第10章 メートル・ドテル

第44話 メートル・ドテル 1

「世界的に見て、日本が著しく遅れを取っているこの現状、どう責任を取るつもりです、本部長?」


 本部ビル三階の応接室で、職員が出したコーヒーに見向きもせず、其奴そやつはいきなり本題を切り出した。

 

 吾輩は圭悟けいごの座るカウチの足元に控え、しばし成り行きを見守る。


 それにしても此奴は何者だったか。

 どこぞの政治家の腰巾着なのは間違いない。

 ただ、現政権と何の関わりもないことだけははっきりしている。

 吾輩に目もくれないということは、吾輩と圭悟のことを何も知らない小物だ。


 こんな輩でも、面会の申し出があれば圭悟はスーツを着込み、髪を整えて出迎える。

 吾輩の飼い主もそろそろ人間が出来てきた。


 うっかり普段着で吾輩の散歩に出ている姿を他人に見つかるというミスも、二年前を最後に犯していない。


「それから、あの仮面の五人も、いつまであんなごっこ遊びを許すつもりです? 世界に目を向けてごらんなさい」


 ごっこ遊び、の一言に一瞬だけ圭悟の拳に力が入った。目の前の男は気づいていないが。


「……世界、ですか。どこの国でしたか、SSダブルのスキャンダルがすっぱ抜かれて大騒ぎになっていましたね」


 圭悟はローテーブルからカップを持ち上げる。


 圭悟が彼奴らに仮面を与えているのは、オンとオフを使い分けさせる為でもある。

 素顔が知られてさえいなければ、何処でどんなトラブルを引き起こしてもどうにでも処理できる。


 そう、たとえ、交通事故に遭いかけた老婆を救おうとした金棍きんこんがトラックを一台破壊していたとしても。

 銀剣ぎんつるぎに捕らえられたひったくりが全治三ヶ月の重症だったとしても。


 彼奴らがSSダブルだとさえ知られなければ、圭悟が必死に手を回しどうにかするのだから。


「そんなことより、世界中で、過去から来たと馬鹿なことを詐称する人間が増えているようですね? しかも各国の政府がそれを真に受けて新たな戸籍を与えている。まさかとは思いますが、日本でそんな愚かな真似をする人間が出た場合、本部長は常識的な対応を取っていただけるんでしょうね?」


 近年、世界中で突然SSダブルが増加する現象が起こっている。

 どこからともなく現れた新たなSSダブルは揃って戸籍を持っておらず、数百年前から来たと主張し、探索者協会のお墨付きを得た上で新たに戸籍を取得している。

 勿論、吾輩と圭悟は、いずれこの騒ぎが起こることを随分前から把握している。


 既に日本のSSダブル五人の【居室】にも、同じような存在が各二人ずつ、『居候』という形で住み着いているが故に。


「あれは本物です」


 涼しい顔で言い切る圭悟に、男は一瞬怯む。


「ともかく、民間組織がダンジョンの全てを管理する現状を我々は憂いているのですよ。何故今の今まで省庁を新設する流れにならないのかと」


 ダンジョンと探索者の全ては、吾輩と圭悟抜きに管理することはできない。

 だからこそ世界中のどの国も、探索者協会立ち上げ時の支援しか許されなかった。


 ちなみに圭悟はその助成金を借金だと捉えた。

 金を出したのだから口も出す。

 その横槍を危惧し、圭悟は協会立ち上げから五年後には全額を返還した。

 探索者になる前、毎日くたくたになりながら会社勤めをした成果を発揮した形だ。

 

 残念ながらただの犬に過ぎない吾輩は、人間社会で効率良く金銭を稼ぐ方法に疎い為、圭悟が深夜まで掛かって作成した事業計画について何一つ理解出来なかったが。


 懐かしい。

 圭悟が自ら全国の商店街を回り、店主達一人一人を説得しランクDにまで成長させたあの頃。

 会社に出勤する時とは違い、圭悟は非常に楽しそうだった。


「省庁、ですか。……貴方の言葉を借りるならば、世界に目を向けてはいかがです?」


 政治の介入は許さない。

 それが全世界の探索者協会の総意。


 カップを戻し、圭悟はゆっくりと足を組む。


「全世界の探索者協会は攻略の進捗を争ってはいないんですよ。そこに早いも遅いもない。一階層にも足を踏み入れたことのない貴方に、ダンジョンの何がおわかりで?」


 吾輩も圭悟も、【看破】は習得済み。

 目の前の男のレベルがゼロだということも把握している。


 足を組み換え、圭悟は数秒の間、スキル【威圧】を使い冷ややかに男を見つめ、そして一言。


「お引き取りを」


     ◇


「マジ、面倒くさい! ダンジョンの横で再開発とかあるたび、遠回しに無駄なこと言い出す奴が出るの何なの! きんに任せたら、けんちーとの業務提携も失敗するし!」


 客が逃げるように出た後の部屋で、圭悟は頭を掻きむしる。

 後ろに撫でつけた前髪が額にかかり、今度は目に入りそうなそれを邪魔に感じたのか、また後ろに掻き上げる。


 実はここ数日、何の益もない話をのらりくらりと続ける輩が何人も入れ替わり立ち替わり訪ねて来ていた。

 圭悟の感じるストレスも尋常でないだろう。


 それもこれも、地方のあるダンジョンの近くの街で建物の老朽化に伴い、大規模な建設計画が立ち上がったからなのだが。


 ダンジョンには何もしなくとも人が集まる。

 故に、利権に絡み狡猾な人間が圭悟に近づこうと暗躍する。

 先程の男は無計画に近づき過ぎだが。


『圭悟、やはり守護者を作った方が良いのではないか?』


 圭悟の持たされた一連の補佐スキルの中には、【守護者作成】がある。


 管理者と補佐の身を守る警護人を手早く育てる為のものだ。


 任意のスキルを三つ付与できる特製の仮面を作ることができるが、圭悟はそれを作成したことがない。


「だめだめ。あの仮面はSSダブル用にしちゃったからさ、俺達のガードマンに被らせるわけにいかないだろ?」


 圭悟は彼奴らの為に、何のスキルも付与していない仮面を作った。

 仮面に初めから付いている、顔に近づけるだけで装着できる機能のみを残して。


 圭悟の考えはわかっている。

 頭に固定用の紐などがあっては興醒め。

 当てるだけで顔に吸い付く仮面は、圭悟の理想のヒーロー像に欠かせないアイテムだった。


 自分達の身の安全よりも、ヒーローを作ることを優先する。

 ぶれない圭悟は素晴らしい。

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