第52話

 目の前に続く居酒屋やバー。

 そう高級そうな店はない。

 韓国料理の店もある。いい匂いが路地へ流れてくる。


「ね、どこへ入る?」


 神楽は前を歩く瀬谷に声をかけた。もう、五分はこんなふうに歩いている。いくつも入れそうな店があるのに、瀬谷は一向に立ち止らない。


「ここにしようよ」

 しびれを切らして、神楽は叫んだ。都内のどこでも見かける居酒屋チェーンだが、別に特別な店に入る必要はないのだ。今夜のところは、とりあえずお腹を満たして、今後の方針を話し合うべき。


 瀬谷が振り返った。

「もうちょっと歩こうぜ」

 そう言われては、従うしかない。いくら同期で古くからの知り合いだといっても、そう、友達とはいえ、職務でもないこんな捜査に突き合わせているのだ。

 

 瀬谷は黙ったまま前を歩き、やがてアルコールを出す店の数は少なくなった。

 人通りもまばらになり、怪しげな光だけを放つビルが増える。ぎょっとして見上げると、シックだがそれとわかるホテルの名前が記されている。


「ちょっと、どこに入るつもり?」

 慌てた神楽に、瀬谷がカラカラと笑った。

「心配すんな。もうちょっとだから」

「もうちょっとって、それどういう――」

 先の三差路を曲がった瀬谷に、神楽は小走りでついていく。

 

 一本、道を隔てると、がらりと風景が変わった。控えめな外装のマンションや、新しいが間取りの狭そうなアパートが並んでいる。


 瀬谷は、コーポ・サンテラスと書かれた三階建てのアパートの前で立ち止った。

「二階」

 振り向きもせず言い放って、敷地へ入っていく。


 隣の建物とすれすれの塀にそって一階の外廊下を進み、階段を上った。瀬谷の足取りに迷いはなく、どこか楽し気でもある。

「ここ」

 二〇二とあるドアの前で立ち止り、初めて神楽を振り返った。


「――ここって」

 そう言われて、なんと応えればいいのか。 

 おじゃましますとでも言うのか。


 瀬谷はドアを開けて抑え、片方の腕を伸ばして電気をつけた。フローリングの短い廊下が見える。

「散らかってるけどさ」

「う、うん」

 神楽は靴をぐずぐずと脱いだ。


 いったい、瀬谷はどういうつもりなんだろう。

 

 その問いが頭の中に渦巻いている。古い付き合いでも、一人暮らしのお互いの部屋へ行ったことはなかった。あくまで、親しいが距離を置いた友達。そう思ってきた。男女だからかもしれない。だが、正直なところ、津村さくらについての協力を持ち掛けるまで、男女という意識もなかった。


 部屋は何もないワンルームだった。いや、ベッドはあり、短い廊下の横にあるコンロが一つだけのキッチンに、冷蔵庫がある。

「ま、テキトーに座ってよ」

と言われても、座る場所なんかベッドしかないじゃない。

 

 なす術もなく、神楽は立ったまま部屋の中を見回した。観葉植物一つない、殺風景な部屋だ。ベッドの枕脇に、パソコンが置かれている。テレビはない。


「今、食いもん出すから」

「う、うん」

 ここで食べるのか?

 瀬谷が小さなキッチンで、何やら音を立て始めた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る