第18話 古竜の血 10
午後九時。
まだ食堂での酒宴は続いていたが、残務処理の為に支部長はその喧騒から離れ、支部長室に戻っていた。
「……支部長、決裁お願いします」
複雑な表情で差し出された数枚の書類。
こんな時間にわざわざ紙ベースで発行する物とは一体何なのか。
目を通した途端に、支部長はデスクに突っ伏した。
額に走る鈍い痛み。現実だ。
「鑑定書に譲渡証明書……」
「提供したのは
ただ一般の探索者に紛れて食事をしているだけで、どうして古竜の血などという希少品を一本分け与えるという話になる。
「……この、市橋という探索者は誰なの」
「食堂で
「相席……」
日本のトップに君臨する、一般の探索者から見れば雲の上の存在であるランク
支部長はもう一度、額をデスクに叩きつけた。
「この市橋という男と、彼等はまだ一緒にいるの?」
「はい。二時間前に六人で潜行しました」
都合三回目。
支部長は額をデスクに擦り付けた。
「……何をしているの、あの人達は」
「あの、支部長。もう一つあってですね、受付で
促され、次の書類に目を遣る。
「身上調査報告書? 市橋の? 借金?」
「青鎚から、至急調べるようにと。朝までにこの借金を協会名義にして欲しいそうで……」
何故ランクCの借金を肩代わりせねばならない。
書類を掴む指先に力が入る。
「朝には市橋さんが全額返済するから、と」
「そうでしょうね、あの人達と一緒に潜れば、この程度端金でしょうね……!」
承認印を強めに押し、職員に突き返す。
「あの、支部長。もう一枚あってですね……」
最後の一枚。
「……5LDK。オートロック。1754番から1756番の三つのダンジョンの中心付近で、交通の便の良いマンション?」
「この条件で朝までに物件を探して欲しいと。探したんですが、不動産屋が閉まる時間までに見つかりませんでした。なので支部長の権限でどうにか……」
無意識に拳をデスクに叩きつけていた。
出来るかと聞かれれば、不可能ではない。
探索者協会は地元密着のクリーンな組織というイメージの定着を目指しており、各支部長はそれぞれ地元の各業種に顔を繋いでいる。
一家族の住居を見つけるなど、こんな非常識な時間帯でさえなければ、さほど難しい問題ではない。
「……どうにかする」
声を絞り出し、記載された条件を再度見直す。
「お願いします。青鎚の眷属のスケルトンが受付前でずっと待っているので」
骨だけの生き物が受付前に居座る。モンスターを見慣れている探索者であっても動じる光景だ。
黙って椅子にでも座っていてくれればまだ良い。
フロア内をフラフラしていたらどうしてくれよう。
「待合スペースの隅に座らせておいて」
せめて人目につかない場所に移動してもらうべきだろう。
デスクの電話に手を伸ばしながら指示を出す。
「あ、もう座ってます。ただ、暇つぶしなのか、ずっと絹さやの筋取りをしてます」
掴んだはずの受話器が手から滑り落ち、デスクにぶつかる。額をぶつけた時よりも重い音で。
「……今すぐやめさせて」
◇
扉の外に出て、まず俺が驚いたのは、【時計】が午後九時だったことだ。
夜食にたっぷり一時間は取っていたはずなのに。【居室】に入ってから一分も経っていない。
「あん? 【居室】は別次元だからな。扉を開け閉めした何秒間しか時間なんて経ってねぇよ」
「長居し過ぎだけ気を付けた方がいいっす。浦島太郎になるっすよ」
また、俺の常識が塗り替えられる。ファンタジー世界にどんどん侵食されて行く気分だ。
モンスターが存在し始めるようになった時点で、立派に現代はファンタジックではあるのだけれど。
「おら、お前の部屋作るぞ。ドア開けろ」
軽く小突かれ、俺は初めて自分の【居室】の扉を出す。
出し方は簡単。出したいと考えるだけ。
飾り気のないクリーム色のドア一枚。小さなドアノブ。見慣れたアパートの。
トイレのドアじゃん、これ。
他の人達にも、それが何のドアなのか分かってしまったらしい。
物凄く気まずい。
「……おまえがイメージし易い、使い慣れたドアなんだよ。おい、てめぇら、まずこれを取り替えろ!」
大きな溜息の後、怖そうな人は後ろに控える大工さん達を促す。
当然だけど、外に出た途端に大工さん達の顔は骨になっている。
俺が半開きにした扉に近づくと、タイミングを合わせてドアを取り外す。
外れる物なの、これ? もしかして大工さんにはそういうスキルがあるの?
