第5章 HEY! 夢は叶うゼ! THANK YOU!

第53話:清川不動産の危機

 夏の肌を突き刺すような強い日差しも弱まり、陽が暮れる夕方には、肌寒いと思えるほどの風が吹き始める。公園で元気に遊ぶ子供たちを見守るように植えられている紅葉の木々も、紅く化粧直しを始め出した、そんな季節だった。


 清川不動産はいつもの平穏さが一変して、朝から狂ったように電話が鳴りっぱなしだった。血相を変えて訪れるお客や、怒鳴り込んでくるお客も多い。

 お客ではなく債権者なのだが、事務員は1人で対応に追われる。2人いた営業社員は、派遣社員だった。先々月に1人、先月に1人という具合に、契約を打ち切った。


 事情が全然分からない事務員は、ひたすら謝り、確認出来次第連絡します、と呪文のように繰り返し唱えるだけであった。3月に振り出した180日の手形が交換出来ず、不渡りになったのだ。合計金額2億円、1回目だった。

 

 清川専務は朝礼の為に会社に顔を出したきり、外回りに出かけた。携帯電話は繋がらない。社長は会社にすら顔を出していないが、最近はよくあることなので、事務員は気にしていなかった。


 混乱する中、下請け工務店の社長が勢いよく入ってきた。今にも怒りそうな声で、社長はいるか? といいながら、事務員のディスクの前まで歩く。いません、と短く答えた。


「この手形、どうしてくれるんだ!」


 清川不動産が振り出した手形を、事務員のディスクに叩き付けるように置いた。手形を指で強く、小刻みに叩きながら、質問をしている。


「私の方では分かりかねます」


 事務的に話す事務員の言葉を聞いて、下請け工務店の社長はヒートアップした。


「お宅の社長が、銀行に持って行かれたら困るって泣きついて来たから、この1ヶ月間、金庫に仕舞っといたんだぞ。恩を仇で返す気か! ろくでなし! ウチにだって支払いはあるんだぞ。この1ヶ月間、どれだけ苦しかったか、分かってるのか! 大体お宅の社長、アホみたいにゴルフ行き過ぎなんだよ、車だって高級車に乗ってよ、ウチに払うリフォーム代金使い込んで、遊んでんじゃねぇぞ、泥棒と同じだ。いや、こんなの詐欺事件だぞ!」


「何れにしましても、社長でなければ分からない問題です」

「じゃあ、とにかく社長を出せ!」


「今日は一度も会社に来ておりません。連絡もつかないのです」

「専務もか!」


「はい。電波の状況が悪いのか、携帯が繋がらないのです」

「連絡がつかないって、お前、無責任だぞ! 何とかせぇ!」


「私共も、社長や専務に連絡を付けようと、必死になっているところです。連絡がつき次第、すぐにお客様の方にご連絡を致しますので、今日のところは何卒、この辺でお引き取り下さい」


 事務員も動じることなく、感情のない機械のように、淡々と話した。

 下請け工務店の社長は、言いたいことを言ったせいか、渋々ながらも素直に帰って行った。今度は事務機器販売会社のエリア担当者が、社内を伺うように入ってきた。毎度様です。といつもの調子と変わらず愛想は良かった。


「あの、社長か専務、いますか?」

「2人とも今は外出中です」

「何時ごろお戻りですか?」

「分かりかねます」


 事務員は淡々と言った。担当者は1人で頷く。社内をゆっくり見渡した後に口を開く。


「先月、先々月と、コピー機の使用料金、まだお支払い頂いていないのですが、今、お支払して頂けませんかね?」

「急に言われましても困ります」


「ウチ、が、困っているんです」


 担当者は、が、を強いアクセントで発音した。黒皮のセカンドバックから領収書帳を取り出した。


「すみません。当社は会社に現金を置いていないのです。この旨を社長に伝えますので、明日にでもお金を用意して、こちらからお支払いに行きます」


 事務員は頭を下げる。担当者の表情が変わる。


「いやぁね、10万円程度のお金もないってことは、会社大丈夫ですか? 変な噂も聞こえてくるしね。とりあえずコピー機、今日、下げさせて頂きますよ」

「急に持っていかれたら困ります。仕事になりません」

 

 事務員は声を上げた。


「お金頂けない場合は下げるって、先週社長には言ってあるんだよ。困りますってあなたは言うけど、お金貰えないで困っているのはウチの方なの。大体このコピー機、信販会社のローンが通らなくて、ウチが善意で貸し出しているんだよ。まだ原価も回収していないのに、もう中古機として売らなきゃいけないんだ。ウチは大損をしてるんだから、あなた分かってるの?」


 担当者は表情から怒りを堪えているのが分かった。


「事情はよく分かりませんけど、でも、今、持って行かれたら本当に困ります。どうか社長が戻ってくるまで、待ってください」


 事務員は悲痛に訴え、深々と頭を下げた。担当者は舌打ちをした。


「……分かった。今日は帰るけど、明日また来るから」


 担当者は踵を返し、出口に向かう。

 

 ドアに手をかけ振り返り、コピー機大切に扱えよ、と言葉を吐き捨て、帰って行った。

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