第19話
後日、神楽は津村さくらのアパートを訪ねた。予想できたことだったが、もぬけの殻だった。
逃げたのだ。
無駄とは思ったが、アパートを管理する不動産屋に津村さくらについて訊いてみたが空振りに終わった。
勇み足すぎだ。
だが、逃げたということは、津村さくらに後ろ暗いところがあるという証明にほかならない。
やはり、具同が言うように、被害者たちのつながりを見つけるべきだ。
神楽は新しいB5のノートを用意した。拍子に、津村さくらと書く。
一ページ目には、被害者たちの名前を連ねた。
水戸のレイプ未遂犯
新宿のコンビニ強盗未遂犯――尾美義昭。
伊豆のガイド――厚木莉久。
彼ら三人が死亡するまでに接触したことがあるか。三人に共通する事柄、たとえば同じ何かに所属していたとか、共通の知人がいるとか。
細くとも、彼ら三人には、津村さくらに狙われる共通項の糸があるはずだ。
いままでは、津村さくらにばかり囚われていた。被害者に目を向けるべきだ。
途方もない作業に思えた。一見してなんのつながりもない三人なのだ。
一人一人、もっと徹底的に調べるしかないわ。
神楽は腹を決めた。津村さくらをこのまま野放しにするわけにはいかない。もう、突然現れた叔父の具同から強制されたからではない。神楽自身がやらねばならないと心に誓う。
神楽はノートを閉じると、仕事に向かうために、朝の身支度を始めた。今日は、研修を受ける警察官のサポート役をすることになっている。通常の任務とは違い、定時に終われる。
警察官になってわかったことは、任務には、案外普通の勤め人と同じような仕事が多いことだ。小さな事件も含めれば、毎日事件がない日はないが、それ以上に机に向かっている時間が長い。
スマホで今日の天気を見ながら、神楽は歯を磨いた。
十七時半。
警察署を出ると、表はすがすがしく晴れていた。海からの風が心地いい。
神奈川県警本部が、ここみなとみらいにあることを感謝したくなる。
はじめに、水戸のレイプ未遂犯について調べをすすめようと思った。だが、詳しい話は何も知らない。
具同なら知っているだろう。何せ、わざわざ水戸まで行き、事件の目撃者に会って話を聞いているのだ。
だが、今、病院にいる具同に電話をかけて聞くことはできない。次に見舞いに行けるのは、早くとも二日後。
神楽は、ルリタテハで働くタツヤに電話をかけた。
「水戸のレイプ未遂犯についてですか」
タツヤは快く応対してくれたものの、何も知らないという。
「何か、具同さんがこの事件についてメモしてるものとかないかな」
すると、タツヤは、
「ああ、それならありますよ」
僥倖だ。
「津村さくらについて、オーナーは調べたことをノートに記してましたから。ただ――」
タツヤの言葉が途切れた。
そうか、病院に持って行ったのだろう。
諦めかけたとき、タツヤが続けた。
「勝手に見ていいんですかね」
「いい、いいの。あたしに見せるって言ってたんだから」
出まかせだったが、具同に承諾を取るまで待っていられなかった。
「そうですね、神楽さん、身内なんだし」
野毛へ向かいながら、神楽の耳にタツヤの声が何度も反響した。
――神楽さん、身内なんだから。
そう。具同は叔父なのだ。血のつながった叔父。
その叔父が、今、なぜか長く病院にいる事実に、神楽は不安を覚えた。
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