第15話

    神尾井の秋


 吸い込まれそうだ。


 バンを降り、頭上を見上げて健介は思った。


 檜の森が広がっている。

 大きくたくましく伸びた枝と、重なり合う葉。

 潔ぎよいほど、真っ直ぐに天を目指している幹が、おまえなんかなぎ倒してやると言いたげに見下ろしている。


 木漏れ日が眩しかった。点となって降り注ぐ光は、まるで山の声のようにリズミカルだ。

 

 十一月。

 色づいた木々の葉が落ちはじめ、ときおり刺すように冷たい風が吹くようになった。

 夏の盛りに山に入ってから、早四ヶ月目に入ろうとしている。夏の頃、きつい下刈り作業を続け、スズメバチの来襲も経験した。下刈り機やチェーンソーの使い方も、少しは堂に入ってきた。腕に、新たな筋肉がついたように思う。

 そして、健介の肌は、赤銅色に変わった。強い日差しに浴びて、懸命に仕事をこなした勲章のように、健介の顔は、山の男の顔になっている。


 首にかけていたタオルを取り、ペットボトルに残った水を飲み干した。冷たい風がうなじを撫でる。

「西尾さん、結構、頑張るじゃん」

 美月が健介の横に立った。後ろには、ほかのゆこあみ組もいる。

「だな。想定外」

と、秋生も頷く。

「秋までは絶対もたないって、俺なんか、思い込んでたもんね」

「あんたの予想はいつも当たらない」

「そんなことねえよ。去年は、人数、ぴったり当てただろ」

 佑樹が笑い出した。

「あれは誰でも当たるだろ。金髪二人組だったからな。あのお兄ちゃんたちは、俺も一週間で辞めると思ったよ」

 去年雇われた男たちの話のことだ。

「西尾さん、山に合ってんだね」

 秋生が言うと、美月がはしゃいだ。

「わたしもそう思う。合ってるよ、西尾さん」


「おーい、始めるぞ」

 オヤジさんの声とともに、健介は位置についた。

 オヤジさんが印を付けた檜が、そこかしこにある。今日、その印が打たれた檜を伐って行く。間伐と呼ばれる作業だ。


  間伐は、込みすぎた森の密度を減らすために行う。生育のよい木を残すために、まわりの木を伐り、地面にも葉にもじゅうぶんに栄養が行き渡るようにするのだ。

 健介は伐る木の周囲の下草を刈ったり、潅木や石を取り除く作業にまわされた。木が切り倒された際に、地面に余計なものがあると、跳ね返して危ないからだ。

 

 下枝払いと呼ばれる、人の肩の高さまでの枝を切り落とす作業は、虎太郎と秋生が当たった。のこぎりを手際よく使い、数本の木の枝を順序よく伐り落としていく。背は低いものの、がっしりした体型の虎太郎は、力強く枝を振り払い、どちらかというと華奢な体型の秋生は、木々の間を縫って進んでいくように見えた。

 

 美月が枝を集め、林道へと運ぶ。ほかの作業にくらべて簡単に見えるが、木の大きさを見極め、揃えて運ぶのは、なかなか手間のかかる仕事だ。しかも斜面。一歩間違うと、自分の腕ほどの太さの枝でも、大怪我につながる。

 

 佑樹が一本の檜の木の前に立った。オヤジさんが付けた印がある。

 直径が三十センチほどもある大木だ。

「行くぞ」

 仲間の位置を確かめてから、佑樹が声を上げた。受け口切りと呼ばれる、根元に近い部分に切り込みを入れる作業を行うのだ。

 佑樹とオヤジさんが伐り始めるのは、成長した檜だ。間伐は、細めの木を伐るが、商品価値のある大きさになった木も伐って行く。まさに、佑樹が対峙しているのが、そんな檜だった。

 

 チェーンソーが唸り始め、佑樹がのこぎり部分を木に当てた。切り込みは素早く入れられた。斜め上からと、斜め下から。パカッと、スイカのような形の切り込みができた。

 木は、はじめの切り込み方向へ倒れる。その角度で倒れる場所が決まる、最も重要な作業だ。

 

 いつもは騒がしい美月も、軽口を叩く秋生も、伐採を始めると、人が変わったようになった。

 木は、山側へ倒す。倒れる方角に、障害物がないか、しっかりと確認している。

 オヤジさんが、

「ようし」

と叫んだ。

 ここからは、オヤジさんの仕事だ。佑樹が作った切り込みの反対側から、切れ目を作る。切れ目ができると、チェーンソーを当てていく。角度を間違えると、思わぬ方向に倒れ始めるため、とても難しい作業だ。

 

