第19話 古竜の血 11

 俺の【居室】から一度ダンジョンに戻る。【時計】は変わらず九時。


「俺、そろそろ寝たいっす」

「だよね、私も仮眠取りたーい」


 時間は経っていなくとも、体感では十一時近い。


 皆さん、それぞれ自分の【居室】の扉を出す。

 そんな中、怖そうな人は俺の肩に手を回して、自分の扉に向かう。


「え?」

「おまえの部屋、まだ寝具ねぇだろ。うちに泊まれ」

「ええ!」


 遠慮したい。布団の無い部屋でいいです。ソファで寝ます。

 そう言いたかったのに。俺より遥にレベルが高いこの人に力で敵うわけもなく。

 ほぼ引き摺られるように、俺は【居室】の扉をくぐる。


 扉を入るとそこは。

 騎士の鍛錬場でした。


 ぶっきらぼうな人の【居室】の広間よりも大きい。

 天井の高さと奥行きが、どことなく学校の体育館を思い出させる。

 あ、これ本当に体育館だ。

 両サイドにバスケットゴールがいくつもある。誰も使ってないけれど。


 剣を打ち合わせる音がそこかしこから響く。

 西洋風の面立ちの精悍な男性達は、扉を閉める音が鳴ったと同時にピタリと動きを止め、一斉にこちらへ顔を向けた。

 そして全員で。


かしらに敬礼!」


 え、何の軍隊?


「風呂に案内してやれ」

「はっ! お客人、こちらへ!」


 全員、声が大きい。

 体育館風の部屋の奥にたった一枚だけある大きな分厚い扉の方へ促される。


 俺達が奥へと進む間、全員が直立不動。

 そういえばさっき誰かが『親衛隊』と言っていた。

 想像よりもストイック。


 奥の重い扉を開けて貰うと、今度はホテルのロビーのような空間に出た。

 中央の円形の吹き抜けから見上げると、外周に十階くらいまでのフロアがあった。

 どの階の廊下にも人の姿。

 全てのフロアから他のフロアが見渡せる構造。

 不意に、この人は寂しがり屋なのではないかと思った。


「浴場は二階です」


 立ち止まったままの俺に、騎士らしき眷属が声を掛け、エレベーターを示す。やっぱりホテルじゃん、これ。


 そうして連れて来られたのは大浴場。

 一人きり。

 怖そうな人は入らないのか尋ねると、騎士は「頭は後で一人で入ります。けして他人との裸の付き合いを拒んでいるのではありません。悪気は無いのでご理解を」と真剣な顔で答えてくれた。


 俺もほんの数時間前に知り合ったばかりの人と湯に浸かって落ち着けるかと言われれば、多分一人の方が良い。

 セツも脱衣所で待つらしく、俺の肩から降りてくれた。


 一人になり、二十人は一緒に入れそうなお湯の中で、この数時間のことを考える。

 おかしい。

 俺、ここまで他人の言いなりになるタイプの人間じゃないのに。

 強引に腕を掴まれて、何も言えずにここまで来てしまった。

 拒否出来なかったのは、あの人達が怖かったからかもしれない。


 こうして離れてみるとわかる。

 探索者になってから対峙したどんなに強いモンスターよりもずっと、あの人達の方が怖い。

 友好的だから気付けなかった。

 モンスターから感じるのとは別種の怖さ。


「……本当、何なんだろ、あの人達」


 ランクシングルって皆あんな感じなのかな。


 前髪から滴る雫が頬に当たった。

 今頃家族はどうしているだろう。


 ダンジョンに潜る前に、辛うじて母に朝まで帰らないというメッセージは送ったのだけれど。

 そのままゲートを通過したので返事は受信できなかった。

 早く帰って、借金を返済する目途が立ったことを伝えたい。

 それから。

 もしかしたら妹も退院できるかもしれない。


 俺、都合の良い夢でも見ているんだろうか。

 いつ返し終わるかわからない借金。命懸けの仕事を毎日毎日続けても、全く楽にならない生活。

 病院で無理をして笑顔を見せる妹。大学進学を諦めようしているすぐ下の弟。

 未来のことは敢えて考えない。考えてはいけない。考えたら身動きが取れなくなる。

 それが全部、今日変わる。現実感がない。夢かもしれない。


 目を閉じて。

 すぐにまた開いたら。

 アパートの。

 小さな浴槽の中にいる自分。


 湯気が思考を鈍らせ始めたことを自覚する。

 他人の家で長風呂はまずい。

 顔の汗を拭い、湯船から出る。

 

 脱衣所ではセツがタオルを口に銜えて俺を待っていた。

 その仏頂面が、これは現実なんだと教えてくれる。

 

