第17話
「ご苦労さんです」
車を降りるなり、小菱田は笑顔で言った。オヤジさんはじめ、全員が挨拶を返す。
小菱田は、健介に顔を向けた。
「頑張っておられると噂では聞いとりましたが、ほんとに、もうすっかり山の男の顔になっとる」
小菱田と健介の関わりを知らないゆこあみ組が、怪訝な顔で二人を見た。
猪鹿毛の話は伏せて、健介は簡単に小菱田との関係を話した。自分を神尾井で林業に就くよう導いてくれた人であると。
「おかげで充実した毎日を送っています。会社のみなさんも親切で。でも、そんなことより」
健介は、オヤジさんに顔を向けた。
オヤジさんが言いにくそうに話を引き取る。
「山を下りたら、あんたのところへ行こうと思ってたとこだ」
「どうしたんですか」
「まだ現場は見とらんが、あんたんとこの檜が盗伐されたんやないかと」
ぐっと、小菱田の表情が引き締まった。
「またですか」
「あっちの山で仕事中に、虎太郎が伐られた箇所を見つけたんですわ。それでよく見てみたら、クレーン車も見えて。捕まえてやろうと、こうしてみんなでやって来たんやが」
「もう、逃げられとると思います」
「行ってみましょうよ。まさか、クレーン車まで運び出してはいないはずです。ナンバー・プレートから、犯人が割り出せるかもしれない」
佑樹が小菱田の腕を取った。
盗伐現場は、すぐに見つかった。クレーン車まで持ち込んだだけあって、森の中にタイヤの痕のついた道ができていたからだ。
ふいに、サッと幕を引いたかのように、視界が広がった。
誰もが言葉を失くした。
「ずいぶん、やられたもんです」
そう声を上げたのは、小菱田さんだった。
盗伐者はがむしゃらに伐ったようだ。穴ができている。空から眺めたなら、大男が押しつぶした跡のように見えるだろう。
しかも、健介の目にも明らかなほど、盗伐者の仕事は雑だった。途中まで斧を入れて放置された木がある。まだ、若木と思われる木が倒れている。
「被害額は相当なもんだな」
ぽつりと、佑樹が言った。
「いや、おんなじことですよ」
小菱田が答える
「正規に業者を雇って重機を借りて、それでようやく伐り出せるんです。そんな諸々の経費を考えたら、儂の元にはほとんど儲けは残りません」
「じゃあ、得したのは、盗伐者だけってこと?」
美月が憤慨した。
「盗伐者なら、山主にも組合にも通さんでもいい。儲けはあるでしょう」
小菱田は、そう言って肩を落とした。オヤジさんは黙って小菱田さんの肩に手をやる。
ふいに、虎太郎が叫んだ。
「おい、これ。見てくれ!」
虎太郎の前に一本、伐り忘れられた檜の木があった。若木とは言えないが、直径三十センチほどの真っ直ぐに伸びた、なかなか威勢のいい木だ。異様なのは、枝がすべて払われていることだ。天に刺す杭のように、一本の棒となった檜が立っている。
その檜の幹の、べろりと剥がされた樹皮を、虎太郎は指差した。
「まただよ。またイノシシの骨が刺さってる」
見ると、確かに一本の骨のようなモノが刺さっていた。
「またって、どういうことですか?」
健介の問いに、ゆこあみ組は怯えた目を返し、オヤジさんは目を逸らす。
すると、小菱田が、声を上げた。
「これが初めてじゃないんだね?」
はいと、ゆこあみ組がそれぞれ頷く。
虎太郎がぼそぼそと、これまでに見たイノシシの骨について明かした。そして、林道で白っぽい何かを轢きかけたことも。
何かの正体を探るため、藪の中に入った佑樹が、鋭い刃物で襲われたことも話した。
聞きながら、小菱田の表情はみるみる険しくなった。
「――これは、恐ろしいことです。俄かには信じられんが、もしかすると」
「山拐が怒っている。何か恐ろしいことが起きる前触れだと?」
そう言った佑樹に、健介は顔を向けた。いつも冷静な佑樹が、唇を震わせている。
「僕は山拐の言い伝えなんて信じてなかった。でも、あのとき、林道で僕らの乗ったトラックが轢きかけた何者かを追いかけていったとき……、感じたんですよ。何かが、動物でもなく人間でもない何かが、僕を襲ってきたんだ」
「一体、何が起きてるっていうんですか」
健介が訊いた。山拐について、もっと知りたいと思った。もし、山拐が現在も存在すると信じられているなら、猪鹿毛を連れ去ったのは、義父の総一朗や義母の栄子の妄想ではなく、山拐であるなら、自分は山拐について知らなければならない。
だが、話そうとした佑樹を、オヤジさんが制した。
「いい加減にしろ、佑樹。山拐なんか、いないんだよ。いろんな偶然が重なって、奇妙な事が起きたように思えるだけだ」
「ほんとうにそうでしょうか」
健介はそう声を上げた小菱田を見た。
「虎太郎くんたちが見た一連のモノは、誰かのイタズラとは思えません。山拐はただの村の人々の妄想かと思っとりましたが、どうやら……」
「僕を襲ったのも」
「山拐かもしれん。ただ、山拐が直接人間を襲う言い伝えはないが」
「お願いします」
健介は一同を見回した。
「山拐について教えてください」
小菱田が健介に顔を向けた。
「村でも、山拐について話せる人は、そうおりません。けども、そうだ、虎太郎くんのところの隠じいなら」
虎太郎が目を丸くした。
「うちのおじいが?」
「ああ。あの人は最後の隠使いだ。山拐についても詳しいだろう」
頭上でカラスがカアアと長く鳴いた。
この森のどこかに、山拐が潜んでいる。
赤く染まり始めた空を、健介は見つめた。
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