第49話:不景気

 真理は不思議なほど静かに食事をしていた。


 マナーが良いということではない。無、とうい漢字が似合う姿だ。

 久しぶりに一緒に食べる夕食を考え深く感じ取っているようにも見えない。いつものように、忙しい、忙しい、という慌ただしさが嘘のようだ。まるで二流映画の、溜息と絶望が似合う、失恋をしたヒロインのようだ。

 本当に失恋をしたのではないかと疑う。『A』『B』『C』の記載が龍一の頭を過ぎる。


「真理、今日なんか暗いね。いつもの真理じゃないみたい。もしかして失恋でもしたの?」


 冗談交じりで鎌をかけた。

 真理のゆっくりと噛み締めるように動いていた口が、止まった。


「もっと深刻なの……」


 左手に持った茶碗を見つめるように食べていた顔をゆっくり上げ、目頭を潤ませた。


「この家にもう住めなくなるの……」


 蚊の鳴くような声で呟いた。

 突然、想定外の言質に、龍一の頭は混沌とした。話すトーンから、お前は出て行け、という意味ではない事は、まず理解できた。次に真理がこの家に住めなくなる事も理解した。では、私がこの家に一人で暮らす事になるのかと考えた。

 真理の転勤、単身赴任、それとも、どこかに嫁ぐのか、と何通りものストーリーを描いた。


「えっ、どういうこと?」

 

 龍一は短く聞き返す。


「この家を売ることになったの」

 

 真理も短く説明した。


 2人は沈黙になった。黙って鯖の味噌煮を口に運んだ。

 その時、沈黙を破るように、テレビから大きながなり声が聞こえた。2人は視線を移す。司会者が床に転がっている。そのアクションを見て、雛壇に座る大勢のタレントが、オーバーに笑い、騒いでいる。煩雑はんざつな声がリビングにいつまでも響いていた。


 真理の両親の実家も売り、3人でアパート暮らしをするとのことだった。4月末から5月初旬のゴールデンウィーク期間中に、引っ越すとのことだ。

 龍一は何も聞かずに、真理の表情から事情を悟った。


「その時は、私も自分の実家に帰るね」

 

 龍一は卑屈な笑顔で伝えた。


 その日の夜、2階の龍一の部屋に真理が入ってきて、何の会話もないままに抱き合い、2人はシングルベッドで肩を寄せ合い、1枚の布団に包まって眠った。


 次の日、真理は無理に明るく振る舞い、朝食を食べて会社に行った。

 清川不動産は宅地開発に失敗した。今年に入ってから資金繰りが悪化し、方々手を尽くしたが、どこからも繋ぎ融資は受けられなかった。真理の帰りが毎日遅かったのは、そんな事情だった。


 龍一は何とかしてあげたかった。

 実家の両親に必死に談判することも考えたが、負債は数十億円といった。いくら我が家でも現金でそんな大金は持っていない。現金化しやすい有価証券でも、株の持ち合いで所有しているので、大量売却など出来る筈もない。

 結局、何の力にもなれないということだ。

 

 龍一は自分のことに目を向けると、何不自由ないこの優雅な作家未満の生活は、あと1ヵ月程度となったことを念頭に置いた。

 それまでに新作を書かなければいけない。真理のこれまでのご恩に報いるためには、作家になって答えるしかないのだ。

 そして、真理を嫁に貰い、今度は私が真理を養うのだ。一生楽をさせてやるのだ。と龍一は決意した。


 暇を見て少しずつ書いていた、真理をベースにしたOLの成り上がり小説を、もう一度最初から読み直した。大幅に修正と加筆をした。不動産業で手広く事業を行っていた女性社長が、ちょっとのミスで会社が傾き、路頭に迷う。その後、彼氏と力を合わせて、貧困を耐え、生き抜き、リベンジする。

 愛の力は、お金の力を凌駕することを訴えた、恋愛を色濃く出した内容にしようと決めた。

 

 タイトルは、『闇夜にも必ず陽は昇る』と命名した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る