第24話
結局、何もわからなかった。
来たときと同じ道を引き返して、健介は駅へ向った。突き動かされるような思いで神尾井を出てきたが、あっさりと行く手は阻まれてしまった。
どうするか。
伊藤瑛太と名乗った者を連れてきた男について、工場の誰も知らなかった。まして、伊藤瑛太が工場を出てからどこへ行ったのか、知る者はいなかった。
駅前にたどり着き、大宮方面へ向かう電車を待っていると、また、奏人の覚めた声が蘇った。
――疑うんなら、大宮へ行ってみるといい。
そしてこのザマだ。息子の片鱗すら見つけることはできなかった。
ここにこうして立っていると奏人に知られたら、さぞ笑われることだろう。
――あんた、馬鹿じゃないの? たったそれだけの情報を頼りに、神尾井から大宮まで一日かけて来たってわけ?
多分そう言うだろう。
出来のいい、頭のいい息子。
奏人なら、こんな無様な探し方はしないだろう。
そう思ったとき、奏人の言葉が、ふたたび蘇った。
――あれは、逮捕された男を知っている目だよ。
駅のアナウンスが流れて、電車がホームに滑り込んできた。昼下がりの空いたホームで、乗降客は少ない。それでも、呆然と立ち尽くす健介は邪魔になっている。
「あ、すみません」
健介は脇へどき、それから、ホームのベンチに腰掛けた。
猪鹿毛と思われる少年が、奏人の指摘通り逮捕された男を知っているとすれば、逮捕された男のほうでも、猪鹿毛のことを知っているはずだ。
健介はスマホのニュース動画を開いた。そして、振り込め詐欺事件で逮捕された男が、警察官に連行されていく場面で止める。
成宮基也、無職、二十六歳。
この成宮基也が猪鹿毛を知っているとすれば……。
健介は立ち上がって、駅の改札へ向かった。
もう一度、成宮基也が住んでいたアパートに行ってみよう。そして成宮基也について、訊いて回るのだ。
しぼんでいた気持ちが、ふたたび期待で膨らんでいった。足に力がみなぎる。
空振りかもしれない。それでも、構わなかった。まだ見ぬ息子を探さない自分は許せない。
無様と思われても、愚かな行為と嗤われても構わない。
健介は勢いよく、駅の階段を下りていった。
さっき来たときと同じように、健介はサンハイツ・志手の横にある空き地から建物を眺めた。在宅していそうな部屋を訪れて訊いてみるか。それとも、アパートから人が出てくるのを待ったほうがいいか。
待ったほうがいいと思った。突然見知らぬ者が訪ねても、答えてくれるとは思えない。
道に戻って、健介はアパートから遠ざからないよう気をつけながら、通りを往復した。アパートに出入りする者を見つけたら、すぐに引き返せる距離を歩く。
四度目に前を通ったとき、中から人が出てくるのが見えた。一階の通路の奥から、学生風の青年が、自転車を引きながら出口に向かってくる。
「あの、ちょっと」
学生風の青年が、顔を上げた。
「このアパートの二階に住んでいた成宮基也さんについてお話をお聞きしたいんですが」
「週刊誌?」
それほど大きく報道された事件ではなかったが、週刊誌の記者がやって来たのだろう。
「違います。ちょっと彼の」
なんと言ったものか。うまい嘘は思いつかない。正直に言うまでだ。
「彼の仲間を探してるんですよ。息子が悪い仲間に入っているんじゃないかと心配で」
「息子さんが?」
硬かった彼の態度が、わずかに緩んだ。
「恥ずかしい話ですが、家出した息子を探してるんだ。人伝てに、逮捕された成宮基也さんの仲間にうちのがいたって聞いたもんだから」
多分、自分は間違っても警察官にはなれないと思う。遠まわしに言葉を選んで、答を聞き出すような芸当は絶対にできない。
カチッと音をさせて、彼は自転車をしっかり止めてくれた。
「成宮さんのところに、この青年が出入りしているのを見た覚えはありませんか」
スマホの動画ニュースを見せ、猪鹿毛らしき青年を指差してみる。
「うーん、知らないなあ。いろんな人が出入りしてたけど、なんだかあんまりいい雰囲気じゃなかったから、どの人の顔も見ないようにしてたんだよね」
「失礼だけど、君、大学生?」
自転車の籠に入れられたリュックサックを見ながら、言ってみた。
「ええ」
「何年生?」
「二年です」
「うちの子は君よりも年下なんだ。まだ十七なんだよ。そんな若い子を見かけた覚えはないかな」
言いながら、まるでいっしょに暮らしていた息子を探す父親のような気持ちになった。突然の家出に悲嘆している父親。だが、自分は違うのだ。探しているのは、いまだ見たことのない息子……。
彼の目に、同情の色が陰った。
「見てないですね。逮捕された成宮って人、三十歳ぐらいだったでしょ? あの人のところに出入りしてたのも、みんな同じぐらいの人たちか、それ以上。柄の悪そうな人もいたし」
逮捕された成宮基也は、振り込め詐欺事件の末端にいるのだろう。ヤクザがからんでいるだろうから、柄が悪いのがいて当然だ。
「僕が見た限りでは、成宮より若い人はいませんでしたよ」
「そうですか」
落胆したが、想定内だった。ここへ戻って来たのは、伊藤瑛太、もしくは猪鹿毛について尋ねるのではなく、成宮基也について訊きたいがためだ。
「成宮さんはいつからこのアパートにいたのか知ってますか」
自転車を進めようとしていた青年は、ああと頷いてから、答えた。
「あの人、引っ越してきたばっかりだったんですよ」
「いつ頃?」
「四ヶ月くらい前かな。夏の始めだったと思う。引っ越し業者に頼まないで、自分たちで引っ越してきたんですよ」
「どこからか、わかりますか」
青年は首を傾げた。
「さあ。あの人としゃべったことはないから。大家さんに訊けばわかるんじゃないですか」
「大家さんは、このアパートに?」
「いえ。この通りの先」
そう言って、青年は、首を伸ばしてアパートの前の道を見た。
「すぐわかると思いますよ。入口に立派な松の木が植わってる家だから」
青年に礼を言って、健介は道を進もうとした。すると青年に呼び止められた。
「そういえば思い出したんですけど」
もう青年は、自転車にまたがっている。
「あの人たち、引っ越してきたとき、軽トラックでやって来たんですけど、ナンバーが名古屋でした」
ずきんと、言葉が響いた。名古屋ナンバー。もし、成宮基也が猪鹿毛と関係のある人物だったなら、中部地方出身であってもおかしくない。
神尾井に案内してくれた小菱田さんが言っていたではないか。名古屋で猪鹿毛を見た者がいると。
急いた気持ちのまま、健介はアパートの大家の家を目指した。
青年に教わった家はすぐに見つかった。
大きくて形のよい松が、道からもよく見えた。
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