第8話 ダンジョン研究者 4
一時間後、肩で息をする僕に、
「ま、こんなもん? じゃあ移動しよっか」
ステータスボードを見ると、青さんに言われて取得したスキルが一律10になっていた。
こんな上がり方をするなんて、一体青さんはどんなスキルを持っているのか。
そしてそんな青さんの各スキルレベルはどんな数字になっているのか、考えるのも恐ろしい。
「あ、その前に。これあげるー」
青さんは僕を振り返り、両手いっぱいの小刀を差し出した。
「さっき下の階層で出たやつ。いっつも出るから、少ーしお裾分けね」
少し。なのかな、これ。
三十本くらいはある。
思わず両手で受け取ってしまったが、これをどうしろと。
「ダンジョンで何かあったら【投擲術】でこれ投げてねー」
「は、はあ……」
両手から零れ落ちそうなそれをどうにか支える僕の姿に何か気付いたらしく、青さんは指を打ち鳴らす。
「ごめんごめん。入れ物いるよねー」
と言うなり、今度は小型のバッグをどこからともなく取り出す。
「これベルトに付けてー」
小刀を入れたところで気付いた。
これ、収納袋だ。
青さんは更に大きめの鞄を取り出し、呆然とする僕の頭から斜め掛けにする。
「さっき出た収納袋。パーティメンバーなんだから、戦利品はちゃんと分けないとね。さ、行くよー」
青さんは転送装置のある部屋の方へ歩き出した。
呆けている場合じゃない。
こんな深い階層で置いて行かれたら死ぬ。
急いでその背中を追いかけると、歩きながら青さんが思い出したようにこう言った。
「そうそう、さっきの小刀だけどー。後で魔力流して持ち主の登録しておいてね。投げても戻って来るようになるから」
下層の武器って、そんな機能が備わっているのが普通なんだろうか。
僕、本当にただで貰っていいんだろうか。
いや、今に始まったことじゃない。
休暇を返上して僕に付き合ってくれていること然り、レベリングを手伝ってくれていること然り。
何故この人はこんなに僕に良くしてくれるんだろう。
「あの、青さん……どうして僕をダンジョンに連れて来てくれたんですか?」
支部長さんが外で同じことを尋ねた時、青さんは「気が向いたから」と答えていた。
「んー? イチの研究は大勢の探索者の助けになるんでしょ? オレも探索者の一人だし、先に『ありがとう』って気持ち表現しただけー」
前を歩く青さんがどんな表情をしているのか、僕から見ることはできない。
けれど声のトーンはずっと同じ。
「僕、何の研究してるか言いましたっけ?」
「聞いてないよー? でもダンジョン研究って、オレ達に何の関係なさそうなものでも全部、結局最後は探索者の命救ってくれるからねー」
一時間前の僕は、同僚達の為に努力しようとしていた。今日ここに来たのも、研究所の為だった。
皆と仕事をするのは楽しい。
好きなことだけしていればいい自分の日常が楽しい。
探索者のことなんてこれっぽっちも考えていなかった。
「あの……」
「それとー。他人のレベル上げてみたかったっていうのもあるしー」
一度やってみたかったんだよ、と青さんは僕の言葉を遮った。
とても。
情けない気持ちになった。
◇
「申し訳ありませんでした!」
協会支部一階で、
「いえ、ダンジョン研究が一筋縄では行かないのは我々も理解しています。頭を上げて下さい」
何も得られずに帰って来たらしいが、画期的な新発見があるなどという期待は元からしていない。
それよりもこんな目立つ場所で大声で謝るのはやめて欲しい。一般人に居丈高な態度を取っていたと噂が立ってしまう。
「探索者協会本部に頼んで開示してもらった統計データでは、日本で五箇所だけアイテムのドロップ率が異常に高いダンジョンがあるんです。ここもその一つで。ダンジョンを構成する何かが他とは違う可能性があって、海外のデータから、五十階層の壁を採取するのが一番だったんですが……」
その言葉に、支部長は顔を強張らせた。
「でも、壁を構成する物質の魔力保有量を測ったんですが平均的な数値しか出なくて。一応、フロア全体から満遍なくサンプルはいただいたので、帰って皆で分析してみます」
「……そうですか」