 その後、ビジネスホテルの一室のようなゲストルームに案内され、俺は泥のように八時間眠った。


 何故経過時間がわかるかと言うと、【時計】が【居室】の滞在時間も測ってくれているから。

 外の時間を表す数字は午後九時で停止したままだけど。


 気配でも読んでいるのか、目を覚ましたと同時に、案内役をしてくれている騎士がドアをノックし、俺を一階のロビーのような空間まで誘導してくれる。


「よ、おはようさん。朝飯食いに行くぜ!」


 怖そうな人はいつから起きていたんだろう。

 半円の形の、名前のわからないソファに座って雑誌を読んでいる姿から、かなり前からここにいたと思われる。

 待たせてしまってなんだか申し訳ない。


 顔に出ていたらしく、怖そうな人は立ち上がり、俺の肩を組んで笑う。 


「しっかり睡眠取ってもらわねぇと。今日はまだ長いんだぜ?」


 そうだった。信じたくないけれど、今はまだ午後九時。

 ダンジョンから出るのは朝だと、ゲート前の職員さんに言っていたじゃないか。

 一日が長過ぎる。


     ◇


 一度ダンジョンに戻ると、同時に他の部屋からも皆さんが出て来る所だった。

 皆でぶっきらぼうな人の【居室】に移動し、朝食。

 驚いたのは、広間を挟んで夜食をご馳走になったのとは反対側のドアを開けたことだ。

 陽射しに照らされた明るい店内。奥には広い庭園へ繋がるデッキスペース。

 開放的な昼間のカフェ。


「向こうは夜用の応接間。こっちは昼用の応接間だ」


 当然ながら【居室】には昼も夜もない。

 そんな部屋の中に空を作る。

 多分レベルが上がれば可能なんだろうけれど、庭園の向こうに見える青空はとても高い。雲のような物も見える。

 その雲の高さに何の不自然さもない。雲って地上から何メートルだったっけ。


「ほら、座れ」


 腕を引かれたことで漸く我に返り、俺も慌てて席に着く。


 それを待っていたように、メイドさんが夜食の時とはラインナップの異なるメニューブックを手渡してくれる。

 お腹は空いてるんだけど、何の遠慮もなく何食もご馳走になることには少し抵抗がある。

 値段が書かれていないから、どれが一番安価なのかわからず余計に困る。


「ミックスサンドとチーズトーストとピザトーストと、シリアル大盛りにサラダボウルとフルーツ盛り合わせ大盛りで」

「焼魚! 鮭と秋刀魚と鮎! 山菜天麩羅盛り合わせと里芋の煮物大盛り、豆腐二丁に納豆とあさり汁大盛り!」


 皆さん、本当によく食べるんですね。

 迷った挙げ句、俺はトーストと卵を頼んだ。


 そしてまた、異常な早さで料理が提供される。


「主様、服できたわよぉ」


 食べ終わったと同時に、夜食の時のオネエが姿を現した。

 俺の横に立つと、【収納】からどんどん畳まれた布を出す。


「Tシャツはホワイトブラックグレーブラウン、袖と裾の長さ別に三種類ずつ用意したわ。パンツはデニム、チノパン、スラックス、カーゴを三色ずつよ」


 え、これ全部俺の服?


「ジャケットも季節別で三枚ずつよ。パーカー、ニット、カーディガンも三枚ずつ。冬物のコートはロングとショートね。マフラーと手袋に、礼服がこっち。結婚式とかパーティにはこれ、葬儀の時はこれ。ネクタイとワイシャツもあるわよ」


 どんどん、どんどん出て来る。


「スニーカー、革靴、デッキシューズ、サンダル、ブーツ。四足ずつね」


 最後に靴を二十足出したところでフィニッシュ。

 とても良い笑顔で指を口元に当てる。


「ダンジョン潜行だけじゃなく、普段から着るのよ? いつ何があるかわからないんだから」


 普通のお洒落な服にしか見えない。とてもじゃないけれど、鎧以上の防御力があるなんて信じられない。

 しかも全部俺が受け取って良いらしい。

 お金、足りるかな。


 費用も気になるけれど、たった数時間で、一人でこれを全部作ったんだろうか。

 他人の表情を読むのが上手いのか、オネエは無言の俺の頬に人差し指を当てる。


「馬鹿ね。アタシの下にお針子が十人いるのよ。二十四時間で出来ちゃうの、優秀でしょ?」


 そのまま優しく、ぐりぐりと円を描きながら頬に指をめり込ませる。


「言っておくけど、ついでみたいなもんなのよ? 主様が新しく連れて来た居候二人の好みが今っぽくなくて困ってたの。あんたが選んだデザインを流用させて貰ったわ」


 俺にとっては数時間だったが、【居室】にいる間、外とは時間の流れが違う。

 何時間滞在しても、外では一秒も経っていない。

 俺が八時間程度で出たのに対し、ぶっきらぼうな人は丸一日過ごしてから出て来たようだ。


 俺の頬から指を離し、オネエは口の端だけを上げて笑う。


「これがアタシ達の仕事なの。『ありがとう』って言って、さっさと【収納】に入れなさいな」

「ありがとうございます……」


 それから思い出したように、爆弾発言。


「あ、インテリアの方も気にしなくていいわよ? あのダサいスーツでガチガチに固めてたの、アタシの嫁だから」


 あなたがた、ご夫婦だったんですか。

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