第8話

「やっぱりおかしい!」


 駅までの道を歩きながら、具同は何度もそう言い募った。

「逃げたのよ、津村さくらは! 尻尾を掴まれる前に姿をくらましたのよ!」

「あんまり興奮しないでください」

 声を張り上げる具同を、すれ違う人がチラチラ見ていく。

 

 息巻く具同をなだめる神楽だったが、具同同様、不審感を抱いたのは確かだった。 

 彼女自身に落ち度はなかったとしても、あんな事件に関わったのだ。人々の好奇の目にはさらされる。それを避けたい気持ちはわかる。


 だとしても、行動が早すぎやしないか。


「ひとまず、津村さんが勤めているというデパックという会社に電話してみましょう」

 スマホを取り出し、神楽は不動産屋から教えてもらったデパックの番号を入力する。コール音の二回目で、電話はつながった。

 デパックという会社は、コールセンターのようだった。本部の総務に電話を回してもらい、用件を告げる。


「――いない?」

 神楽の裏返った声に、前を歩いていた具同が振り向いた。

「津村さくらという名の派遣社員はいないんですね?」

 具同が目を剥く。

「ええ、はい。四月以前もいないと――」

 電話の相手に礼を言って、神楽はふーと息を吐いた。


「いないの?」

 具同が目を剥いたまま、訊く。

「三月が契約更新の時期らしいんだけど、その前にも後にも、津村さくらって名前の人はいないって」

「アパートを借りたとき、デタラメを書いたのね」

 そうとしか言いようがない。

「これ以上、調べようがありませんね。津村さくらは忽然と消えてしまった……」

「怪しい! やっぱり怪しい!」

「まあ、そうですけど」

 契約書などに、デタラメの勤務先を書く例を初めて目にしたわけじゃなかった。いい加減な人間は一定数存在する。そして、後ろ暗い気持ちがある者も、デタラメな事柄で自分を偽る。

 津村さくらはどちらだろう。


「こっからどうしたらいいの? どうやって、いなくなった津村さくらを探せばいいの?」

 この程度の不審さで、警察が動くはずもない。

「カグ! 刑事でしょ。なんとか調べてよ」

「そんな」

「探し出さないと危険! 危険よ! いつかまた、津村さくらが人殺しをしたらどうすんの? 犯罪を見過ごした警察の責任になるわよ!」

「大げさなこと、言わないでください」

 冷静を装っていたが、胸の中にぽつんと落ちた不審感を、神楽も消せなかった。


 もう一度、林警部補に会ってみようか。


 もう一度、津村さくらが尾美ともみ合ったときの様子を聞いてみよう。

 そうすれば、何かヒントがあるかもしれない。


 いや、なんのとっかかりもないから、林警部補にヒントをもらいたいのだ。

 津村さくらという人物について、林警部補ならなんと言うだろう。


 林警部補の落ち着いた表情を思い浮かべたとき、駅に着いた。

                          


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