第48話 メートル・ドテル 5

 三日経った。

 本部長室のデスクで書類を前にしていながら、圭悟けいごの手は止まったままだ。


『圭悟、仕事が進まないようだが』


 床に座ってその様子を眺めていた吾輩だったが、さすがにもう十五分も動きを止めたままでは本日の業務に終わりが見えない。


「……マジ、どうすればいいわけ、これ」

『解決に導く責務など、圭悟には無いではないか』

「無いんだけどさあ……居合わせちゃったし」


 圭悟はPCのディスプレイを一瞥し、その上部を軽く叩いた後、溜息。


「俺もね、いつかそういうこともあるよね、って最初の一、二年くらいは心の準備してたわけ。でもさ、もう十年以上何も起こらないから、完全に油断してたっていうか忘れてたっていうか」


 圭悟は馬鹿ではない。この程度のことは最初か予測しており、昔、吾輩に相談したこともあった。


 政府を恐喝するような形でSSダブルの素性を国家機密と同等の扱いにさせたのは圭悟だ。


 顔と声を隠し、名を隠す。

 仮にそれを知る者が現れた場合は【誓約】で縛る。

 たとえ親兄弟であっても。


 彼奴らは圭悟の提案を、迷うことなく了承した。

 そして自分達の生まれ育った町を離れ、縁もゆかりも無い土地を根拠地として選び旅立った。


 それでも圭悟は危惧した。

 日本は狭い。

 突然消息を経った彼奴らの身を案じ続ける者達と、偶然遭遇する可能性を。


 圭悟が恐れたのは、秘密が明るみに出ることではなく、無理矢理捨てさせた過去が、彼奴らをさいなむこと。


「よし、丸投げしよう。あいつらだってもういい歳なんだから」


 圭悟は傍らの携帯電話を手に取った。


     ◇


 深夜一時。

 歓楽街の一角にあるコンビニの前で、買ったばかりの缶ビールを開ける革ジャンの男。


「ねー、どっかお店入ろうよ」


 ビールを一口呷ったタイミングで、横合いから片側の前髪だけが長い男が声を掛ける。


 掛けられた方は驚く様子もなく、一度だけちらりと目を遣る。


「……楠木くすのきから何聞きやがった?」


 唐突に現れた相手に掛けるとは思えない言葉の後、もう一口。


「オレ、ぎんちゃんと二人で飲みに行ったことないしー」

「誰とも行ったことねぇだろ」

「それそれ。オレ達、もう十年以上の付き合いなのに、年に一度しか会わないって変だと思うんだよー」


 半ば無視するように、コンビニ前のベンチに腰を下ろし、「ここでいいだろ」と、ビールをもう一本取り出し、片側の前髪だけ長い男――青鎚あおつちに差し出す。


「ごちそーさま」


 青鎚は缶を受け取り、革ジャン姿の銀剣ぎんつるぎの隣に座る。


「なあ……おまえ、最後に名前呼ばれたの、いつだ?」

「忘れちゃったよー。自分のステータスボードでしか見ないしねー」


 銀剣は再び口を付けようとして、既に缶が空になっていることに舌打ちする。


「もうさー、オレの名前はあおでいいんじゃないかなあって。誰も呼ばない本名なんて意味ないよねえ?」


 どこからともなく新しいビールを一本取り出し、青鎚は銀剣に手渡す。

 残念ながら先程から飲んでいた物とは別銘柄だ。


「でも遊矢ゆうやが呼んでほしいなら、普段からそう呼ぶー?」

「ガキじゃねぇんだ、そんなことで喜ばねぇよ」


 缶に描かれたイラストが好みの物と違った為か、銀剣は思い切り顔をしかめた。


「遊矢はどうしたいー?」

「どうもしねぇ。あと百年もすりゃ、俺を知ってる奴は一人もいなくなる」


 缶を開け、銀剣は一気に中身を煽る。

 

「いなくなる前にしておいた方がいいこと、あると思うけどなー?」

「おまえは済ませたのか?」


 青鎚は二度瞬きをし、同じく新しい缶を自分用に取り出す。


「まさかー。そもそもオレ、名前呼んでくれる人いなかったし」

「……そうなのか?」


 初めて知ったかのように、銀剣は目を丸くした。


「あはは……オレ達、お互いのこと何も知らないねぇ」


 笑い出した青鎚に、銀剣は気まずそうに答える。


「名前と年齢は知ってっけどな」

「そ。オレが知ってるのは遊矢の本名と、オレと同い年ってことだけ。本当はそれも必要ないはずなのに、なんでオレ達、初めて会った時にそれを教え合ったんだろうねー?」


 銀剣は押し黙り、空の缶を握り潰す。


「悩むくらいなら、けりつけておいでよー? 結果がどうなっても、後でくろちゃんの家で皆で何十時間でも付き合うからね」


 青鎚もビールを飲み干し、ベンチから立ち上がる。


「おい、結局おまえ何しに来やがった?」

「んー? 遊矢が落ち込んでるって楠木が言うから励ましに、かな?」


 疑問形で締めくくり、青鎚は小首を傾げる。


「またねー、遊矢」


 そのまま青鎚は銀剣に背を向け、夜の雑踏に姿を消す。


 取り残された銀剣は天を仰ぐ。

 星のない夜空でも、銀剣の目は遠い星々の光を捉えることができる。


「意味ねぇし。ま、様子見に来るだけありがてぇのか? ……サンキュ、五百いお


 滅多に呼ばない、青鎚の本当の名を呟き、銀剣もベンチから立ち上がった。


 そしてその一連の経緯を物陰に潜んで伺い続ける、吾輩と圭悟。


『圭悟、ここまで世話を焼く必要があるとは思えぬが』

「しっ! 銀に聞こえたら気づかれる」


 距離にして二十メートル。【遠見】と【集音】で会話は漏らさず聞き取れている。

 当然、【隠形】で姿は隠しているが、あの二人の察知能力ならばとうに気づかれているのではあるまいか。


 事実、今銀剣が真っ直ぐにこちらに向かって来ている。


「楠木、覗きとか気持ち悪ぃんだけど」


 隠れているはずの吾輩と圭悟を間違いなく認識しての言葉。


 あの後、圭悟は青鎚に連絡を取り、先日の出来事を伝えた。

 SSダブル達は【地図】の共有化で、全員の現在地も把握出来る。

 青鎚に銀剣の居場所を尋ね、圭悟は吾輩を連れてここに赴いた。


 本部を数時間空ける為に、圭悟はその後、丸一日本部長室に籠もって溜まった仕事を全て片付けた。

 その気になれば雑務などすぐに終えられる、さすがは吾輩の飼い主である。


「あのな、銀。精算もしないでいなくなるのやめろ。三日前のドロップ品、本部で買い取りするから一緒に帰ろう?」


 覗き行為について一切詫びず、圭悟は銀剣の小さな落ち度だけを責める。

 さすがだ、圭悟。吾輩の飼い主は都合の悪いことには蓋をする。


「本部までって、おまえらどうやって帰るつもりだ?」


 車で移動する方法もあるが、到着する頃には夜が明ける。

 圭悟はここまで来る時に使った方法を答える。


「飛んで帰るよ。夜間の長距離飛行、銀も付き合って」


 夜空は寒いが、圭悟は夜景を見下ろしながら移動することを好む質だ。

 ゆっくりと地を蹴り浮かび上がった圭悟と吾輩の後ろ。不機嫌な様子を隠そうともしない銀剣が宙に歩を進めた。

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