第8話:フライドチキンを食べる
フライドチキン店は活況を呈していた。
商品も求める客が店内から溢れ、歩道に長蛇の列を作っていた。パチンコ店の新規開店みたいだと、木戸龍一はふと思う。
鶏肉を揚げる匂いに撒かれながら、この行列を辛抱強く並ぶところから、日本のクリスマスは始まるんだと、数年振りに考えさせられた。
恐ろしく遠く離れた最後尾に廻る。
牛歩のように30分以上歩くと、暖かい店内に、滑舌のよい店員の掛け声が飛び交うカウンターに辿り着いた。
額に
いや、問い
「3ピースだけでよろしいのですか?」
木戸龍一の注文した数量が間違っていないか、疑問に思ってのことだ。
右隣のカウンターで注文をしている客も、左隣のカウンターでお金の清算している客も、サンタクロースのイラストが描かれている化粧箱に入っているチキンを、2つ、3つ、受け取っていた。
商品パネルを見上げた。
価格と数量を比べた。
お得なクリスマス限定セットに注文の訂正をしようかと思案していたとき、年季の入った紺のスーツを上手に着こなしているOLが、カウンターに並んでいるお客を掻き分けながら、割り込んできた。
「3ピースの注文だけど、どれくらい待ちますか?」
木戸龍一に対面していた店員にせわしなく聞く。
「何ピースのご注文でも、最後尾に並んで下さい。今なら40分程度の待ち時間です」
滑舌よく事務的に言われ、しょんぼりと落胆していた。そのOLに見覚えがあった。取引先の清川不動産の清川真理専務取締役だった。
「クリスマスセットを頼んで半分あげますよ」
木戸龍一は、隣に並ぶ形となった、清川真理の顔を見て声を掛けた。清川真理もすぐに隣を見る。木戸龍一がいることに目を大きくして驚いた。
「あっ、どうも」
一言、恥ずかしそうに口にした。
「本当に? いいの? じゃあお願い、車で待ってるから」
周りのお客を
店の駐車場に廻ると、意外に広い。満車状態だった。
木戸龍一が駐場全体を眺めていると、右の奥の方の車のライトがチカチカと光る。車幅の広いBMWだった。
清川真理が木戸龍一を見つけパッシングしていた。恐る恐る運転席に近付くと、窓を開けて笑顔を振りまく。
「いい車に乗っていますね。はっきりいって近づくのも怖かったですよ」
「会社の車なの。お客様の案内にはいつも使っているのよ」
清川真理はハンドルを軽く2、3度叩きながら言う。
木戸龍一は、お客様を現地に案内する時には高級車が一番ですよね、と同感しながら、フライドチキンを分けようと思った時、クリスマス用の化粧箱一つに纏めて入れられていることに気づいた。
レジ袋の中に入った化粧箱を見ながら、動作が止まった。5秒、いや、10秒、思考が停止した。
清川真理は、クスクス笑い、微笑した。
「専務、ごめんなさい。店に戻って2つに取り分けて貰らいます」
慌てて踵を返した。
いや、ちょっと待って、と声が聞こえたので、また踵を返した。
「木戸さん、今日お1一人ですか?」
「えぇ……、そうですが、なぜ分かるんですか? そんなに私、寂しそうに見えました?」
木戸龍一は、すごく恥ずかしくなった。
見栄を張って嘘を付きたかったが、急にいい嘘は思いつかなかった。
それ以前に、そんなことを聞いてくる清川真理の性格も分からなかった。
「家族と一緒に過ごすのであれば、普通始めから、クリスマスセットを注文しますから」
清川真理は名探偵のように微笑む。
木戸龍一は言い返す。
「3ピース頼んだ専務も、今日お一人なんですか?」
軽く頷いた。
「もしこの後予定がなければ、2人で一緒に食べませんか?」
清川真理は、仕事の打ち合わせでもあるかのように、業務的な顔になって言ってきた。指示に近い。木戸龍一は一瞬たじろいだ。
同時にまた意図を探った。
我が社の業績についてあれこれ聞いてくるのかもしれない。
何か知っているのかもしれない。
今後の取引に影響するのかもしれない。
色々思考したが、何れにしても大口取引先の専務なので、邪険には出来ないのだ。それに混んでいる店内に戻って、多分店員が嫌がるであろう、2つに取り分ける作業をお願いしたくもなかったのだ。
「それもいいかもしれませんね。でも今日クリスマスだから、仕事の、無茶な話はしないで下さいよ」
清川真理は、微笑みながら、分かってるわよ、と何度か頷いた。
木戸龍一はほっと胸をなで下ろした。が、よくよく考えてみると、遅かれ早かれリストラされる。どんな話題になろうとも、もうどうでもいいや、という投槍にも似た素直な気持ちも同時に芽生えた。
「では、どのようにします? 近くのカラオケボックスに行って、こっそりフライドチキンを持ち込みますか?」
運転席を覗き込むように提案した。
「私、一人暮らしだから……」
清川真理は羞恥心を抑えるように言った。
語尾の続きは、どんな言葉が来るのかは分からないが、いつになく笑顔だった。必死だったようにも見受けられた。
車の窓から手を伸ばした。フライドチキンを指差す。
「うちにはいいワインもあるから……」
木戸龍一が持っていたレジ袋を掴み取り、車内に積んだ。この強引さは、仕事中の態度と変わらない。
しかし、31歳の独身女性の自宅に誘われたことは初めてだった。それ以前に、取引先の自宅に行くことなどほとんどない。
お歳暮やお中元は会社に持って行くか、郵送だ。せいぜい戸建て住宅を建てたお客さんの所に、新築祝いを持って行ったときに、執拗にお酒を進められたときくらいだろうか。
専務との付き合いは確かに長い、彼女が入社してから、たぶん10年くらい経った。しかし仲良くお話をしたことは一度もない。
仕事以外の世間話などは、旅行の話、激安店、高級店の話、あとは、スポーツや異常気象や事件事故の話だ。
何てこともない普通の営業の範囲内の話しかしていない。一体何を話せばいいのか分からなかった。
今日自宅に誘うのは、案外立派な豪邸を自慢したいだけなのかもしれない。いや、自分を誘うのは、偶然たまたまではあるが、やはり我が社の実情のことを、噂か何かで聞いて興味があるのだろう。
その点はちょっと気掛かりで憂鬱だが、どんなに厳しい接待でも乗り越え、結果を出してきた自負はある。
第一、女性相手に動揺するのは格好が悪い。また清川専務の私生活にも少しは興味がある。
女性の自宅に招かれた事など、学生の時以来だから尚更だ、と前向きな興奮を覚えた。
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