第2話:ラッパーという二重人格

 木戸龍一は2階の窓の向こうの、どんよりとした寒空をぼんやりと眺めていた。

 脱脂綿のような小粒の雪がふわふわとちらつく。


 もう早いもので12月になったのだと実感する。大学を卒業してここに引っ越してきたときは、学生気分が抜けず、気の合う友達とよく馬鹿騒ぎをした。

 隣の住人から怒鳴られ、大家からは厳重注意を何度も受けた。


 会社の同僚と富裕層向けの高級住宅のブランドを創って日本一の建築屋になろうと、朝まで飲み明かしたこともある。


 クリスマスには当時の彼女と二人で、コンビニで売られている1個のショートケーキを分け合い、将来オレは、何不自由なく暮らせるだけのお金を稼ぐから、子供を5人くらい作って、お前はオレのような立派な子供を育ててくれ、などと愛を語り合った事もある。

 

 この、社会人としてスタートを切った木造モルタル2階建ての安アパート2階の角部屋で、何年、時を過ごしたのだろう。


 いろんな物語があったと、ふと回想する。

 コンクリートの街並みから、冷たくて固い寒風が、心の奥まで突き刺す。


 コンビニ弁当やカップラーメンを食べたあとの容器や、読み古した雑誌、脱いだままの衣類、出鱈目でたらめに分別したゴミ袋の山などで、8畳一間の空間は埋め尽くされている。ハンガーに掛けられた背広のポケットを貪る。


 よれよれの煙草を1本手に取り、一服大きく吹かす。窓を閉めた。


 座卓の上に乱雑に置かれた、空き缶や灰皿を床に置き、ノートパソコンに電源を入れた。


 求人サイトを検索する。


 1日では見られ切れない量の募集広告があった。外食産業のアルバイト、日払いの土木作業員、業務内容がよく分からない調査員、年末限定配送員や工場の作業員などだ。

 絞り込み検索機能を使い、35歳以上、男子、正社員、社会保障完備、と打ち込んだ。検索された件数は意外と多かった。

 

 現状とさほど変わらない給料を貰える仕事を探す。

 

 保険の外交員や中古車販売業などがあったが、歩合給制でノルマが有る。コンピュータ―技師や、建築設計事務所や不動産鑑定士などは技術や資格を必要としていた。

  



 HEY、どうなってるんだ、この世の中。社会、日本、オレ様のような優秀な、いや、超優秀な人間様が、転職もできねぇって、可笑しくないか、七不思議だぜ。社会に与える損失、計り知れない、日本のGDPは大きく急降下! AND、オマエもこんなちっぽけな日本で働いているなら、海外に転勤した方が良いぞ、オレが働かない日本に未来はないぞ沈没だ。子供も爺さんもみんな太平洋に沈んで溺れちゃうんだ。ウチの近くは日本海だ、って屁理屈言うなよ、日本海も、オホーツク海も、東シナ海も、みんな繋がっちゃうんだ、だったら何海になるんだ、そんなの資本主義の常識、大は小を呑み込むんだよ、太平洋ってことで決まりだよ。SO、国民の皆さん、中国大陸に渡って、人民に賄賂送って、さぁ安泰。オレは日本に裏切られたぜ、納税の義務果たしてんのに、我が社は傾き続けて早や3年だ。夢と希望を膨らませて13年前にあんな会社の門を叩いちまった。ここから人生をスタートさせた。新卒だぜ、新卒の何も分からない社会人未満の時に、会社概要案内とホームページと会社の建物と面接の雰囲気だけで、青春の全てを捧げたんだ。AND、どんなことがあっても挫けず、めげず、会社に莫大な利益をもたらせたんだぜ。億の売上げ作った、何が不満だ、何が悪い、MORE、オレに感謝しれ! 他のボンクラ社員、無能で無気力で無関心で無責任だから悪い、会社の扶養家族だ、オレに威張るな、敬語で話せ、茶でも持って来い! NOW、ライバル会社はこのご時世にボーナス出たんだ、ボーナスだ。こんな言葉はもう死語だと思っていたら、突如出現、災いは忘れた頃にやってくるって、これって災い? とにかくもうパニックだ! オレこそ貰って当然、欲しいよボーナス、入る会社を間違えたぜ。新卒時にオレの一生を左右すること決めさせるんじゃねぇよ。DA・KA・RA、世の中の仕組みが悪い、政府が悪い、政治家が悪い、一票入れた有権者が悪い、オレも有権者? とにかくボーナス貰った想像するぜ、夢ぐらいは見させてくれよ、行ったこともない高級レストランでステーキ食べてる想像しながら、二十四時間開いてる牛丼屋で、並盛口の中に頬張り込むぜ。オレの生活全部そう。我慢に我慢を重ねた結果、言うに事欠き希望退職者募集だって? 何それ? 何かの間違いって耳を疑うありえない。社内の空気最悪、最低、疑心暗鬼の伏魔殿。毎月社員が辞めていく方程式は、優秀、若い、独身者の順だぜ。オレって35歳の独身だ。ギリギリ再就職有りそうな、当落線上、紙一重。今じゃあ一番若いぜ、これって、次はオレって、独身で若くて優秀なオレってことで、探してますけど、只今苦戦中。この13年間の人生返せ、糞野郎! オレが人間として成長する確かな時間を無駄に浪費した。今まで貰った給料全額返してやるから、時間を返せ、若さを返せ! 青春のすべてを返せ、失った代償は計り知れないんだぜ。無能経営陣の、無駄、無意味、不毛な時間と違って、オレは人物自体、物が違うんだぜ、物がよ。時間当たりいくら稼いでいたか計算しれ! AHO AHO、上がアホなら下はBAKAになる。こんな不幸があっていいのか、SO、貴方に人を雇う資格はありますか? って聞いてやりたい、言ってやりたい、辞める最後に言ってやるぜ。

THANK YOU。




 自己陶酔じことうすい被害妄想癖ひがいもうそうへきが人一倍強い木戸龍一は、一人で部屋に籠って自問自答を始めると、情緒不安定になるのであった。


 突然、思い出したかのように、喜び、自惚れ、自意識過剰のまま、興奮し、怒り、狂い、心の中で繰り返し叫ぶ。所謂いわゆる、軽度の人格障害者なのだ。


 木戸龍一は、まだ長いが吸っていた煙草を、吸い殻の溢れた灰皿に強く押し付けた。部屋に引きっぱなしになっている万年布団に横になる。

 

 大きな結晶のような黄ばんだシミのある天井を見上げた。引っ越してきた当時より、かなり大きくなったと、自分の成長と重ね合せた。


 口元がかすかに動いている。まだ不平不満を胸に抱えているようであったが、酸素の少ない水槽にいる金魚のように見えた。

 


 そして金魚の目はゆっくり閉じ、仮眠に就いた。

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