第26話
ホテルに戻ると、夜の十時を回っていた。空腹を覚えて、一階にあるレストランを覗いてみたが、あと二十分で閉店と言われた。
重い足をひきずって、仕方なく、ふたたび夜の大宮の街へ繰り出し、はじめに目に入った居酒屋へ入った。
あんなに空腹を感じていたのに、いざビールを口にしてみると、あまり食欲が湧かなかった。こんなことなら、何も食べずに寝てしまったほうがよかった。店の女の子が愛想良く置いていった煮物を、健介はテーブルの端へ追いやる。
同じ疲労でも、神尾井での仕事で感じる疲れとはずいぶん違う。
神尾井では、どんなに疲れても、身体のどこかに爽快感があった。それが今夜はどうだ。まるで身体の芯に重い泥を詰め込まれたような、嫌な疲れを感じる。
振り込め詐欺事件を起こし逮捕された成宮基也のアパートの大家の家を出てから、健介はその足で、神奈川県の大和市に行った。大家が教えてくれた住所を頼りに、大滝よう子という名の女性の家を訪ねた。
大滝よう子の家は、小田急江ノ島線の鶴間駅から、歩いて数分のところにあった。隣が小さな公園だったせいかもしれない。道はわかりやすく、家はすぐに見つかった。
大滝ようこは、五十代半ばの、さびしげな感じの女性だった。健介が訪ねた理由を告げると、突然の訪問にも関わらず、嫌な顔ひとつせず応対してくれた。
多分、今、感じている疲労感は、彼女との会話によるものだと思う。
彼女は息子を、五年前から探し続けていた。彼女の息子、大滝圭佑は、もともと地元で悪い仲間とつるんでいたらしい。それが、ある半グレグループと関わるようになってから、家に寄り付かなくなったという。
「その半グレの中に、成宮基也がいたんですよ」
喉を絞るように言った彼女の目には、虚ろな光があった。
「成宮基也は、本物のワルなんです。圭佑のような、生半可な不良じゃないの。あんなのに引っ張られて、圭佑は仲間にさせられて」
きっと、いつでも話せる相手を探していたのだろう。そう思えるほど、彼女は饒舌だった。
「いまでも、圭佑がどこにいるかはわかりません。でも、一時期、たしかに成宮のところに寝泊りしていたんです。荷物を送ったのはね、父親が死んだんです。それで、その知らせと父親の形見の品を送りつけたんです。それを見れば、いくらあの子でも目が覚めるだろうと思って。でも、結局、荷物はあの子には届きませんでした。成宮が、大滝圭佑など知らないと言い張って」
そのあと、彼女は、あらゆる手段を使って、息子の行方を探したという。
だが、依然行方は知れないまま。
その行程は、今の健介そのものだった。細いツテを頼りに、足を棒にして探し求める。
彼女の絶望感が、錘のように胸に残っている。
彼女は猪鹿毛の名も、伊藤瑛太という名も知らないと言った。ただ、あのアパートに、猪鹿毛のような少年がいた可能性もあるという。
彼女の息子は、成宮基也と知り合ってから、二度だけ電話を寄越している。そのときの会話に、自分は年下の少年たちのコーチ役のような存在だと漏らしたというのだ。
今回の振り込め詐欺事件を起こした犯人グループは、何層もの組織になっているらしい。その上層部は、東京のヤクザにつながっているという。じゅうぶん想像がつく話だった。全国で逮捕される振り込め詐欺の受け子――ターゲットから直接現金を受け取る役目――が、組織の末端だというのは、テレビや新聞で飽きるほど耳にしている。
おそらく彼女の息子は、末端の見張り役で、その上にいたのが成宮基也なのだろう。
それなら、末端だった者たちは、今、どこにいるのだ?
「きっと、成宮のいたアパートと同じような場所がどこかにあるんですよ。そこで、また別の成宮が、息子たちを仕切っているんです」
唇を震わせて彼女は言い、目に涙を浮かべた。
成宮にたいする警察の取り調べはこれからだ。だが、おそらく、いままでの振り込め詐欺事件と同じように、組織の上層部も、別のアジトもわからないのではないか。
いや、きっと、アジトなど、あってないようなものなのだろう。生まれては消える泡のようにアジトは存在したかと思うと、消えるのだ。
願わくば、猪鹿毛が関わっていませんように。
健介は、伊藤瑛太が猪鹿毛であると確信している。そして、伊藤瑛太は、成宮のグループに属していたと思えてならない。
成宮基也の属する組織について、彼女にはテレビや新聞以上の情報はなかった。ただ、一つだけ、彼女独自の情報があった。
「息子が二度目に電話してきたとき、話の中で、ネットカフェの名前が出たんです。誰かが電話の向こうで、ラビットランドで待ってろって言うのが聞こえたんですよ。わたしにはどこだかわかりませんけど」
すぐさま、健介はスマホで検索した。ヒットしたのは二軒だけ。一軒は、福岡の博多にある。もう一軒は、埼玉県の蕨市。
大家の言葉が蘇った。成宮基也の前の住所は、蕨だったと言っていたのではなかったか。
ビールを口に運んでから、健介は昼間見たラビットランドの画像を、もう一度映し出した。派手なオレンジ色の入口の看板が撮されている。
明日で、必ず猪鹿毛の足取りを掴んでみせる。
ようやく煮物の皿に箸が伸び、口に入れた。味はわからなかった。
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