 オヤジさんのチェーンソーが、木の直径の三分の二ほどで止まった。

 木が唸り始めた。ギッギッと、迫力のある音が響く。

 空が揺れた。

 ザワザワと葉が音を立て、枝が跳ねる。

 やがて、大きな音とともに、木は倒れた。山側方向の地面へと、巨人の大きな手で引っ張られたように倒れ込んでいく。

 バリリっと、最後の雄叫びを上げて、木は完全に命を絶たれた。根元の切り株が顔を出す。まっさらな、生まれたてのような、断面。

 

 生きていたのだ。懸命に上を目指して。

 ふうと、佑樹が肩の力を抜くのがわかった。ヘルメットの下で目が笑っている。

「頼むぞ」

 ふたたびオヤジさんの掛け声で、虎太郎がチェーンソーのスイッチを入れた。

 手際よく、倒れた木の枝を払っていく。

 木は、丸太にしなければ山から運び出せない。この枝払いと呼ばれる作業が終わって、よくやく一本の木の処理が終わるのだ。


 二本目の檜の受け口切りは、秋生が務めた。追い口から伐って行くのは、虎太郎。そのあとは、美月が枝払いと、役目を交代しながら、木を倒していく。

 健介もチェーンソーを使い、枝払いに没頭した。彼らに比べるとまだまだ時間がかかるが、筋はいいとオヤジさんが褒めてくれる。


 若い四人の仕事に、遜色はなかった。オヤジさんは言うに及ばず、十数人の中で生き残ったゆこあみ組だけあって、腕は確かだ。

 林道で待機するダンプのエンジン音が聞こえてきた。丸太にした木は、ユンボと呼ばれる油圧ショベルでつまみ、ダンプに積んで里まで運び出される。


 今日は、ゆこあみ組のほかに、重機担当の作業員が来ていた。どちらも丸橋林業のベテランだという。

 

 日が傾いてきた。

 風が冷たくなつている。

 そろそろ今日の作業も終盤だ。


 おーい、おーいと、声が聞こえてきた。ダンプをまかされている作業員が叫んでいるらしい。

 なんだ?とみんなが顔を合わせて、チェーンソーのスイッチを切った。ユンボも動きを止める。


「やられてるぞー」

 声が険しい。

 はじめに虎太郎が斜面を駆け下りた。続いて、佑樹も走り出す。

「またかよ」

 秋生が呟いた。

「ここんとこ、続いてるね」

 美月も斜面を降りていく。健介も後に続いた。


 林道に止められたダンプの横に、オヤジさんと作業員の初老の男が立っていた。二人は、林道の右前方の森を見ている。

「何があったんですか」

 隣の美月に訊いてみた。

「あれです」

美月が指を刺したほうに、剥き出しになっている場所がある。まわりは檜で覆われているのに、そこだけ巨人が爪で剥いだかのように木がない。

「誰かが勝手に木を伐っちゃうの。所有者には黙ってね」

「それって、泥棒なんじゃ」

「そうですよ。盗伐っていうんです。そういうのが後を立たなくって」

 山の持ち主が高齢化し、子どもたちは街に出ている。そういった場合、所有者には告げず、商品価値のありそうな木を伐りだしてしまう者がいるという。

「犯人は捕まらないんですか」

 山でそんな犯罪が横行していると、健介は知らなかった。

「この深い森の中ですよ。警察だって、突き止められない」

 ダンプの作業員が運転席に戻り、オヤジさんも首を振り振り戻ってきた。


「どうしようもねえな。もうちょっと早く気がつきゃよかったんだが」

 オヤジさんの推測では、伐られたのは、ずいぶん前だという。切り株となってしまった檜のまわりの雑草の伸び具合から判断して、去年だろうと続けた。


「ああいうのを見ると、やりきれないよ。ちゃんとした仕事をしている俺たちまで、山主に信用されなくなるからな」

 木を盗むのは、出来心で犯してしまう窃盗とはわけが違う。

 大がかりな準備は必要だし、技術と知識がなくてはできない。

 となると、遠くにいる山主の目は、どうしても地元の業者に向けられてしまう。丸橋林業が疑われることはまずないが、丸橋林業で仕事をした経験を持つ林業従事者が関わっていないとは言い切れない。ゆこあみ組のような正社員以外、腕を持った林業従事者は、請われれば雇い主を選ばず、目の前の木だけを見る。それが誰の木なのか、どれほどの価値があるのか、彼らには関係ない。

 

 佑樹の説明に、秋生が反論した。

「山仕事をしている者に悪いヤツはいないと、俺なんか思いたいけどね」

「甘いんだよ」

 佑樹は容赦ない。

「木を商品としか思ってないんだよ。そんなヤツらに、山を大事にする気持ちなんかないんだよ」

 若い彼らには、彼らにしか持てない理想があるのかもしれない。

「ちょっと、変だぞ」

 虎太郎のつぶやきに、佑樹と秋生の言い合いは中断された。


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