第9話 古竜の血 1

 探索者協会831番ダンジョン管制支部に、氾濫現象が発生したとの通達がされた。

 自分達の管轄のダンジョンの話ではない。

 何百キロも離れた遠い町の、1755番ダンジョンだ。


 それでも今日だけは、このダンジョンに通達が来るのには意味がある。

 素早くゲート前の職員に【拡声】を使うよう指示を出す。


『1755番ダンジョンにて氾濫現象が発生中です。当ダンジョン内のランクS以下に出動要請はありません』


 要請がないのなら何故わざわざ【拡声】を使うのか。

 ダンジョン潜行中の探索者達は首を傾げた。


 そんな中、九十二階層に挑んでいた一人の探索者が、迷うことなく上階へと続く階段へ【飛行】で飛び立った。九十階層の転送装置へ向けて。


 三十秒後。

 ゲート前の職員は、転送装置から一人の小柄な男が飛び出すのを確認する。


 と同時に、男は低空を飛びながら改札に右手を当てゲート外に出ると、目の前の空間を歪ませ、そのまま減速することなくそこへ飛び込んだ。

 瞬き一度。ほんの一瞬の出来事だった。


 男が消えたゲート前で、職員は支部内に報告する。


銀剣ぎんつるぎのゲート退場を確認! 【転移】発動しました!」


     ◇


 1755番ダンジョンは混乱の中にあった。

 氾濫現象を確認した時、ダンジョン内にいたのはランクC以下の探索者ばかり。

 近隣のダンジョンで最もランクが高い探索者は、隣町で活動するランクBだ。


 悲壮感を漂わせながら、協会職員の数人は装備を素早く身に付けた。

 ダンジョン外の戦闘を覚悟しなければならない。


「ゲート前から報告! 五階層から三名帰還! ランクE一名ランクF二名! 現在ダンジョン内に残る探索者は十一名です!」

「新たに六名、戦闘復帰不能!」

「負傷者は奥に運べ! 回復魔法持ちの職員は全員医務室に向かえ!」


 本来、氾濫現象が起こった際、探索者はランクに応じて定められた地点で防衛を開始する。そしてモンスターを押し戻すのが役目だ。

 だがこのダンジョンには高ランクの探索者がいなかった。

 下層から押し寄せる高レベルのモンスターに対応できず、次々に怪我を負いダンジョンから離脱する。


 支部長はハイヒールを脱ぎ捨て裸足で指揮を続けていたが、初動の遅れを痛感していた。

 ゲート前の職員は動揺し、支部内へ連絡するまでに十五分もかかった。職員になって三ヶ月の新人だった。

 本当なら、三分以内で行わなければならなかったのに。


 そこから協会のネットワークで応援を要請し、三十分以内に到着できるランクシングルがいないことを確認するまでに五分。

 本日SSダブルが潜行しているダンジョンに連絡を取ったのは、更に三分後だった。

 自分達は間違えた。

 真っ先にSSダブルを呼び寄せるべきだったのに。

 そのためにSSダブル達は、自分達がどこにいるのかを前日から教えてくれているというのにだ。


 昨年、協会はSSダブルに関して新たなルールを追加した。


 一つ。SSダブルは常に一人以上はダンジョン内を潜行していること。

 一つ。SSダブルの一回のダンジョン潜行時間は二十四時間。

 一つ。SSダブルはどのダンジョンに潜行するのかを、前日のうちに該当のダンジョン受付に申し出ること。

 一つ。SSダブルが潜行する予定のダンジョンは、協会のネットワーク上に予約がされたことを登録する。


 元々はSSが勝手に自分達に課していた方針を、協会が正式に採用したものだ。

 これにより、いつどこで氾濫現象が起こっても、タイムラグ無しでSSを呼ぶことが可能となったはずだった。


 協会のシステムを職員が使いこなせていない。

 ヒューマンエラーは当然想定していたが、対処がまったく追いついていなかった。


「ゲート前から報告! モンスター、ゲートを突破! ゲートを突破! 外に出ます!」


 悲鳴に近い叫びが支部内に響く。

 これまでか。支部長が唇を噛んだ時。


 何かが地響きと共に建物の前に落下した。


「クソが! 1755番なんて来たことねぇから出口作れねぇし! 1740番から飛んで移動するとか時間無駄にしちまったじゃねぇか!」


 土埃の向こうで、誰かが悪態をついた。

 声が大き過ぎる故に、混乱するビル内にまで届く。

 自身の目で確かめずにいられなかった。指揮本部となっている一階から飛び出し、支部長は目を細めて土埃の中の人影を見極める。


 目測で165センチ前後。姿勢が良い為か実際よりも高く見える。

 光に透ける色素の薄い、茶に近い短髪。両耳にはピアスが一つずつ。円錐の透明な石は、先端が肩に届くほど長い。

 両目の部分にだけ穴の空いた艶消しの白い仮面。

