第33話

 総一朗の家の前の坂道の下で車を降り、家の門までの坂道を健介は駆け上がった。

 

 家のどの窓にも、雨戸が閉められている。

 裏に回って、中へ入れる窓がないかを探す。

 竹林が迫る裏庭に、一畳ほどの小屋があった。家の建物との間には、細い通路が作られている。

 磨硝子の窓があった。

 拳で窓を割り、鍵を開ける。

 素早く割れた硝子を取り除き、靴を脱ぎ、体を折り曲げて中へ入った。

 廊下になっている。裏庭に面しているためか、昼間でも薄暗い。


「仏壇はどこだ?」

 誰に言うともなく叫びながら、健介は家の中を進んでいった。

 廊下を表のほうへ戻る途中に、十畳ほどの和室があった。その壁に、どっしりとした黒い仏壇がある。

――仏壇の上の天井にある。

 総一朗の言葉を思い返しながら、健介は玄関のほうへ戻り、椅子を持ってこようと台所へ行こうとしたとき、廊下の奥に脚立があるのに気づいた。

 脚立に乗ると、じゅうぶんに天井に手が届いた。

 天井板はどうやって取り外すのか、健介にはわからなかった。だが、考えている暇はない。闇雲に動かしてみる。すると、ぱかりと板が外れた。

 脚立の一番上に立ち上がり、天井袋に体半分を突っ込んだ。


「あれか」

 薄闇の中に、こんもりと膨らんだ物が見えた、腕を伸ばして、こちらへ引き寄せる。

 布で巻かれているようだ。

 明るいところへ持ち出して、巻かれた布をほどいてみた。


 一本の簡素な刀が出てきた。長さは五十センチほどか。知識の中にある日本刀に比べると、短く、反ってもいない。触れた指先が黒くなった。長い間使われていなかったようだ。

 さやをはずしてみた。

 刀の部分にさびはなかった。窓からの日の光にうねった波紋が輝く。

 これで山拐を倒せるのか。

 わからなかった。総一朗の話をまだ全面的に信じているわけではない。だが、頼れるものはこれしかなさそうだ。


 健介は割った窓からふたたび家の外に出て、小菱田たちが待つ山へ向かった。



          山拐



 健介が戻ると、同じ場所で、小菱田たちは木立の奥を探っていた。


「何か、動きがありましたか」

 全員が、不安気な表情で振り返った。


「西尾さん、それは?」

 オヤジさんが健介の手にしている刀に目をやった。

「総一朗さんのところから借りてきました。何かのときに使ってくれと」

 そう返したとき、声が響いてきた。

 おじい。

 おじい。

 そう呼んでいる声がする。


「虎太郎か?」

 オヤジさんが、叫んだ。


 声は、土砂をどけた林道の、ずっと奥から聞こえてくる。

 秋生が斜面を駆け下りた。佑樹、美月も後を追う。

 ゆこあみ組のトラックを先頭に、三台の車が走り出した。

 トラックは、山の奥へ奥へと進んでいく。


「ここからは車は無理だ」

 オヤジさんの言うとおり、林道はすぐ先で途切れている。

 トラックを止め、健介たちは、薄暗い獣道を進むことになった。

 朽葉の匂いが濃い。

 昨日の嵐が森を蹂躙していた。

 木々の枝が湾曲して斜面に折れている。空間を二つに割ったように、大木がなぎ倒されている。剥き出しになった根元は張り裂け、大きな穴を作っている。

「北のほうやな」

 しばらく進むと、森は様相を変えた。何本もの原生林を思わせる太いケヤキが、行く手を阻むようにそびえ立っている。


「すげえ。お宝の宝庫じゃん」

 秋生が叫んだ。健介も目を見張った。ここは手付かずの森だ。

 網の目のごとく頭上を覆う木々の枝が、ザワザワと揺れている。

 青い空は、網の目の隙間から、申し訳程度にしか見えなかった。大木から伸びる枝がたっぷりと赤茶色の葉を茂らせ、頭上を覆っている。

 

 頬に雫が落ちて、健介は手のひらで拭った。雫は歩くたび降りかかってくる。

 

 足元を下草に取られ、思うように進めなかった。水を含んだ枯れ草がつるつると滑る。

 頭上でバサっと羽ばたきの音がした。大きな灰色の鳥が飛び立っていく。


「どうしたの、秋生」

 いちばん後ろを歩いていた秋生に、美月が声をかけた。

「なんか、感じるんだよ」

「感じるって」

「なんて言っていいかわからないけどさ。いつもの森と違う感じがするんだ」

 キキキッーと、どこかで鳥が鳴いた。続いて、別の鳥が鳴く声も続く。

「俺も感じるよ」

 佑樹が振り返った。頬に小さな茶色い枯葉が付いている。それを払ってから、頭上を見上げた。


「もう少し行くと、ここは沢に出る場所だ。あの沢は立ち入り禁止区域になってるはずだ。だから、僕らはこの先へ行ったことがない」

「立ち入り禁止?」

 そんな場所があるとは知らなかった。

「森林組合で決められとる」

 答えたのは、社長だった。

「だから、ここは手付かずなんですね」

 健介が言うと、小菱田が声を上げた。

「この先には、神尾井村で、昔からくぐりの穴と言われとる沢があってな。危険な場所で、そのせいもあって立ち入り禁止になっとる」


「くぐりの穴?」


 美月が怯えた顔になった。

「そうや。沢の真ん中あたりにな、水が急に深くなっとる場所があるらしい。大きな岩がある場所にな、小さな石で侵食されてできた穴やろう。それがどうも、トンネル状になっとるみたいでな。水がぐるんと岸の反対側へ湧き出る」

「だから、くぐりの穴。気味が悪いな」

 秋生が震える声を出すと、佑樹が応えた。

甌穴おうけつみたいなもんだろ」

「甌穴ってなんだよ」

「水で渦ができるだろ。それが同じ場所で起こったとき、長い間に侵食して穴ができるんだ。自然現象だよ」

「おまえに言わせると、なんでも論理的な答があるみたいだけど」

「ところが、そのトンネルは深くて長いようなんや。くぐりの穴に入り込んだ生き物は、長い間出て来られん。季節が変わった頃、ふいに反対の岸へ浮かび上がるそうや」

 

 おじーーい。

 

 全員の顔に緊張が走る。


「おーーーい、虎太郎」


 秋生が叫び、美月も続いた。


「虎太郎、返事をしてーー」


 返事はない。だが、耳を澄ますと、かすかに下の方から、ふたたび声が聞こえてくる。

「急ぐぞ、あっちだ!」

 健介は駆け出した。

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