第31話
「おーい、虎太郎!」
「虎太郎、どこだ~」
三手に分かれて、声を張り上げた。社長とオヤジさんが右手の尾根続く道を向かい、健介と小菱田は真っ直ぐ林道を、ゆこあみ組の三人は、左の沢のほうへ歩いた。
「隠じい、どこや~」
「返事をしてくれ」
十分、二十分と歩き回っても、虎太郎の姿はなかった。
木漏れ日は踊るように降り注いでいる。露に濡れた葉が輝き、鳥の声もかまびすしい。
「もしかして、この山にはいないのでは」
こんな明るい場所で、この山をよく知る虎太郎が迷うとは考えられない。
「そっちはどうだ~」
ゆこあみ組に向けて声を上げた。いないと返事がある。一旦、元の場所へ戻るべきだと、健介は前を歩く小菱田に提案した。
「もっと遠くへ行ったのかもしれん」
元の場所へ戻ると、社長とオヤジさんも、斜面から下りてきた。ゆこあみ組も上ってくるようだ。
話し合いの結果、袈裟山を超えて、その先を探すと決まった。
「明見山ですか」
佑樹が沈んだ声を上げた。秋生と美月も、心配そうにオヤジさんを見る。
「歩いて行ったとは考えにくいが、これだけここを探してもおらんとなると、それしか考えられん」
一旦、車を取りに村まで帰り、それから出直すことになった。
車は三台に分かれた。健介は社長とオヤジさんが乗るバンの後部座席に乗った。小菱田は一人で進む。
「まだ日は高いが、暮れるのが早い時期だ。特に山ではあっという間に夜が来る」
車が動き出すと、カラスの群れが、村の空を明見山のほうへ飛んでいくのが見えた。
健介は嫌な胸騒ぎを覚えた。それを杞憂だと振り払う。
バンが、先頭となって進んだ。続いてゆこあみ組のトラック。最後は小菱田だ。
途中、何度も林道を塞ぐ倒木や岩をどけなければならなかった。奥へ行くほど、被害は大きくなった。誰もが、道々、脇の林に目を凝らした。虎太郎と隠じいの姿はない。
秋生と美月だろう。車の中から、虎太郎を呼んでいる声が聞こえる。
丸橋林業の管理地に入った。はじめの目的地だ。だが、停まって見回るわけにはいかなかった。まず、虎太郎と隠じいを探すのが先だ。
「ひどいな」
車の窓越しに斜面を見上げ、健介は思わず呟いた。
苗木が植えられた斜面だ。まだ頼りない若木が、ほとんど倒れてしまっている。
前の座席から、社長の呻きに似たため息が聞こえてきた。
「苗木が流されてしまっては、投資分が全部、水の泡や」
バックミラー越しに、オヤジさんの顔が見えた。沈痛な表情だ。森に植栽するのは、庭に苗木を植えるのとはわけが違う。木を伐った場所の雑草を抜き、地ならしを行い、苗木を植えたあとは周りに伸びたツルを刈る。手間と時間をかけて守ってきた苗木なのだ。
谷を抜け、峠を超えた。昨日の雨が嘘のような、やわらかな日差しが降り注いでいる。
下り坂だった林道が上りに変わり、道が悪くなった。ここまで来ると、通るのは林業関係者の車だけだ。当然舗装もされていない。
水たまりの穴に入り込んだか、ガタンと車が揺れた。水しぶきが飛ぶ。
オヤジさんが、声を上げた。
「ひでえなあ」
林道が塞がれてしまっていた。焦げ茶色の土砂と倒木が、扇状に道に広がっている。
高さ十メートルほどの斜面は、山肌が露わになっていた。ごっそり水でえぐられている。丸太が跳ねるように転がっていた。
奇妙なのは、数十本の木々が、比較的林道に近い場所で集まって倒れている理由だ。
「中で伐っとるのが見えんように、林道側の木は残したんやあ」
「なんのために?」
健介が訊いた。
「盗伐するためや。上でこっそり伐っても、林道側の木を残しておけば見えんからな」
「ところが、昨日の雨で悪事が暴かれたってわけだ」
社長が吐き捨てる。
「上が丸裸じゃ、持ちこたえれん。木のない斜面は土砂崩れを起こし易い」
「犯人を見つけるのは難しいんですか」
盗まれたのは、ほかでもない植えられた木だ。伐採するにも、運搬するにも、健介にしてみれば人目につき易い気がする。人目につき易いということは、捕まり易いということなのではないか。
「あんた、山の広さがわかっちょらん」
オヤジさんが、呆れ顔で言った。
「儂ら山のプロでも、知らん場所がぎょうさんあるんや。警察が山に入って見つけられるはずがない」
「じゃ、捕まらないままですか」
健介には納得がいかなかった。他人の山に無断で入り、木を盗んでいくとは、立派な泥棒だ。
「それに、境界線という問題もある」
社長が覚めた声で、続けた。
「境界線?」
耳慣れない言葉だった。
「山主といってもな。山一抱え全部を所有しとるわけやない。たとえば、山の北側のこっちの部分は、誰々で、東側の尾根に近い部分が誰々というように、一つの大きな山を、山主たちで分け合っとる。砂山を作ったと想像してみるといい。その砂山に、線を引いて、こっからこっちが儂。そっちはあんた。そういうふうに分けたと考えてみれくれ。そうして分けた山の持ち主を、山主と言うんや」
ああ、なるほどと、健介は頷いた。
「そこで、問題になるんが、境界線ですよ。平らな土地と違って、山には沢もあれば崖もある。ぴっちり線を引くのは難しい。それで、盗伐された場合、境界に気づかんかったと逃げるケースが後を足たんのです」
「土砂をどけんことには、奥へ進めん」
ため息とともに、オヤジさんが言った。
「みんなでやれば、なんとかなるやろ」
社長とオヤジさんが、車を降りた。健介も続いて降りる。
後から来た二台の車に、オヤジさんが話をしに行く。ゆこあみ組の乗ったトラックに、数本シャベルが積んであるのだ。
全員で、土砂をどかす作業になった。とりあえず、車が通れるだけの幅をなんとか造るのだ。
水を含んだ土は重かった。倒木はチェーンソーで切った。
誰もが口をきかなかった。
下刈りや間伐はいくらきつく単調な作業でも、未来のためにする作業だ。何年かのちには、成長した木々を見られる。プラスの作業といっていい。だが、こうして土砂をどかし、木を邪魔者として切っていくのはやりきれない。
どうにか通れる程度の場所を開け、斜面から落ちそうな木を、秋生が見に行った。帰りも、この道しか通る場所はない。また倒木に塞がれてはたまらない。
「だいじょうぶでーーす」
秋生が上から声を上げた。
これでようやく車に戻れる。早く虎太郎を探しに行かなくてはならない。
社長に続いて、残りのみんなが車に戻りかけた。
と、秋生が叫んだ。
「社長!」
「どうした?」
「ちょっと来て下さい!」
秋生の声が尖っている。
全員で斜面を登り始めた。
秋生が立っているのは、丸太が固まって流れている場所だった。本来ならちゃんとした売り物になるはずだった大きな丸太が、四、五本集まっている。その傍らで、秋生は何か手にして、呆然と立っていた。
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