第7話
一時間もしないうちに、南砂町まで着いてしまった。
時刻は午後三時ちょっと前。若干日が陰っている。それなのに、気温は下がっていないようで、湿り気を帯びた風が吹いている。
これといって目を引く建物がまわりにない住宅街だった。二車線の道路には、それなりの交通量があるが、都内とは思えないのどかさもある。
「さてと。津村さくらのアパートは」
スマホに顔をうずめて、具同は呟く。
「日光荘だって。古臭い名前ね」
そして、住所を口にした。
「四丁目、二の七だって」
「それなら、あっちみたいですね」
神楽は右手前方にある電信柱を指さした。電信柱に、四丁目一とある。その先が二丁目だろう。
具同は地図アプリを起こして、行き先案内を開いた。音声のボリュームを上げる。
「直進し、一つ目の交差点を左に曲がってください」
アプリの声をしたがって、進む。
地図アプリは優秀だ。津村さくらの暮らすアパートはすぐに見つかった。
「ここですね」
見上げた建物は、二階建ての割合新しいアパートだった。
部屋数は、六つ。
どの窓も閉まり、西側に付いたベランダに洗濯物も見当たらない。
一階の二部屋、二階の三部屋が空き室だろうと、神楽はすぐに見当をつけた。
仕事で聞き込みを何度もするうち、建物のざっと見るだけで居住者の状態がわかるようになった。
津村さくらの部屋は、二○六号室。二階のいちばん端。その部屋の窓は締まっていた。エアコンの室外機も動いていないようだ。ベランダに干されている洗濯物も見当たらない。
留守か?
「さ、行きましょ」
具同がアパートの横の階段に向かう。
神楽は慌てて具同の腕を掴んだ。
「ち、ちょっと待ってください」
「何?」
目を見開いた具同は、とても母に似ている。それに気づいた瞬間、言葉に詰まってしまった。
「何よ」
気を取り直して、具同を見据える。
「津村さくらさんが在室してるとして、どんな話をするのか考えてるんですか」
「考えてるわよ」
「なんて言うんですか」
「あんた、わざと殺したでしょって言ってやるのよ」
神楽は思わず片手を額に当てた。
「ダメです。そんなこと言っちゃ」
「じゃ、なんて言うの?」
「そうですね。まず」
津村さくらに、自分が警察官だと名乗るつもりはなかった。具同の店の店員、タツヤの名前を出し、ケッタとかいうコンビニの店員の話をすべきだろう。ケッタがあなたのファンになってしまい会いたがっていると、そんなふうに話すのはどうだろう。
神楽が考えを話すと、具同は渋々といった表情で頷いた。
「ま、最初はそのほうがいいわよね。すぐに尻尾を出すとは思えないから」
階段を上り、埃っぽい外廊下を進み、二○六号室のドアを叩いた。
案の定、中から返事はなかった。
「いないわね」
悔しそうに呟いた具同は、足元にたまったチラシを足先で蹴った。
「この感じだと、もう何日もいないんじゃない?」
神楽もそう思った。もしかすると、津村さくらは、もうここにいないのかもしれない。
「やり方を変えましょう」
神楽は踵を返した。捜査のときのように、頭が働き始めた。
「どうすんのよ!」
パタパタと足音を立てて、具同が後に続く。
「このアパートの仲介をしている不動産屋に行ってみましょう。そこでアパートの大家を教えてもらうんです」
アパートの壁に、仲介不動産屋の看板が貼り付けてある。
頭の上に電球が点ったかのように、具同の表情がパッと明るくなった。
「それ、いいかも」
仁科不動産。
スマホで検索すると、地下鉄の駅に近い場所が表示された。
不動産屋の店主は、胡散臭そうに、眼鏡の奥からこちらを見上げている。
「日光荘?」
アパートの名前を出した途端、店主の顔がほころんだ。ただのひやかしではないと思ったのかもしれない。店主一人しかいない店は、あまり流行っているようには見えない。
機嫌よく椅子をすすめてくれたが、聞きたいことがあって日光荘の大家に会いたいと言うと、途端にやる気を失くしたような残念な顔になった。
「なんだ、借りたいんじゃないの」
「すみません。あそこの店子がわたしどもの親戚で」
具同が真面目な顔をして言った。
「親戚?」
「そうなんですよ。母親から様子を見てくるように頼まれたんですけどね、行ってみたら留守で。それで、大家さんにでもお話を聞いてこようかと」
口からデタラメを並べる具同の言葉を信じたのかどうか。店主は眠そうな目で頷いている。神楽が知っている具同とは声のトーンも口調も違う。偽物だとは思われないだろう。
「そういうことなら」
店主は値踏みするような視線になる。
「大家は入居者とまったく面識がありませんよ。あのアパートの管理はすべてうちが代行していますから」
「それなら話が早い」
具同は大袈裟に喜んでみせた。
「どなたですか」
大家はパソコンに向かって、指先を動かし始めた。
「二○六号室の、津村です」
すると、店主は細かく首を振った。
「津村さんなら、もうあそこにはいませんよ」
「えっ」
声を上げたのは、神楽だった。
「いないって、引っ越したんですか」
「ええ。突然ね。敷金やなんかも返してもらわなくていいからって」
「いつですか?」
店主はパソコンに顔を近づける。
「えーと、四月の十八日ですよ。その日のうちに引っ越しちゃって、電話をもらったあと部屋を見に行ったら、きれいさっぱり何にもなくなってました」
四月の十八日は、コンビニの事件があった翌日だ。
「まあ、無理もないと思ったんですよ。なんか、あの人、東京で起きた事件に巻き込まれたんでしょう?」
神楽は曖昧に頷く。
「そのせいなんだろうと思いましたよ。まだ越してきて一ヶ月も経っていませんでしたけどね、心機一転したいんだろうと思っ――」
具同が店主の話に割り込んだ。
「一ヶ月も経ってない? あの子、いつあのアパートに越してきたの?」
声音が変わった具同を、店主は戸惑った目で見返した。
「四月の始めですよ。だから、正味、二週間ほどしかあそこには暮らしてません」
奇妙だ。
疾風のごとく、アパートを去っていった津村さくら。
しかも、ほんの二週間ほどしか暮らしていないという。
「勤め先はわかりますか」
賃貸契約を結ぶ際に、勤務先を記入するはずだ。
「わかりますけど、ご存知ないんですか」
親戚なら知っていて当然だと思うだろう。
具同が助け舟を出してくれた。
「長続きしない子なんですよ。ちょくちょく仕事を変えて。それで、母親は余計に心配してまして」
なかなかの演技だ。
「それはご心配ですな」
と、店主はふたたびパソコンの画面に目をやった。
「デパックって名前の会社ですね。品川にあるようです」
ここから近いとは言えない。
店主にデパックの住所と連絡先を聞き出し、神楽は叔父とともに不動産屋を出た。
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