第7話:みんな楽しいクリスマス

 清川真理が肩を落としながら会社に戻ると、社員全員が営業に出ていた。事務員も外出していた。

 父である社長が奥から顔を出す。


「専務、宅地の件、どうだった?」

「私の顔を見て分からないの?」

「そうか……」


 宅地造成工事は、社長の鶴の一声で決められた事業だ。景気のいい時代に、何度も大儲けをしたことが忘れられないのだ。

 清川不動産は大手ゼネコンの後押しもあり、30年前に創業した。

 宅地造成販売は会社の存在意義そのものなのだ。


「専務も、もっと愛想よくしないとな」

「私はいつも笑顔ですよ」

「それなら1区画くらい売れてもいいんだけどな」


 社長がにやけた表情で言った。

 清川真理は、その物の言い方に激怒した。


「社長、大体、あんな何もない不便な場所、いくら安いからって売れる訳ないでしょう! いい加減、バブルの不動産屋みたいなことはやらないでよね! いつまで夢見てるの! 今度問合せがあったら、社長が案内に行ってよね! 私はもう知らないから!」


 清川真理の剣幕に社長が唖然とした。


「まあまあ、そう言うなよ」


 社長は何とか場を取り繕うとしている時に、事務員が戻ってきた。

 社長と専務の表情を交互に見て、


「あっ、これ頼まれたものです」

 と手に持っていた封筒を社長に渡す。


「ありがとう、みゆきちゃん。これで我が社はさらに大きく発展するぞ」


 よし、よし、と明るく頷きながら、奥の社長室に消えて行った。


 清川真理は気を持ち直してディスクワークに着く。


 会話もなく黙々と賃貸契約書を作成していると、事務員は頻りしきに時間を気にしていた。そわそわしている。それを見ている清川真理まで、落ち着かなくなる。


「みゆきちゃん。時間すごく気にしているようだけど、何かあるの?」

 嫌味を込めて言う。


「あっ専務、ごめんなさい。でも、今日って、クリスマスじゃないですか」

 事務員は目を大きくして言う。


「それは知っていますよ」

 訝しげいぶかに事務員を見る。

「で、彼氏とお洒落なレストラン、行くんですよ。その前に、いろいろと準備しなきゃ」

 事務員は目尻を下げていた。


「なんか彼氏からプレゼントでも貰うのかしら」


「クリスマスは今年一番感銘を受けた本の交換をするんです。その本に色々とメッセージを書き込むんです。それが凄く楽しみなんです」


「どういうこと?」


「例えば去年、彼がわたしの為に、本に書き込んできた中で一番感動したことを言います。ちょっとベタな例ですが、主人公の太郎君と彼女の花子ちゃんが、一緒に夜景を観ていました。〈花子の笑顔を見ていると、この夜景が霞んで見えるよ〉とセリフがありました。そこに赤線を引きます。そして、注釈のメッセージをページの隅の空欄に書き込むのです。《僕なら、そんなことは当たり前の話だから、そもそもみゆきと、夜景などという下品な物は観に行きません。しかし、どうしても行かなければならない事情があったら、〈この夜景を観ていると、みゆきの笑顔に対抗しようと必死に頑張っている電気達の苦労が、痛々しいほど伝わってくるよ〉とのセリフを言います。この違い分かるかな?》って書き込んであったんです。超感動して、本当に彼と夜景を観に行って、同じセリフを言ってもらったんですよ」


 事務員は話ながら、自分の世界に入っていた。


「若いっていいわね」

 先ほどにも増して嫌味を込めて言う。


「23歳なんて全然若くないですよ。あっ、違います。大人の世界の31歳は全然若いんですけど、子供レベルの23歳は若くないっていうか、何ていうか……」


「お気遣い、ありがとうございます」

 清川真理はパソコンの画面に目を移し事務的に答えた。


 事務員はしばらく様子を伺う。

 パソコンの画面と清川真理の顔を行ったり来たり、キョロキョロと見ていた。目の動きは振り子のようだ。

 特に憤慨している気配もないと判断し、胸を撫で下ろす。


 まだ話し足りなかったので、続きを話し始めた。


「今日、仕事終わったら、レストランに行く前に手作りでブックカバーを作るんです。可愛い色紙はもう買ってあるから、あとは可愛いイラストでも描こうと思っているんですよ。本のメッセージは先月読みながら書き込んだから、OKなんですけど、でも、もう一回読み直してみようかとも思っているんですよ。冷静になって読み直したら、意外と恥ずかしいかもしれないから……」


 得意になって話す事務員に対して、清川真理はただ相槌を打っていた。


「専務は今日、何をするご予定ですか?」


 事務員は屈託のない顔で何気に質問をする。


「仕事以外にやることなんかないわ」


 言葉を吐き捨てて言ったことに事務員は、余計なことを聞いたと後悔した。


 緩みっぱなしの頬を引き締めて、すぐにパソコンンに目を移す。急にキーボードを叩きだした。清川真理は事務員のクリスマスに対する熱意なのか、想いなのか、何れにしても感情に触発された。


 今日ぐらい仕事を定時であがり、伸び伸びと楽しく、子供のように過ごすのもいいと考えた。


《のぞみ、久しぶりのメールです。今晩クリスマスだけど、何やっているの? 1人で過ごすなら女子会やろうよ。 真理》


《みすず、久しぶりのメールです。今晩クリスマスだけど、何やっているの? 1人で過ごすなら女子会やろうよ。 真理》


 同じ内容のメールを今日一緒に過ごせる可能性の高い、独身の友達二人に送信した。送信し終わると事務員のように、そわそわしてくる。

 すぐに携帯電話のメール用の着信音が鳴った。


《真理、1ヶ月ぶりくらいだね。今日誘うってことは、まだ彼氏いないんだ。あたしは、先週行った合コンで彼氏が出来ました。クリスマス用みないな(笑)。だから無理です。ごめんなさい。のぞみ》


 しっかり者ののぞみらしいメールだった。

 事務員が何気に、さりげなく、専務の様子をちらちら見ながら、帰り支度を始め出した頃に、みすずからもメールが着た。


《ごめん。メール今気づいたの。今日と明日、有給取ってて、今、何と、1泊5万もする温泉に来ているの。2名様1室ご利用の料金だけど。真理も早く彼氏作ったら? 私、クリスマスに男いなかったこと一度もないけど、ちょ~寂しくないの? お土産に温泉饅頭でも買って、愛?と一緒に持って行くよ(笑)。 みすず》


 清川真理は意地でも今日、何かをしなければいけない使命感にも似た興奮状態になる。



 事務員がタイムカードを押した後に、すぐに会社を閉めた。

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