第13話

「――秋生くんだったね」


 健介が言うと、秋生は嬉しそうに目を見張って、

「当たり!」

と、叫んだ。

 ノリが掴めない。彼らはおそらく、二十代前半。自分の子どもと言っていい年齢だ。


「引っ越したばかりで何にも食べるものがなくてね。それで買い物に行こうと」

 すると、オレンジパンツの女性が、なあんだあと、声を上げた。

「だったら、あたしたちと合流してくださいよ」

「いや。若い人の中に入るのは申し訳ないよ」

「そんなあ。西尾さんの歓迎会になるじゃないですか」

「ただのアルバイトですよ」

 苦笑するしかなかった。多分、このぐらいの年齢の女性は、盛り上がることなら何でもいいんだろう。


「どうですか。僕ら、これからそこの居酒屋へ行くんですが」

 そう言ったのは、秋生の後ろにいた二人のうちの片方だった。

「えっと、君は」

「土岐(とき)田(た)虎(こ)太郎(たろう)です」

「あたしは、久(く)辺(べ)美(み)月(づき)。彼は森上(もりがみ)佑樹(ゆうき)」

「申し訳ない。名前を覚えるのは苦手で」


 昼間、オヤジさんから紹介を受けたにのに、すっかり頭の中から抜け落ちている。

 森上佑樹と紹介された青年が、どうもと言うようにわずかに頭を下げた。あまり歓迎されているようには見えない。だが、秋生に腕を取られて、健介は合流するはめになってしまった。