ここが他よりもアイテムが多い。
日本で五箇所だけ。
胃が痛い。
胃がきりきりと締め上げられている。
「でも諦めたわけじゃありません。必ずポーションを人間の手で作り出してみせます! ポーションを作るための成分の七十パーセントはもう判明しているんです!」
若き研究者はそう宣言し去って行った。
「彼、ポーションを作ってたのか……」
専門だと言っていたからポーション絡みの研究だとは思っていたが、人の手であれを作り出すことを目指すとは。想像よりも険しい道のりだ。
あれは科学でどうこうできる代物ではないと支部長には思える。
いや、今はそんなことよりも。
確かにあの魔法の薬は一般的に五十階層でよく出る。
あれの入った瓶は、全世界のどのダンジョンでも必ず五十階層にいる怪鳥の定番のドロップ品だ。
ダンジョン毎に各階層にいるモンスターは異なるものだが、五十階層と百階層だけは世界共通。全てのダンジョンで怪鳥とドラゴンが待ち構えている。
そして、人間をダンジョンに誘い込む餌のように、五十階層の怪鳥は治療薬を落とすわけだが。
だが。
このダンジョンに限って言うのならば。
百階層のドラゴンもポーション瓶を大量に落とすのだ。
そしてこのダンジョンには、月に一度ドラゴンを倒しに来る男がいる。
日本国内に、そんなダンジョンが他にもう四箇所あることを、協会職員達は知っている。
「おい、青はどこに行った?」
受付のカウンターに目を遣ると、先程までいたはずのあの男の姿が消えていた。
「青なら帰りましたよ。今夜は市内のホテルに泊まって、明日は八時から潜行するそうです」
果物を抱えた女性職員が答える。
だから君の持ち場は二階だろう。仕事に戻れ。
いやそれよりも。『帰る』というのは何だ。
「……曲がりなりにもあいつの家はここだと思うんだが」
女性職員は果物を一つ支部長に手渡す。
「本人が『帰る』と言うので。駅前のホテルの朝食が美味しいらしいです。これは青からです、お一つどうぞ」
そう言うと女性職員はエスカレーターへ向かいかけ、思い出したように付け足した。
「それと支部長、青はいつもここに『ただいま』と言いながら入って来ます」
だから何だと言うのか。あの男の話す言葉に大した意味はない。
その程度の挨拶に意味深な理由など込めるはずもない。
残された支部長は、果物を一瞥し、そして大きく息を吐き出した。
まずは本部に連絡だ。
彼等の根拠地を特定しかねないデータの開示を、今すぐ止めるよう進言しなくては。
三階の支部長室に戻り、専用回線で本部を呼び出す。
「至急対応してもらいたい。うちの
◇
その夜、僕は探索者について書かれたサイトを閲覧していた。
今までダンジョンのことは調べても、そこで活動する探索者にはさほど興味はなかったので、初めて目にするものばかり。
有名なランク
青さんにもあるのかな、と気になったが、名の知られたランクSの中に、青さんらしき人はいなかった。
一通り目を通した後、僕はキッチンでプリンを作った。
一度も作ったことがなかったけれど、必要な材料もレシピも頭の中にあったから、買い物はスムーズに終えられた。
出来上がったプリンを前に、ステータスボードを表示する。
【甘味調理】Lv.1
プリンを一回作っただけではレベルは上がらない。
そんな当たり前のことが僕を安堵させた。
翌日、僕が所属する水剤研究所を探索者協会職員が尋ねて来た。
僕の昨日の探索によるドロップ品の買取額が記載された小切手を携えて。
それは研究所の三年分の予算に等しく。
金額を聞かされた僕は足を縺れさせてしまい、ベルトにつけた収納袋から小刀を室内に撒き散らした。
この資金のおかげで、研究所が人工ポーションの作成に成功するまでの時間は少しだけ短縮されることになる。
そうして僕はいつもの研究所での日々に戻った。
同僚達との日常は楽しい。
好きなことに好きなだけ打ち込める環境が楽しい。
そして。
僕達の作った薬を鞄に入れてダンジョンに挑む探索者達。
そんな未来を想像するのも、少し楽しい。
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