素早く新しい扉を取り出し、物の数秒で取り付け完了。
暗めのグレーの、複雑な彫刻が表面に施された扉がそこにあった。
ちょっと格好良い。
食事中もずっと物を出し入れしていたことで、俺の【収納】のレベルはどうにか4になった。
つまり、【居室】の奥行きも4メートル。
何も無い白い四角い空間。全員で入るととても狭い。
「狭ぇ。あと3は上げろ!」
「は、はい!」
恐い。睨まれると本当に恐い。
俺が必死に【収納】を上げる間も、大工さん達は骨しかない手で出来る所から作業を開始する。
そこからが凄かった。
怖そうな人の監視の元、必至に【収納】を上げ続ける間も、拡がる室内で大工さん達は黙々と作業を進め、二時間もする頃には、タブレットで見た画像とほぼ同じ部屋が出来上がった。
白っぽい壁紙。木目の床材。入ってすぐ右手には壁で仕切られたユニットバス。向かい側はクローゼット。
奥には飾り窓。小さな庭みたいな景色が見えるけれど、実際には庭なんてないので、窓の表面に何か映像を映しているだけだと思う。
コンロが一つのミニキッチンが左側の壁に設置されており、本当に水も出る。
上下水道を敷いた上から床を貼っているそうだ。思ったより手間が掛かっている。
待機していたスーツのスケルトンが自分の【収納】から家具を次々に取り出し、大工さん達に配置させて行く。
キッチン脇に冷蔵庫。椅子が二脚の丸テーブル。右の奥のロフトの下の空間には三人掛けのソファとローテーブル、そして何故かテレビ。
「なんでテレビ……」
「電波は届かねぇぞ。代わりに、俺達のお勧め映画一枚ずつプレゼントだ!」
よく見るとテレビの横にラックが備え付けられており、並べられた五枚のDVDのタイトルが。
高校生の純愛映画、アクション映画、ジャパニーズホラー、アニメ、お笑いライブ。
「……ありがとうございます」
その下の段には、CDも五枚。
アニメのサントラ、J−POP、クラシック、テクノ、デスメタル。
「音のない空間に嫌気が差したら使え」
この人達、普段から【収納】にこういう物を入れて持ち歩いているんだろうか。
それより気になるのは、冷蔵庫や電子レンジといった家電。
よく見ると、当然だけれどコードが伸びており、それぞれ壁のコンセントに刺さっている。
電気、通ってるんです?
不思議そうに家電の後ろと壁を見ている俺に気付いたのか、スーツのスケルトンが、ドアの横に立って俺を手招きする。
ドアの横の壁には何かを嵌め込む隙間があった。
ぶっきらぼうな人がスケルトンにラグビーボールのような大きさの、宝石に似た何かを渡すと、スケルトンは軽く頭を下げ、その宝石を壁の隙間へ入れる。
大きいけれど、魔力結晶だろうか。
モンスターからドロップするエネルギーの塊。
一階層のスライムからも小指の爪のような大きさの物が出る。小さいが乾電池程度のエネルギーがあるらしい。
これを電力に変換する研究が世界中で進められた。今では協会支部の建物の電力はこれで賄われているらしい。
但し、まだ家庭用の機器は発売されていない。
「これ、魔力変換機ですか……?」
「ああ。この大きさの結晶ならば五十年は交換不要だ」
聞けば、床下の浄水設備も電化製品も全てこれが動力源になるらしい。なのに五十年?
これ、ドラゴンの結晶とか言わないですよね?
それより、俺、一体幾つまで探索者を続けると思われているんだろう。
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