 連れていかれたのは、歩いて五分ほど行ったところの居酒屋だった。店先に提灯がぶら下がっている、気安そうな店だ。

 まだ時間が早いせいか、店にほかの客はいなかった。壁際の座敷になっている場所に陣取る。


 おしぼりが配られ、飲み物が行き渡たると、秋生がジョッキを掲げた。

「西尾さん、神尾井山へようこそ」

 ほかの三人もジョッキを掲げ、よろしくと声を上げる。ノリの悪かった佑樹も、笑顔になっていた。気のいい仲間たちのようだ。

 唐揚げやお好み焼き。旺盛な食欲を見せながら、若い四人はよく飲んだ。そして、冗談を言い合って笑う。山仕事をするにはこれぐらい活力がないとやっていけないのだろう。


 食べ物の大半がなくなった頃、秋生が健介に話題を振った。

「西尾さん、いい体してますよね。何かスポーツをやってたんじゃないですか?」

 ボクシングをしていたと、健介は口にするつもりはなかった。前の職場でも、誰にも話さなかった。

「トレーニングが好きなんだ」

 適当にごまかす。


「あれですか。筋肉いっぱいつけて、自分の姿に見入っちゃうっていう」

 笑っているしかない。

「でも、その体なら、長くやれそうですね」

 虎太郎が言った。

「やめないで下さいよ」

 目は笑っているが、口調は真剣だ。だいじょうぶだよ、この人ならと、美月が言う。佑樹が、さあ、どうかなと、ジョッキを煽った。


「そんなにみんな続かないの?」

 地方にしてみれば時給は高いし、いい仕事を見つけられたと思っていたのだが。

「最短だと、一日って人もいたな」

 佑樹が虎太郎を見る。

「ああ。名前も覚える暇、なかったよ。結構若かったのにな」

「最長だと、どれくらいだっけ?」

 秋生も話に加わった。

「二ヶ月半だな」

と、佑樹。

「どうして」

 健介は訊かずにはいられなかった。

「どうしてって。志が低いからですよ。山を守ろうっていう気概を持たずに、時給の高さだけで決めちゃうから」

 佑樹はそう言いながら、お好み焼きの残りを箸で突っつく。

「時給が高いったって、割に合わないよ」

 そう言ってから、残りちょうだいと、秋生は佑樹のお好み焼きに箸を伸ばす。


「なんだか、怖いな。そんなに大変な職場なんだ」

 健介は四人を見回した。

「大変ですよ。夏は暑いし、冬は寒いし、いつだって命の危険があるし」

「命の危険?」

 穏やかじゃないなと、健介は頬を赤くしている美月を見た。

「大げさな話じゃないんですよ」

 佑樹が真剣な目を健介に寄越す。

「知ってます? 林業での事故発生率は、ほかの全産業の事故発生率の平均の十五倍ぐらいあるんですよ」

「足場は悪いし、チェーンソーって扱いを間違えたらヤバいんだよな」

 秋生も同意する。

「その割に、給料が多いとは言えなーい」


「君たちは丸橋林業の正社員なんだよね」

 四人が頷く。

「だったら待遇は悪くないだろうし、しっかり勉強もさせてもらえるでしょう」

 オヤジさんから、彼らのことは聞いていた。四人が丸橋林業に入ったのは、森林組合が主催した、林業に就職を斡旋するイベントがきっかけだったという。

 最近、林業は、若者に人気が出てきているらしい。そのイベントでも、組合が驚くほど人が集まった。

 だが、本気で山の仕事に意欲を見せたのは半分にも満たず、三年たった今、続いている者は少ないという。

 四人は、意味ありげに目を見合わせている。


「そうとも言えないかな」

 佑樹が話を引き取った。

「日本の林業は、今、大変なことになっているんですよ。木材の価格が下がって、伐って売っても儲からないって言われてるんです。北欧や東南アジアの輸入品に、価格競争で負けちゃって、太刀打ちできないらしくて。だから山主がちゃんと整備しないようになったんです。だって、山に入って仕事をすればするほど赤字になっちゃうんだから。それでどうなったと思いますか。山主はコストを抑えようとして、伐採業者に整備を頼む。すると、伐ったらそれで終わりにしちゃう。だから、山が荒れてくる。山が荒れてくると、台風なんかが起きたときに、大きな災害を起こす原因になる」

 ふうと、佑樹は息を吐いてから、ビールを一口飲み、続けた。


「そんな林業を仕事に選んだ僕らが、人に羨ましがられる待遇を受けられるはずがないんです。危険な現場だから、ほんとなら、しっかり研修を積んでから臨まなきゃならないんだけど、だって、重機も扱うわけだから。でも、現場で覚えてけって感じだし」

「斜陽産業!」

 秋生がジョッキを掲げて、ふざけた。

「伐採業者って、丸橋林業みたいなところ?」

 健介は、林業の会社の名は、ここしか知らない。

「うちはしっかりした会社です。待遇がいいとは言えないけど、ぎりぎりでやってるのはわかってるから。でも、ひどいところはたくさんあるんですよね」

 虎太郎がため息まじりに言う。

「志がなくっちゃできない仕事なんですよ。僕らは山を守るって気持ちで働いてます。その思いがなかったら、やってられない」


 なんだか大変な仕事を選んでしまったような。

 だが、青年たちの山に対する熱い思いが伝わってきて、健介は清々しい気分になった。


「西尾さんは、どうしてこの仕事をすることになったんですか」

 美月が顔を向けてきた。

「関東のほうから来たって、オヤジさんに聞きましたけど、どうしてこんな遠いところに?」

「それは」

 まさか、会ったことのない自分の息子を探しに来たとは言えない。


「ちょっと気分を変えたくなってね」

「気分?」

 秋生は丸く目を見開いた。

「ヤバイよ。気分で始めたら、すぐに嫌になっちゃうよ」

「いや、軽々しい気持ちってわけじゃないんだ。体力にだけは自信があったからね。自然の中の仕事っていうのにも魅力を感じたし」

 若者相手に、自分の言葉が空虚に響くのを感じたが、嘘を言ったつもりはなかった。この地に魅力を感じているのは確かだ。


「歳は食ってるけど、右も左もわからない。明日から、よろしくお願いします」

 姿勢を正して頭を下げようとすると、美月に止められ、秋生にビールを注がれた。



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