第60話:日本短編小説ロマンス大賞受賞後第1作目後編
その夜、不思議な夢を見たんだ。
長閑な山村の駅の待合室で、キミが帰ってくるのを、色の剥げたプラスチックのベンチに腰掛け、ボクはずっと待っていた。右手には、手作りのフライドチキンを持っている。上手に揚げることが出来たんだ。
終電が駅のホームに滑り込んできた。キミに会える最後のチャンスだ。自然と胸の鼓動が、周りの人にも聞こえるくらいに高く悲鳴を上げた。でも、デパートの大きな紙袋を抱えた子ども連れの家族だけしか、降りてこなかったんだ。駅を出ると、外は低い雲が広がるどんよりとした、三日月の夜だった。虚しく踏み切りの音だけが、いつまでも心に響き渡った。
次の日は誰も降りてこなかった。手作りのフライドチキンは持ち帰って、狭いアパートで、1人で食べた。
更に次の日は、駅員さんが声をかけてきた。今日の電車はもう来ないよ、と申し訳ない顔をする。持っていた手作りのフライドチキンを駅員さんにあげた。
更に別の日は、駅員さんにフライドチキンの御礼を言われた。そして、この路線はもう廃線になるんだ、と言った。頭が混乱し、手作りのフライドチキンを駅のゴミ箱に捨てて、走り続けた。
更に別の日に行くと、長閑な山村の駅は、転圧された土の空き地になっていた。野立て看板には『駅跡地』と書いてあった。無意識のまま中心付近までそっと歩く。手作りのフライドチキンが入っている化粧箱のラッピングを静かに剥がした。転圧された土の地べたに座る。1人で食べた。すっかりフライドチキンは冷たくなっていたんだ。
この夢をどうしてもキミに伝えたかった。なぜ伝えたかったのかは分からない。ただ、必ず、いつかは伝えなければいけない、そんな気持ちがずっとあったんだ。
それから、メールのやり取りが続いた。ボクも必死で文章を書いて、慣れないパソコンの送受信をした。何度か一緒にご飯も食べに行った。映画も観に行った。
ある日、ボランティアの作業に出席したんだけど、すごくストレスが溜まるメンバーばかりで、頭も胃も痛くなるような集まりだった。遅い時間になり、ちょっとイライラしながら家に帰ると、キミは明るく訪ねて来た。会話をしている内に、ボクは何て小さなことで怒っていたのかと気づかされたんだ。とにかく一緒にいると気持ちがいいんだ。亡き彼女のことなんか、全然忘れるんだ。きっと亡き彼女公認なんだと思う。仕事での辛いことも、何とかなるような気がする。本当にずっと繋がっていたかったんだ。
ボクはキミから離れて行った。何の問題もないキミから離れて行った。引越しをしたんだ。早朝からトラクターのエンジン音が聞こえる、心が静かになる場所だ。つまらない苛立ちなんか、どこかに消えてしまうような日常を送っている。キミがいた頃の楽しさや嬉しさは、想い出として、無理に心の中に仕舞ってあるんだ。キミの前に顔を出しても恥ずかしくない人間になれたら、また人混みの中から見つけだして、急ブレーキを踏む。今度はボクがフライドチキンを奢る番だ。
昨日、何もない澄んだ空気の夜空を見上げた。クリスマスイブのときのように、心が洗われるような、真ん丸の、綺麗で美しく、しなやかなお月様がこっちを見ていたんだ。
いまキミも郊外の木造モルタル2階建てのアパートの窓から、この綺麗なお月様を見ていたら、どんなに大きな運命で繋がっていることかと想像したんだ。同じ時間に同じものを見るんだ。2人がデートで映画館に行き、同じシーンで興奮し、同じタイミングで、ひとつのポップコーンを食べるのと同じことなんだと思う。
ボクはキミに逢えない。お互いの新しい人生の為に。だからせめて、お月様を観るデートが出来たら、今のこの不安の、百分の一でも、癒されるかもしれないんだ。
「ねぇお月様、そこから郊外の、木造モルタル2階建てのアパートは観えますか?」
声に出すと、美しい気持ちになれた。
〈了〉
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