第10話
その日のうちに、神楽は叔父の具同に電話をかけた。津村さくらについて疑問を持ち始めたこと。それを、まず知らせたかった。
ところが、電話をかけても叔父は出なかった。仕方なく夕方になるのを待って、叔父の店であるルリタテハ電話を入れた。
「ああ、神楽さん!」
電話の向こうで情けない声を上げたのは、店の従業員タツヤだった。
「大変なんですよ、ルリさんが!」
タツヤは具同のことを、店の名前の一部で呼んでいる。
「交通事故に遭って」
「え」
一ヶ月ほど前のことだという。小田原の先に遊びに出かけていた具同は、友人を乗せて、田舎の道を走っていた。二車線はあるが、両側が畑ののどかな道だったという。
ところが、対向車線を走っていた車が、突然、具同の車に突進してきたという。
「ぶつかってきたのは、八十歳のおじいちゃん。ボーッとてたって警察には言ってたらしいんだけど」
「怪我は?」
何より、具同の身体が心配だ。
「ちょっと頭を打ったみたいです。それで、検査やなんかで、まだ病院に」
ちょっと頭を打っただけにしては、入院が長くないか?
「どこの?」
「小田原の足柄総合病院です。僕、お見舞いに行きたいんですが、それより店をやってくれって」
「すぐに連絡してくれればよかったのに」
なんといっても身内なのだ。
「それが、ルリさんが、神楽さんには連絡するなって」
「どうして」
訊きながら、神楽は、なんとなく具同の気持ちがわかるような気がした。叔父を名乗って数十年ぶりに現れ、事故を起こしました、はい、来てくださいとは言いにくかったのだろう。
とにかく、明日、病院に行くと告げてから、神楽は電話を切った。
今、特に自分が大きく捜査に関わる事件はない。夕方までに終えるべき書類作成を上司に話して明日に伸ばしてもらおう。
冷蔵庫から買い置きの惣菜を取り出し、レンジに入れた。
具同のことが気になって、取り出すのを忘れてしまった。
へちゃりと凹んだビニールパックの蓋を剥がし、神楽は硬くなった鶏肉を口に運んだ。
翌日、午後の会議が長引いたせいで、小田原へ向かう東海道線に乗れたのは、三時を過ぎていた。
国府津まで行き、そこから御殿場線に乗り換える。
足柄駅に着いたとき、すでに陽は西に傾いていた。夕焼けが山を紅く染め始めている。
足柄総合病院は車で五分の距離らしい。駅前から病院行きのバスを探し、乗り込む。
のどかな風景が、窓の外を流れていった。横浜から一時間半ほどの場所なのに、違う国へ来たかのような静けさだ。
景色が具同に似合わない。
こんな退屈な場所、嫌よ!
そんなふうに憤っている気がして、つい口元がほころぶ。
横浜駅で買った手土産を下げ、訪ねた病室は個室だった。新しい病院のようで、ビジネスホテルばりにきれいだ。
具同は、枕を背もたれに、ベッドの上で座っていた。
朝日の中で、凛と背を伸ばして窓の外を眺めている姿は、知っている具同の姿とは違った。
ちょっとさびしげだが、思ってしまった。
きれい。
もちろん、メイクもしていないし、髪は短髪。
人の美しさは、形よりも、かもしだされる雰囲気で作られるのかもしれない。
「やだ。タツヤが知らせたの?」
振り返った具同は、いくぶん青みがかった顔色だった。
別の病気が見つかったんじゃないか。
そんな不安が頭をもたげる。
「たいしたことないから、誰にも知らせなかったのに」
声には張りがあった。ちょっと安心する。
「なのに、ちっとも退院させてくれないの」
持ってきた手土産を、神楽はベッド脇のテーブルに置いた。
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