第16話

「あの場所、十二林道から入っていく場所だよな?」

 虎太郎が呟いた。正面にある屏風のようにたちはだかった山の斜面だ。

 

 林道にはそれぞれ名前が付けられているが、それは主だった林道にすぎない。

 細い脇道や、個人の山主が持つ山には、無名の道が多く存在する。

 だが、山に入り仕事をする者にとって、どの林道をどう行くかは重要な問題だ。そのため、便宜的に無名の林道に、丸橋林業では地図に名前が記されている。

 十二林道もその一つらしい。


「ああ。十二林道から行く場所だ。それが?」

 真剣な虎太郎の視線に、佑樹も斜面を見る。

「見ろ。木が伐られている」

「どこ?」

と、美月も声を上げ、秋生も顔を山に向ける。

 ゆこあみ組に倣って、健介も目を凝らした。すぐには、彼らの言う場所は見つからなかった。どこを見渡しても、緑の山肌しか見えない。

 美月が指差して示してくれた。


 ようやくわかった。斜面の南側の一角、ほんのわずかではあるが、きれいに刈り取られた場所がある。

「十二林道は、去年の台風で土砂崩れがあって、不通のはずだろ? それなのに、伐採してあるのはおかしくないか?」

 月の始め、丸橋林業では、地図の上で、林道の通行状況の確認をする。虎太郎は十二林道が不通であるとを覚えていたようだ。


「おい、双眼鏡を取ってくれ」

 ユンボの運転手に向かって、オヤジさんが叫んだ。運転手が、会社所有のダンプのダッシュボードから、双眼鏡を手に走ってきた。

「確かあそこは、小菱田さんの山のはずだ」

 オヤジさんが、レンズを当てたまま呟く。

「変だな。今年は伐採をしないと言ってたんだが」

 知った名前が出て、健介はオヤジさんに顔を向けた。


「小菱田さんって、あの神尾井の村で世話役をやってる方ですか?」

「ああ。あんた、知り合いかね」

 健介は頷いた。

「小菱田さんが山持ちだと知りませんでした。農業をやってらっしゃるとばかり」

「あの人はね、今は引退して細々と畑をやっとるようやが、昔はね、わたしらと同じ仕事をやっとったんですよ。それが、災害やらなんやらで立ちゆかんようになって。山は膨大な維持費がかかるから」

「じゃあ、誰があの場所に?」

 虎太郎の問いに、オヤジさんが口元を歪めた。

「道の封鎖を気にしない連中だろうな」

「気にしない連中というのは」

 秋生が問う。

「盗伐だろうな」

 オヤジさんがそう返したとき、

「おい、見ろ!」

と、佑樹が叫んだ。

 

 緑の森の隙間に、ときおり顔を出す重機の先端。

 黄色い無機質な鉄の棒。


「クレーンが動いてるそ」

 佑樹の言う通りだった。あれはクレーンだ。伐採した木を吊り下げて運んでいるのだろう。

「誰かが、今、まさに作業をしてるんだ!」

 虎太郎が叫び、オヤジさんに向き直った。

「行こうよ、オヤジさん。このまま見過ごせないよ」

「オウ!」


 ゆこあみ組がトラックへ向かった。健介も慌てて後を追う。

 トラック一台に、全員が乗り込んだ。オヤジさんが運転し、助手席に美月が乗り、残りの者は荷台に乗る。

 

 くねくねした林道を、右へ左へと何度も繰り返したのち、向いの山に入った。植生は同じだが、明らかに光の量が少ない。手入れがされていないのだ。檜は縦横無尽といった体で枝を伸ばし、周りの雑草も伸び放題で、暗い森が形成されている。

 

 健介は森をおもしろく眺めた。手入れを怠った檜の森を見るのは初めてだ。


 いままで健介の見てきた森、仕事をさせてもらった森は、等間隔に檜が植えられた森だった。木の周りには十分陽がさすように配置され、栄養が行き渡るように、周りの雑草は刈り取られていた。

 植えられた木々は、考え抜かれた枝打ちをされ、それぞれが満足して天を目指しているように見えた。樹齢の若い木々が立つ場所と、大木となり伐られるのを待つ木々が立つ場所が分かれ、大きな箱庭のような印象を持った。

 

 ところが、ここは、どうだ。

 

 この森こそ、本来の姿なんじゃないか。


「ひどいでしょ」

 横に座った佑樹が声をかけてきた。

「人間が入らないと、こんなになっちゃうう」

「いや、すごいと思うよ。自然の勢いをそのまま生で見ている気がする」

 素直な感想だった。むしろ、自分はこっちの森に惹かれていると、健介は思う。


「自然の勢い?」

 佑樹の声には、皮肉な調子があった。

「ここも人の手で、檜を商品にするために整えられた森だったんですよ。だけど、この感じは」

 佑樹はぐるりと周りに視線を流す。

「多分十年ぐらい放置されてるんじゃないかな」

 意外だった。森はたった十年で、こんなに変わってしまうのか。


「この辺りには、国が国立公園として指定した場所にしか、原生林は存在しないんですよ。自然が残っていると思っても、結局は人間が造った森なんです」

 妙にがっかりした。子どもじみた考えだろうが、この辺りにも手付かず自然が残っているのではと、夢想していた。


「手付かずにしておくことだけが、自然保護ではないと、僕は思ってるんですよ」

生真面目な口調で、佑樹は続けた。

「森から恩恵を受けながら守っていくのが、僕の理想なんです。ただ、昔の里山みたいな使い方じゃダメだと思うんですよね。しっかり利益を出して、産業としても成り立っていくようにしないと、ますます廃れるばっかりだから」


 と、トラックが止まった。

 健介はあらためて、周りの森を見渡した。

 クレーンを動かす音は聞こえてこない。

「逃げられたか」

 トラックから降りてきたオヤジさんが呟く。

 クソッと虎太郎が怒鳴る。


 佑樹が二人に駆け寄った。

「オヤジさん、盗伐の現場へ行きましょう。犯人の手掛かりになるものがあるかもしれません」

 そのとき、下の方から、車の走る音が近づいてきた。音は徐々に大きくなる。

 

 まさか、盗伐した者が戻ってきたのか?

 全員に緊張が走ったとき、道の後方に車が見えてきた。

「あれは、小菱田さんの車だ」

 オヤジさんの声に、目を凝らすと、確かに運転席にいるのは小菱田だった。


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