第13話
翌日、勤務終了後の夕方、神楽は品川の駅ビルにあるカフェで瀬谷の元彼女―近藤恵を待った。
待ち合わせより五分早く着いた神楽だったが、恵はもう来ていた。目印の青い髪留めをテーブルの上に置き、人待ち顔で駅の通路に面した窓に顔を向けている。
――あれが、瀬谷の彼女。
いや、彼女だった人。
おそらく二、三歳は年下だろう。かわいらしい人だった。茶がかった艶のある肩までの髪に、薄い色のジャケット。小柄なせいか、ちょっと頼りない感じもするが、それがかえって魅力になっているかもしれない。
警察官には絶対いないタイプだ。
意外でもなんでもなかった。瀬谷は警察官という肩書をはずせば、ごく普通の男性だ。一般的に男性から好まれるタイプの女性と付き合っていたのは自然だろう。
しかも瀬谷は、
「――近藤恵さんですか」
テーブルの前まで進み、神楽は声をかけた。
「あ、神楽さんですね?」
いきなり下の名前で呼ばれて驚いた。
「すみません。時島さん……。いつも真守が神楽って呼んでたから」
「なんでもいいです」
神楽は恵の前に座った。
威圧したつもりはないのに、神楽の飲み物が運ばれてくるまで、恵は恵はおとなしかった。いや、おとなしいというより、怯えているといったほうが当たっているか。
運ばれてきたコーヒーを一口飲み、神楽は要件に入った。
「突然お呼びだてしてすみません。瀬谷からお聞きだと思いますが、厚木莉久さんについてお話していただければと」
恵はうなずいた。
「大まかなことは先に頂いた情報でわかりました。まず、どういったお知り合いなのかを」
メモ帳を広げ、神楽はペンを立てる。
「厚木さんとは前の会社にいるとき、いっしょに働いてました」
「硝子メーカーですか」
そうですと、ふたたび恵はうなずく。
「部署は」
「わたしは経理で、彼女は営業に」
「そうですか。交友関係はどんな感じでした? 送ってもらった情報では明るくて社交的とありましたけど」
う~んと小さく呟いて、恵は首を傾げた。
「難しいですよね。こう考えてください。普段の厚木さんとはちょっと違う、そぐわないっていうか、なんかそういった出来事があったりしませんか」
「そう言われても」
「あんまり親しくなかったんですか」
「いえ、会社の中では仲が良かったほうです。頼れる先輩でした」
「だったら、どんなことでもいいですから」
ふいに、恵がふーっとため息をつき、そして笑った。
「何か?」
恵は首を振る。
「何かおかしなこと言いました?」
「そうじゃなくて」
すとんと、恵は椅子の背にもたれた。
「真守の言ったとおりだなと思って」
「真守?」
「そう。真守がいつも言ってました。神楽は無駄な話をしないんだって。普通の女と違って要件しか口にしないって」
「そんなこと言ってたんですか」
瀬谷とは楽しく交流してきたつもりだが、そんな言い方をされると、なんだか女らしくないと言われているような。
ま、瀬谷に女として見られた覚えはないから構わないが。
ところが、恵は意外なことを口にした。
「真守、神楽さんしか満足できないんですよね」
「は?」
飲もうとしたコーヒーを吹き出しそうになってしまった。
「結局、神楽さんみたいな女の人が理想なんです、真守は」
「ち、ちょっと待って」
慌てたせいで、カチンと音を立ててコーヒーカップを置いてしまった。
「誤解、誤解してる。瀬谷と私はただの友達、同級生、腐れ縁。とにかくなんでもないから」
「真守はそう思ってません」
じとっーと、と言いたくなる憂いを含んだ目つきを返され神楽はたじろいだ。元彼女に話を聞きたいと言ったのを少し後悔する。
瀬谷は円満に別れたと言ったが、ほんとうのところは違うのかもしれない。
だとしても、自分には関係ないことだと思う。
「さておき」
神楽は気持ちを切り替えた。
「厚木さんのことですが」
仕方なくといったふうに、恵はうなずいた。
「趣味とかはどうだったんでしょう。山登りのほかに、何かありましたか」
「そうですね。食べ歩きやごく普通の女子でしたけど」
「ふむ」
メモ帳の開かれた頁は白紙のままだ。
「ランチはいつもいっしょでした」
懐かしそうに目を細めて、恵は続ける。
「会社の近所に、ラ・メールっていうフレンチがあって、フレンチなのに、安くておいしいランチを出してくれて、何度も行きましたね」
「ラ・メールですか」
繰り返したものの、神楽は手帳には記さなかった。
このやり方では、厚木莉久と津村さくらの接点は見つけられないかもしれない。
コーヒーカップに添えられた、恵のきれいな桃色のネイルを見つめながら、神楽の思考は目の前から離れていった。
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