第38話
ゲージの中で元気よく動く子犬を眺めていると、あっという間に三十分が過ぎた。
その間、瀬田は最近の自分の仕事についてしゃべり続けた。
難しい事件を扱っているようだ。
内容については詳しく語らないが、待ち合せで以前と変わったように感じたのは、取り組んでいる仕事のせいかもしれない。
春奈のほうは、何も話さなかった。具同の病気について話そうと思ったが、なんとなくきっかけが掴めなかった。
話がひと段落付いたとき、受付の女の子に呼ばれた。
「先生が2番のお部屋でお待ちしています」
案内してもらい、診察室の2番だという部屋に入っていくと、グリーンのポロシャツにチノパン姿の初老の男性が、部屋の壁際にある事務机の前にいた。
「お待たせしました」
よく通る太い声だ。身長は高くないが、がっしりとした体型。眼鏡は流行りのクラシカルな形。腕には高級そうな時計をしている。動物病院は儲かるのだろう。
「お時間を割いていただきありがとうございます」
神楽が頭を下げると、助手らしき女性が、スチール椅子を持ってきてくれた。
診察台の横に、瀬田と並んで座る。
「で、尾美さんのことでしたね?」
まっすぐこちらに向いた鹿野院長は、誠実そうな目をしていた。
「先生にご連絡を差し上げたのは、事件当時の尾美の交友関係について詳しく知りたかったからなんです」
神楽が切り出すと、鹿野院長は深くうなずいた。
「尾美がコンビニ強盗未遂時間を起こしたのは、新宿でした。でも、尾美がそれまで問題を起こしていたのは、尾美の生活圏の範囲なんです。それなのに新宿で事件を起こした。尾美がなぜ、新宿に行ったのか思い当ることはありませんか」
「それについては」
そう言ってから、鹿野院長は眼鏡の位置を直した。
「わたしも不思議に思っていたんですよ。ただ、あの当時、尾美に仕事を回す差配師のような男がいましてね」
「それは、尾美の古い付き合いですか」
「いや、違うと思います。事件の一年ほど前から、尾美に接近してきた男のようで」
「その男が尾美に、新宿の犯行をそそのかしたということはあるでしょうか」
「いや、そこまではわかりませんが。ただ」
鹿野院長は、わずかに首を傾げた。
「尾美が猫を飼っていたのはご存知ですよね?」
神楽はうなずく。
「わたしのところでかかった治療代は、いつか返せるときが来たら返してくれればいいと言っていたんですが、尾美のやつ、ほかにも動物を抱え込んでしまったようで」
「また捨て猫ですか」
「くわしくは知りません。猫の診察を終えたあと、尾美がほかにも病気の家族がいると」
「それが別のペットだと?」
「ええ。尾美は人間付き合いができないタイプでしたからね。尾美の言う家族というのは動物としか考えられません。で、その家族のための治療費を人に借りたと」
「誰に借りたんでしょう」
う~んと首をひねってから、鹿野院長は言った。
「おそらく差配師の男だと思います。尾美からほかの交友関係を聞いた覚えがありませんから」
捨て猫を一匹拾ってから、尾美はまた別の動物の世話を始めた。その治療費のために、金を欲しがっていたということか。
「その差配師の名前を教えてください」
ふいに、背後から、瀬田が言った。
「いや、わたしもよくは知らない。たしか、ちょっと変わった呼び名で」
「苗字じゃないということですか」
瀬田が続けて訊く。
「ええ。たしか、
ガンという呼び名の若い差配師。その男が尾美に新宿でのコンビニ強盗をそそのかしたのかもしれない。
「尾美は」
声を上げた瀬田を神楽は制して、後を引き継いだ。対抗しているわけではないが、瀬田にばかり質問をさせたくない。
「尾美は、その差配師とどこで知り合ったのか言っていませんでしたか」
「さあ、それはわかりません」
神楽と瀬田のやり取りを、鹿野院長は戸惑った目で見た。
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