第5話:クリスマス

 希望退職者の届出日の締め切りまであと僅かに迫る。


 木戸龍一はいつも通りに仕事を終え、8畳一間の不衛生な安アパートに帰る。


 くたびれた様子で、手に持っていたレジ袋からコンビニの弁当を取り出し、テレビを点けた。イルミネーションに彩られた公園を闊歩し、写真に収める若者の姿や、子供の手を引きながら、買い物を楽しむデパートの様子や、男女がグラスを重ねて豪華な料理を食べるレストランの映像が、次々に映し出された。


 クリスマスイブで浮かれている世間を尻目に、唐揚げ弁当を頬張る。勢いよく口に頬張ったので、喉が詰まる。数日前に買った2リットル入り烏龍茶のペットボトルに口を付け、流し込んだ。


 クソッ、唐揚げまでオレを困らせる、と不愉快になりながら、いろんなお客さんから起業について訊いたことを総合的に判断していた。


 どのような業種の商売を始めるにしても、200~300万円のお金なんて、あっという間に無くなるよ。

 前家賃の数カ月分や机や椅子、電話やFAXなどの事務用品、看板やチラシといった宣伝広告費など馬鹿に出来ないからね。

 人件費を掛けずに1人で商売を始めるにしても、初期投資の費用だけでも、お金は全然足りないと思うよ。

 飲食店を始めるにしても設備の購入費や原材料の仕入れもあるから、準備資金、一桁違うよ。


 と、みんなが口を揃えて言う。


 人の意見に流されて生きてきたことはないが、みんなが同じことを言うので、無視が出来なくなっていた。実用書を読んでみても、やはり、それなりの資金は必要だと書いてある。予定外の、万が一の時の余裕資金も、少しくらい用意していないと、軌道に乗ったところで倒産する危険性は高いらしい。

 

 周りから脅かされたからという訳ではないが、起業は半分諦めかけていた。


 ぼんやりと転職先を考える。




 HEY、転職先を考えれば考えるほど、オレを苛つかせるぜ! 経営陣がバブルの落とし子、だからいけないんだぜ。AND、田舎にマンションおっ建てて、誰が住むか山の中。完成時から値引、値引でもう半値だぜ。SO、投資物件にはなりません。もう本当に住む人探さなければいけねぇけど、学校もスーパーも病院もありますよ、SO、車で走って20分、ってそれ冗談か。バス停に行くにも車が必要、夜景でも観られりゃ、金持ち相手に、サイドハウスに最高です、MORE、お客様ぐらいになると、みなさん別荘感覚でお持ちですよ、って騙すことだって出来るのに、夜景が遠過ぎ、ショボ過ぎ、低層階に至っては何にも観えない、AND、周りの杉の木、松の木、白樺の木、背高すぎなんだよ、切り倒せ。売り出し文句は、長閑に夏は蝉の声、だ。アホ、バカ、死んでしまえ。幾ら物件安くても、蟻の大軍、蛾の大軍、虫が多くて住めません。花粉症の人間には地獄そのものだぜ。さっさとマンション一棟ごとブローカーに全部売らんか、迷い迷って固定資産税の下敷きだ。LOST、オレが地べた這いずり廻って、大地主に頭下げまくって建てた、アパート、マンションの売上げ、全部銀行の支払いに消えてるんだよ、こんなの有りか、有りえない。先ずは社長が辞めれ、専務が辞めれ、禿げ頭の課長が辞めれ、お前ら無能で給料高過ぎなんだ。AND、建設業界には明日はない。ってそれウチだけか。DA・KA・RA、同業他社に勤めるのが一番いいんだぜ、13年間の営業トークが生かせる、冴えわたる、即戦力だ。BUT、オレの営業方針、同業他社の、誹謗中傷、悪口雑言のオンパレードだ。有りもしない噂を流して、地域売上ナンバーワンも勝ち取った事があるんだ、業界人はみんな知ってる、心の中じゃあ、みんなこのオレぶっ殺したい、そんな空気が肌で感じるんだぜ。舌の根も乾かん内に他社物件なんか褒めて売って歩けません。ってか、雇ってくれる訳がねぇんだぜ。SO、300万円で何の起業が出来る、飲食店だぜ。TOO、友人のラーメン屋の利益率七十パーセントを超えてたぜ。一杯700円のラーメン1日30杯売って2万1千円也、月25日営業して52万5千円也、70パーセントの利益率で計算すると、36万7千5百円、1年で計算すると、年収441万円だぜ、今の年収とほとんど変わらないぜ、ノープロブレムだ。オレが作るラーメンなら、MORE、値段が高くたってもっと売れるぜ、予想は年収600万円だ。チェーン展開全国10店舗で年収6千万円、100店舗で6億円だぜ。YES、夢の6億円。ジャンボ宝くじと互角の勝負、いや、これは運じゃないぜ、実力なんだ、確実だ! DA・KA・RA、オレの成功妬んでいる奴らが足を引っ張る、起業に反対する、散々借金地獄になると脅かす、それでいて何の代替え案もオレに言わない。教えない。SO、みんな抵抗勢力だ! THANK YOU。


 木戸龍一は唐揚げ弁当を平らげ満腹になり、万年布団に横になった。クリスマス一色のテレビをまた観た。一人暮らしを始めてから、季節感の無い生活を続けていたことが、何か大きな損をした気持ちになっていた。テレビに映っている人達のように、満足にクリスマスも恋愛もしてこなかった。だから視野の狭い、潰しの効かない、会社人間になり果てたのだ。今さらになり、いや、今だからこそ、悔やみ、口惜しく、自責の念に駆られた。今年からは毎年12月25日前後には、クリスマスを連想出来るものを食べて、人並みの人生を歩もうと考えた。


 近所にあるフライドチキン店に歩いた。

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