第17話

 どうしたら、どうしたらいい?


 隣にいる殺人鬼の正体を暴くには、どう出ればいい?

 そう。横にいるのは紛れもなく殺人鬼。連続殺人鬼だ。

 メロンパンを咀嚼する音を聞きながら、じわじわと恐怖が沸き上がって来た。警察官としてこれまでの感じたことのない恐怖だ。

 こんなどこにでもいる普通の女が、いや、普通よりももっと目立たなくてありきたりな女が、何人もの人間を死に追いやった……。


「あ」

 ふいに津村さくらが立ち上がった。

 逃すわけにはいかない。そう思ったとき、白い小さな犬がこちらに近づいてきた。犬のあとには、飼い主の少年がつながっている。

 歩き出そうとしたさくらに犬が近寄って来る。さくらは動きを止めて、犬を手招きした。犬は走り寄り、さくらのスニーカーの足元にまとわりつく。

 しゃがみこんださくらは、犬の頭を撫で始めた。愛おしそうに、ゆっくりと。

 その横顔には殺人鬼の面影はない。口元には、うっすら微笑みが浮かんでいる。

 さくらが犬を抱き上げた。


「名前、なんていうの?」

 やわらかく、少年に訊く。

「コロン」

「かわいい名前」

 二人のやり取りを、神楽は微動だにできず見つめていた。

――津村さくらは、また殺るわよ。

 具同の声が蘇る。

 そう。油断はできない。いつだってさくらは、被害者を装って人を殺してきた。しかも神楽の知る限り、誰が見ても偶然としか思えない状況で。

 もし、次のさくらのターゲットが目の前の少年だったら――。

 神楽の掌に汗が滲む。


 ワワァアン!

 突然、犬が吠え始めた。

「どうした、コロン」

 少年が驚いて犬に顔を寄せる。犬は吠え続ける。

 その様子をじっと見つめた津村さくらの目を、神楽はずっと忘れられないだろうと思った。

 それは、目を開けているのに、目の前の何物をも見ていない目だった。津村さくらという人間がここからいなくなったかのように、別人の目がそこにあった。

 悪寒を感じて、神楽は息をごくりと飲み込んだ。


 ふと、津村さくらは犬を離した。まるで突然腕から力が抜け落ちたかのように、さくらの腕は下ろされ、その拍子に犬が転がり落ちた。


 キャアン!

 慌てた少年が犬を抱き上げる。

 少年はわけがわからない表情で、津村さくらを見上げたが、少年の犬をかわいいと褒めてくれた女の人はいなかった。ぷいと踵を返して立ち去ってしまったのだ。

「待って!」

 神楽は津村さくらの後を追った。



 津村さくらは後ろを振り向かず歩き続ける。神楽の呼ぶ声が聞こえているはずなのに、振り返らない、立ち止らない。

 公園を抜け、アパートとは反対のほうへと進む。

 どこへ行くつもりなのか。神楽に追われ、自宅へ行くのを避けようとしているのか?

 住宅街の薄暗い道路を、津村さくらは足早に抜けていく。速度は徐々に早くなった。その風貌からは想像できない進みの速さだ。

「津村さくらさん!」

 とうとう神楽は名前を叫んだ。

 ぴたりとさくらの足が止まった。


「津村さくらさんですよね?」

 ふたたび神楽が声を上げると、津村さくらはゆっくりと振り返った。

「どうしてあたしの名前を知ってるの」

 道路の頼りない街灯が、無表情の顔を照らしている。

 

 




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