第18話

 「お尋ねしたいことがあります」

 神楽はさくらの質問には答えないで、言った。

 イチかバチかだ。ここで話をし、さくらが動揺したら警察署に任意同行してもいい。

 ところが、

「茨城の水戸で」

と神楽が切り出した途端、さくらが走り出した。ダッシュしたのだ。

 しまった!

 ふいをつかれて、神楽は一歩遅れた。

「待って!」

 走り出したが、ほんの数秒とはいえ、遅れたのは失態だった。

 速い。

 神楽だって、足の速さはまあ自慢できるタイムを持っている。中学までは、学年の女子で一番早く走り、運動会のリレーではスターだった。高校生になってからも、陸上部ではなかったが、七秒代前半だった。

 その神楽よりも、津村さくらは、速い。


 道を折れ、かろうじてさくらの姿を見つける。

 追いかける。また、さくらは道を曲がり走り続ける。


 走りながら、津村さくらは、ただ闇雲に逃げているのだと思えてきた。おそらく、この界隈に土地勘はない。住居を転々と変えている津村さくらなのだ。

 往来の少ないほう、なんとか追手を巻けるほうへと、ただがむしゃらに足を運んでいるに違いない。


 住宅街を抜け、車の往来の激しい通りに出た。

 並木が暗い陰を落とす歩道を、津村さくらは走っていく。

 先に交差点があった。


 あ、もうすぐ赤だ。


 信号が黄色から赤に変わった。

 津村さくらは止まらない。

 けたたましいクラクションが炸裂し、交差点はパニックになった。一人の女性が、猛スピードで走りながら車の往来の中に飛び込んだのだから。


「危ない!」

「何、考えてんだ!」


 信号待ちで立ち止る人々の中から、様々な怒声が飛び交う。右左折する車の急ブレーキを踏む音が響く。

 

 神楽は唇を噛みしめて、交差点で立ち止った。ここで、信号無視をするわけにはいかない。自分は警察官だ。しかも、今は捜査の最中でもない。

 

 交差点を大混乱に陥れて、津村さくらは渡り切り、そして走り去っていった。



「逃げられたあ?」

 津村さくらとの接触の顛末を話すと、具同は顔を真っ赤にして叫んだ。

「信じらんない。あんた、ほんとに警察官?」

「それは言い過ぎじゃないですか!」

「だって相手は素人の女の子なのよ」

「素人じゃありませんよ、津村さくらは」

「じゃ、なんだっての?」

「津村さくらはプロです」

「なんのプロなわけ?」

 具同の目がきらりと光った。

「殺しのプロです」

「やっと認めたわけね」

 具同は意味有りげに笑う。

 全く、これが言わせたかったのか。


「ま、いいでしょ。逃がしたものは仕方ない。それに、今の段階じゃ確かな証拠はないんだし」

「警戒させてしまいました」

 自分を追う者がいるとわかった津村さくらは、今後警戒するだろう。

 こちらの顔も知られてしまった。

 だが、次の犯行を少しは遅らせることができるかもしれない。

 もし、次があるとすればだが。


 次は誰を。

 メロンパンを咀嚼していた津村さくらの気配が蘇る。

 うかがい知れない、何か不気味な単調さがただよっていた。


「カグ!」

 神楽ははっと顔を上げた。具同が苛立った表情でこちらを見ている。

「次はどんな手を打つつもり?ってきいてるんだけど?」


「ごめんなさい」

「ぼーっとしてる場合じゃないでしょ!」

 神楽は意表をつかれた。

 威勢よくしゃべる具同の顔に、いいようのない疲れが見えたからだ。


 なんの病気なの?

 神楽はふいに襲ってきた嫌な予感に慄いた。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る