 左腕だけを覆い隠すペリース。

 しっかりと襟まで留められた、チェーンだらけの白いスタンドカラーのシャツの上からでも分かる細腕。

 伸びた背筋と、優雅な足捌き。まるで騎士のような立ち姿。

 そして華奢な体型に似合わぬ、身長を越える銀色の大剣。


「……銀剣ぎんつるぎ


 徐徐に晴れる視界の中で、その男は周囲を見渡しながら再び声を張り上げる。


「あ、やべ! 喋っちまった! ……てか、協会の奴しかいねぇじゃん? じゃ、セーフだな」


 仮面着用中は声を発しない、というSSのよくわからない規律を現れるなり破った男は、目に付く場所にベストの制服姿しかないことを確認して自分に言い聞かせた。


 喋らないのはイメージダウンを防ぐためではないかと疑いたくなるほど口が悪い。

 黙っていれば貴公子のようなのに、と現状に相応しくないのんびりとした感想を支部長は抱く。


 銀剣はゲートの方を見遣り、既に状況が切迫していることを把握すると、今度は天を仰ぐ。


「もっしもーし! 俺だけど! やべぇ! 外に出てる! 当番一人きりの日にこれ無理! 今すぐ手伝え!」


 銀剣は、ここにはいない誰かに向かって語りかけているようだった。


「はあ? カフェ? 新作ケーキなんか丸呑みすりゃいいじゃねぇか!」


 話しながらも足はゲートへ向けられており、大剣を横薙ぎにしただけで風圧で先頭のモンスターの何匹かが吹き飛んだ。


「座標は俺! ここに跳べ!」


 次の瞬間、銀剣を中心に空間の歪みが生まれた。

 その数、四つ。


 支部長は目を疑った。

 四つの歪みから出て来たのは。


 漆黒の大太刀を背負ったロングベストの女性。

 青藍のメイスを担いだ背面の裾だけが長めのフロックコートの男性。

 紅緋の大身槍を片手にした袖の大きなパーカーの長身の男性。

 黄金のモーニングスターを振り回すブルゾン姿の髪の長い女性。


 全員が同じ白い仮面姿。

 SSダブルだ。


「全員いる……」


 彼等が五人揃っている姿など、おそらく協会本部の人間くらいしか見たことはないのではなかろうか。

 普段彼等は単独で行動しており、たとえ氾濫現象の最中でも二、三人が良いところだ。


 確かに今ここは、モンスターがゲートから出るという非常事態が起こってはいるが。それにしても。


「過剰戦力じゃないの……?」


 支部長は力無く呟いた。

 気が抜けたことで、途端に足の裏が痛み出す。

 そういえば靴を脱いだままだったな、と思い出し。

 金棍きんこんの振り回す星球から放たれた広範囲の風魔法で、外にいた全てのモンスターが一掃されるのをぼんやりと眺めた。


 そうして彼等は、呆然と取り残された協会職員の間を縫い、【飛行】で一階層へと飛び込んで行った。


 支部長は未だに点滅を続ける赤色灯と、大音量の警報を鳴らし続ける改札を指差し、そばにいた職員に声を掛ける。


「一人そこの前に残って、収束宣言の準備を」

「え? まだ収まってませんけど?」


 SSが五人も入って行ったのだ。

 待っていればすぐに終わるに決まっている。


     ◇


 警報が止まったのは二時間後。

 その頃にはSSが地上に残していた回復魔法に特化した眷属によって、負傷した探索者は一人残らず全快していた。


 かなりの重傷者もいたはずだというのに。


 支部長は眉間に皺が寄るのを自覚した。

 美容に悪い。

 だが眉を顰めたくなる話だ。

 そんなに簡単に怪我が治ってたまるか、と。


 ついでにその眷属のビジュアルも悪かった。

 どこぞの聖職者のような法衣を纏ってはいたが、顔と手は骨だった。


 スケルトンの僧侶。どこのゲームのラスボスだ。

 実際、どこかのダンジョンの下層にいたモンスターと【眷属】によって契約を交わしたのだろうが、一体ならばまだ納得できなくもない。


 そんなものがぞろぞろと十体も入って来たと思ったら、無言で手を翳し暖かな魔力を流し込んで傷を全て癒した。

 一部の低ランクの探索者は理解が追いつかず気を失った。


 無理もない。

 最も良く知られた眷属というのは、本部長が連れている狼だ。

 凛々しい顔立ちに柔らかな毛並み。それが眷属の代表格だ。

 探索者の憧れの理想のパートナーは、けして何を考えているのかわからない骨などではない。

 眷属は見た目も大事なのだと今更ながらに痛感した。


 そしてもう一つ。

 支部長の顔を険しくする問題が発生している。


 何故彼等は今、支部長室でスコーンを食べているのだろう。

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