぐにやって来た。


 具同が信頼を寄せている医師だというから、初老のベテランだろうと想像していたが、現れたのは、神楽と年があまり違わないだろうと思われる青年医師だった。


「あなたが神楽さんですか」

 設けてもらったブースの椅子に座ると、医師はふくよかな丸顔をほころばせた。


「優秀な姪がいると、具同さんはいつも自慢していますよ」

「そんな」

 具同が自分のことを話していることに驚かされた。

 子どもの頃、道場に送ってくれたときの、若い具同の顔が浮かび切なくなる。


「あの――それで、今はどういう状態なんでしょうか」

 薄々、癌が見つかったのではと思っている。だが、口に出したくない。


「具同さんにはお伝えしていませんが、ご家族には心の準備をお願いしたい」

 想像通りでも、実際、耳にすると衝撃は避けられなかった。


「――あとどれくらい」

「半年持つかどうかというところですが、わかりません。完治することはないでしょうが、様々なケースがあり、半年と言われても二年持ちこたえる方もいらっしゃいます」


 その後、詳しい病状を説明されたが、神楽の耳を素通りしていった。

 

 伯父さんがいなくなる。

 その事実に打ちのめされてしまった。


 どうにか気持ちを立て直し、具同の病室に向かうと、中から楽しげな笑い声が聞こえてきた。

「新入りですけど頑張ります!」

という元気な声が響く。


「あらあ、神楽ちゃん!」

 神楽はぎこちない笑顔になってしまった。

「こちら、新入り看護師のイケメンくん」

 若い男性看護師は、神楽に笑顔を向け、それからさりげなく病室を出て行こうとする。

「あら、もう行っちゃうの?」

 そう言いながら看護師の後ろ姿を目で追う具同に、余命半年という暗さはなかった。


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