第20話

 流れる音楽が変わると、店の雰囲気が違って感じる。

 今夜、ルリタテハでは、タツヤの好みなのかJポップが流れていた。


「いらっしゃい」

 カウンターの向こうから、タツヤが迎えてくれた。髪の色が緑色になっている。

「びっくりした」

「派手すぎるかな」

「でも、似合ってる」

 神楽には流行の髪の色などわからないが、タツヤだからこそこんな奇抜な色に染められるんだと思う。


 そういえば、いつ美容院へ行ったっけ。

 ふと気になって、自分の前髪に手を添えながら、神楽はカウンターの椅子に座った。


「用意してありますよ」

 タツヤがテーブルの上にノートを置いてくれた。具同のノートだ。以前もらったノートよりも何度も頁がめくられたのか、使い古した感がある。

「何か飲みます?」

「はい、ビールを」

 運ばれてきたビールを口にすると、すきっ腹のせいか胃に染みたが、爽快感に包まれる。唇についた泡を指先で拭き、ノートを広げると、

「用があったら呼んでくださいね」

と、タツヤが離れていった。

 

 タツヤに礼を言ってから、ノートに集中した。

 神楽の予想通り、具同は、水戸のレイプ未遂犯、羽根木俊太について詳しく記していた。

 羽根木は水戸の中心部で生まれている。両親と三つ違いの兄の四人家族。小学校から高校までは水戸で過ごし、その後進学はせず、就職は東京でしている。運送会社の事務をしていたようだ。ただ、二年半で退職し、故郷の水戸へ戻ってきている。

 水戸へ戻ってからは、一年弱、就職が決まらなかったのか、アルバイトで居酒屋に勤め、それからレイプ未遂を起こした当時と同じジムのトレーナーになっている。トレーナーはすぐになれるものではないから、それまでの数年間で体を鍛え、資格を取る勉強を続けていたのだろう。


 ここまでの経歴は、しっかりした文字で記されていた。どうやって調べたのか、まるで探偵だ。丁寧に、通った学校、就職した会社、アルバイト先、すべての電話番号も記されている。

 あらためて具同の執念のようなものを感じた。津村さくらを野放しにはできない。その正義感だけで、ここまで調べ上げるとは。


 経歴のあとは、メモ書きが続いた。大体が走り書きで、事柄を記し、矢印で経歴の部分につなげている。事柄がその時期に起こったということだろう。事柄の下には情報源の名前が括弧でくくられている。

 たとえば、目立たない存在で、おとなしい性格(中学の同級生・鈴木)といった具合だ。

 

 ざっと見渡したところ、特に変わった事柄は見当たらなかった。ごく普通の少年時代を過ごしたと思われる。そんな少年時代を過ごした男が、なぜレイプ未遂事を起こし、挙句に反撃に遭い死なねばならなかったのか。

 事件の前後に、津村さくらとの接点があったのかなかったのか。そのところを詳しく調べる必要がある。

 具同のノートには、さくらとの接点については書かれていない。調べたけれどわからなかったのかもしれない。


 水戸に行かなきゃだめかな。

 神楽はスケジュール画面をスマホのアプリから出し、次の休みを確認した。日曜は休めるが、前後に面倒な仕事が入っている。

 となると、今週は無理か。

 そう思ったとき、ジムのトレーナー時代の箇所に、走り書きで、スマホを落とすと記されているのを見つけた。(ジムの同僚・時田)と書かれている。時田という同僚に聞いた話なのだろう。

 

 ジム時代について、この時田に話を聞くのがいいかもしれない。

 羽根木の勤めていたジムは、全国にチェーン展開している会社が経営している。神楽は腕時計の時間を見てから、具同が記してくれている電話番号に電話をかけた。

 ジムにはすぐつながり、はきはきした口調の女性が出た。時田という名の社員が在籍しているか訊くと、転勤で宇都宮勤務となっているという。

 宇都宮のスタジオの電話番号を聞き、電話を切った。


 宇都宮にかけてみる。

 今度もすんなり時田の所在はわかった。ただし、今は休憩中で一時間後にしか戻ってこないという。またかけ直しますと告げて、神楽は電話を終えた。

 スマホを置くと、タツヤがやって来た。カウンター越しに、笑顔を向けてくれる。


「そろそろなんか食べます?」

「そうね」

「具同さんみたいにおいしいものは作れませんけど」

 そう言ったタツヤは、はにかんだように笑った。

 もし、タツヤが女性に興味があり、年齢が近かったら、好きになってしまったかもしれない。だが、その事実は動かない。飲んでみたいけど飲めないカクテルみたいなものだ。

「なんでもいいです。あと一時間はいますから、ゆっくりでいいです」

「はい」

 電話の会話を、小耳に挟んでいたのかもしれない。タツヤは長居する理由は聞かず、ほかの客のところへ戻っていった。


 残りのビールを飲みながら、神楽は店の中を見回した。

 何も変わっていないのかもしれない。タツヤはオーナーの不在に、勝手に店のレイアウトを変えるようなことはしないだろう。

 それでも、何かが変わった気がした。まるで祭りのあとのような寂寥感がただよう。具同がいるときは、あふれ出す個性が店のあちこちに散らばっていたのかもしれない。


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