第21話

 一時間と五分を過ぎて、神楽は水戸のレイプ未遂犯、羽根木の、その同僚、時田に電話をかけた。

 受付の女性が教えてくれたとおり、時田は休憩から戻っていた。

 名前を名乗り、小菅の古い友人だと偽って、神楽は話を切り出した。


「あの頃の羽根木さんのことを聞きたい?」

 時田ははきはきとしゃべるタイプのようだ。それに、声音が明るい。ジムでは人気のトレーナーなのではないだろうか。

「あんなことがあったのを、いまでも信じられないんですよ。実は、羽根木さんの親戚の方と知り合いで、その方があの事件でひどく落ち込んでしまって」

 適当な理由を作り上げる。

「もうずいぶん昔の話ですよね」

「そうなんですよ。でも、だからこそ、お話が聞けるんじゃないかと思いまして」

 少し間があった。話そうか迷っているようだ。


「ちょっとのお時間でいいんです。お話をうかがえませんか」

「仕事が終わってからなら。ただし、あんまりお話できることはありませんよ。特に親しくしていたわけではありませんから」

「ありがとうございます」

 時田の仕事が終わる十一時半に、神楽はふたたび時田と話す約束を取り付けた。電話番号を聞き出すわけにはいかないから、神楽の電話番号を伝えた。

 

 さて、十一時半までどうしようか。

 このままルリタテハにいると飲みすぎてしまいそうだ。それに、話をじっくり聞くには、ここは騒がしすぎる。店には数人の客が入って、まずまず今夜は繁盛している。

 タツヤ特製というロコモコを食べてから、神楽は店を出ることにした。だが、その前に、神楽はタツヤに訊いておきたいことがあった。

 カクテルを作るタツヤに声をかけた。

「ちょっと話があるんだけど」

 神楽の真剣な口調に、タツヤは神楽が何を話したいか察したようだ。別の客の相手を終えてから、神楽の横に腰掛けてくれた。


「具同さんのことですよね?」

 タツヤはエプロンを外しながら、言った。

「そう。入院が長すぎると思って。検査が続いてるようだけど」

「あんまりよくないみたいです」

「やっぱりね。別の病気が見つかったんでしょう?」

 タツヤは頷いた。

「はっきり病名は聞いてないです。だけど、重い病気が見つかったことだけは確かです。だって、僕にこの店を譲るって」

「そんな」

 具同は戻って来ないつもりなのか。

「もちろん、言われたときは断りました。でも、そんなことを言い出すってことは……」

 予想はしていたが、ショックだった。津村さくらを捕まえろと、神楽を叱った具同の顔が蘇る。

 あんなに元気だったのに。あの情熱に押されてここまで来たのに。

 

 もしかして。

 

 ふと神楽は顔を上げた。

 

 自分の病気を知っていた? それであんなに懸命になったのか?

 

 そうかもしれない。自分には時間がないと思い、それで神楽に託そうとしたのかもしれない。

 そう考えると納得できた。

 使命感に燃えて、水戸まで行き津村さくらの事件を調べようとした具同。何年も音信不通だった姪を、突然訪ねてきた具同。


「病院は移らなくていいの?」

 神楽はタツヤに顔を向けた。

「それなんですよ。移らなきゃちゃんとした治療が受けられないって、それははっきりしてるのに、どうしても嫌だって」

 タツヤはエプロンを丸める。

「信頼できる先生に出会ったからって言うんですけど、ほんとだかどうだか」

 自分の病状を直視したくないのかもしれない。


「わたしから話してみる」

 つい出てしまった言葉だが、このままにはできない。

「そうしてください。神楽さんの言うことなら聞くかも」

「どうだか」

「自分の思い通りにしかしない人ですもんね」

「ほんと」

 新しい客が入ってきた。タツヤが立ち上がると同時に、神楽も腰を上げた。


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