第6話:清川真理
今年31歳になる
郊外の自社で宅地造成工事をした、30区画を販売している。
腕時計を見た。
待ち合わせの時間はもう過ぎているが何の連絡もない。
綺麗にアイロンの掛かった紺のスーツに着崩れがないか、今一度確かめ、携帯電話で相手に連絡を取ろうとした。
その時、遠くから自動車の走行音が聴こえたので、一旦、携帯電話の操作を止めた。走行音が聴こえる方向を見る。
ピカピカに洗車された、幅の広いベンツに乗って現れたのは、親子三人の家族だ。40代に見える旦那は、レザーのハーフコートを羽織り、中には派手な柄のセーターを着ている。髪を茶色く染めた奥様は、赤いエルメスの鞄を手に持ち、白のダウンジャケットにジーンズといったカジュアル姿だ。20代前半にしか見えない。子供は小学2~3年生くらいだろうか、携帯用ゲーム機で遊んでいる。
お金はありそうだが、旦那はきっと、不安定な、人には言えない職業に付いているのではないか。銀行の審査はまず通らないだろう。ならばキャッシュで土地を購入することが出来るのか、どうなのか、清川真理は想像した。
「こんな所か」
旦那は開口一番に言葉を発した。
「こんにちは。ここはまだ宅地造成したばかりなのです。これからこの場所は、どんどん賑やかになりますよ。この土地1区画の面積が80坪と、大変広くなっているんですよ。お庭や家庭菜園なんかも造れますよ」
清川真理は、家族に頭を下げながら近づき、熱心にセールストークを始めた。
旦那の第一声を聴いた長年の経験から直感した。
この分譲地に来るまでの、何もない街並みの状況を始めて知った家族は、車内での会話で、すでに買う意思はないと決定した、そんな感じだ。
「あたし運転免許無いんだけど、交通機関って、どうなってるの?」
奥様が聞く。
「車で5分ほど走ったところにバス停があります」
「そんなの全然無理でしょう」
「この場所に路線バスが来る計画はあります。この宅地が全部埋まった頃には、問題ないかと思います」
清川真理は希望的観測を述べた。
「子供の学校は?」
「この地域にはスクールバスが出る筈です」
歩いて通える距離に小中学校はないので、必ず行政は、何らかの対策を取るに決まっているだろうと踏んでいる。
「スーパーは? ドラックストアは? ホームセンターなんかにも、ガーデニングの材料を買いに、最近よく行くんだけど……」
「車で10分程度の所に、郊外型の大型スーパーがあります。大体の物は売っていますよ」
ピカピカの自慢のベンツで、猛スピードで走れば着く話だと、清川真理は心の中で可笑しくなった。
「病院は? 婦人科だけど」
「この町ですと、どこにお住まいの方でも、皆様、中心部の大学病院に通院されていますよ。そこが一番、腕がいいみたいですね」
清川真理が話し終えると、家族は話し合っているようだった。
子供はゲームに夢中だ。
旦那が近づいてきた。
「ここ、誰か買った人いる?」
旦那は呆れた口調で聞く。
「売り出したばかりなので、まだ成約に至った人はいませんが、ご検討されている方なら何人もいますよ」
「売り出したばかりといっても、もう4か月は経っているよね。まだ1人も買った人いないんだよね」
「はい……」
「オバサン、遊園地はないの?」
ゲームを止めた子供が、突然思い付いたように言った。
遊園地なんてどこにもね~よ、見て分かんないのか、このクソガキ。大体何がオバサンだ、まだ31だ、と心の中で叫んだ。
頬を引きつらせながら、笑って、相槌を打ち、聞き流した。
「多分、誰も買わないんじゃない。はっきり言って何もない不便な山の中だからさ。いくら坪8万円と言ってもさ」
旦那は結論めいたことを言う。
「土地代を抑えて、上物の家を豪華にすることが出来ますよ」
少し考え込んだ様子だったが、奥様は、まるっきりこの場所に住む気はない様子だった。子供の手を引く。
「パパ、ママが帰るって。早く玩具屋さん行こうよ!」
子供が叫び、旦那が視線を移す。
「もうそんな時間か。お姉さんごめんなさい。今日クリスマスだから、これから息子に玩具買ってやって、家族で食事するんだ」
慌てた仕草でベンツの方に向かう。
「お客様、どうしますか」
清川真理が呼び止めるように聞く。
旦那は振り向き「勿論、買わないよ」と言ってピカピカに洗車されたベンツに乗り込んだ。
買わないのは分かるが、勿論、とはどういうことだ。
折込みチラシにもホームページにも住所は記載してあるのだから、自分で調べて勝手に見に来い。
私を呼ぶということは買う気があると思うだろう。
面倒をかけさせやがって、と憤慨した。
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