第23話
陽工製作は捕物のあったアパートから、駅の反対側に向かって数分歩いた先にあった。
スマホの動画を見せながら健介が歩き回ったのは、駅へ向かう方面だったために見つけられなかったようだ。
昼休みを終えた二人は、プレハブ造りの建物の前まで来ると、中から人を呼んでくれた。
出てきたのは、中年の小太りの女性で、二人の説明によると、社長の奥さんという。
「瑛太?」
入口のドアを開けながらそう言った彼女の表情からは、来訪者を歓迎している様子は伺えなかった。
「伊藤瑛太はここにはいませんよ」
健介はスマホの画像を見せた。
「この彼が、わたしの探している猪鹿毛かどうか確かめたいんです」
「いかげ?」
不審な目つきのまま、彼女は画像を見た。
「この子、伊藤瑛太ですよ。うちの作業着を着ているし」
「その、伊藤瑛太っていうのは本名ですか」
彼女は上目使いに健介を見た。
「そう信じて雇ったのよ。うちの職人のツテでやって来たんだけど」
工場は金型を制作しているという。
「前はどこに住んでいたと言ってましたか」
彼女は首を傾げた。
「さあ。あんまり聞かなかったのよ。聞いて欲しくないみたいだったし」
「でも、まだ彼は未成年」
「そうよ。彼の兄貴分の男が連れてきて」
「兄貴分?」
彼女はわずかに声を潜めた。
「ちょうど職人が事故を起こしていなくなったときでね、人手が足りなくて。若い子なんて、うち、滅多に雇えないし。短い間だけでもいいから雇ってくれって言われて。そのほうがうちも都合がよかったし。だけど、こんなに早くいなくなるとは思わなかった」
「どれぐらいいたんですか」
「一ヶ月半ね。うち、アルバイトには半月ごとに給料を払うんだけど、二回目の給料を払ったら、無断欠勤。それでいなくなっちゃた」
「その兄貴分というのは、こちらにお勤めですか」
「まさか。ちょっとなんていうか、やさぐれた感じの男でしたよ。あんまりまともには見えなかった」
もし、伊藤瑛太が猪鹿毛なら、誰かを頼って家出したとも考えられる。いや、むしろ、そう考えるのが自然だろう。十五歳の少年が、何のツテもなく家を出るとは考えにくい。
「その、伊藤瑛太が暮らしていた寮の部屋を見せてもらうわけにはいきませんか」
「部屋? 別に構いませんけど。でも、何にもないですよ。あの子、大きなリュックサック一つしか荷物がなくって、その荷物といっしょにいなくなったんだから」
寮は工場の裏のアパートだという。寮といっても、アパートの二部屋を、この会社が寮として借りているだけのようだ。
「あんまりしゃべらない子でねえ。変な男に連れられて来たにしては、仕事は真面目にやってたけど」
「そうですか」
「そういえば、言葉に関西訛りがあったような気がしたわねえ。それで、あんた、出身はどこ?って訊いたんだけど」
どくんと、心臓が鳴った気がした。神尾井村の言葉は、明らかに関西訛りがある。
「教えてくれなかったわねえ。あんまり言いたくなさそうだった。あんなに若いのに、何をして来たんだか」
それから彼女は、建物の中に声をかけると、寮を案内するよう手配してくれた。
案内してくれるのは、初老の男だった。ろくに健介の顔も見ることなく、
「こっちです」
と、健介をうながす。
健介は社長の奥さんに礼を言って、男の後についていった。
大きな葉をつけたヤツデの植え込みの向こうに、アパートに通じる通路があった。
「一階の手前の部屋だったんですがね」
そう言いながら、先を歩いていく案内人にしたがって進み、アパートに目をやると、言われた部屋の窓は閉まっていた。塀もない。簡単な通路があるだけで、すぐに入口のドアになる。
鍵を開けて中に入ると、何もない空間が広がっていた。
ただ、いなくなったのではないだろう。
逃げたのだ。
部屋の中を見て確信した。
六畳一間の古びた部屋は、逃げていった青年そのもののように思えた。家具も何もない、がらんどうの部屋。短期間とはいえ、ここにほんとうに人が暮らしていた影が感じられない。ステンレスの小さな洗い場に、空のカップラーメンの容器が転がっているのが、人のいた証拠と言えば言える。
何か、猪鹿毛の手掛かりになるものはないかと目を凝らしてみたが、埃っぽい部屋の中には何の痕跡もなかった。
安物のカーテンがかかった窓の隙間から、ぼんやり外を見つめていると、案内人に声をかけられた。
「もういいかね」
健介は黙って頷き、踵を返した。
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