第11話

 首筋をタオルで拭きながら、虎太郎は小屋の手前にあった切り株を腰をかけた。涼やかな風が吹いている。


 きらきらと光る木漏れ日も心地よかった。

 仕事はきついが、山の仕事に就いてよかったと思うのはこんなときだ。


 不気味なイノシシの骨を見つけたあと、得体の知れないものを追って怪我をした佑樹も、順調に回復し、いまでは以前と同じように山に入っている。あれ以来、イノシシの骨を見ることもなく、暗黙の了解で、その話題が四人の口に上ることはなかった。


 ただ、釈然としない思いは抱えているようだ。あれは目の錯覚だったと宣言した佑樹も、森に一人では決して入らなくなったし、秋生は運転をしたがらなくなった。

 虎太郎も、あの日以来、わだかまりを持ち続けている。このところ、一人になると、虎太郎はすぐにこの答の出ない堂々巡りを始めてしまう。

 

 そう思ったとき、美月が近寄ってきて、顎で小屋のほうを示した。

「ねえ、あの人?」

「さあ、そうかもな」

 小屋の向こうに、見慣れない男が立っている。

 男は物珍しそうに森を眺めている。木々の揺れやときどき現れる小動物に、いちいち目を輝かせている。

 

 初めてなんだろうな。

 そう思った。そうでなければ、あんなに目を輝かせて森を見つめられるはずがない。


 近々新人が加わると、オヤジさんから聞いていた。彼がきっとその新人なのだろう。


「かなり年上だけど、結構イケメンじゃない?」

 美月が弾んだ調子で言った。

 水筒の水を飲んで、虎太郎は男を見た。美月が弾んだ声を上げたのもわからなくはない。男は、いままでにやって来た臨時雇いの者たちとは違っている。

 大きな男ではないが、引き締まった体をしている。無駄な肉がなかった。

 おそらく四十代。濡れているように見える目が印象的だった。それなのに、どこか寂しげでもある。


「おい、聞いてくれ」

 オヤジさんが、声を上げた。

 小屋の脇に置かれた古い重機にもたれていた佑樹と秋生が、体を向ける。

「明日から仕事に加わる」

 そう言ってから、オヤジさんは男を振り返った。

「名前は」

「西尾健介です」


 それからオヤジさんが、虎太郎をはじめとして四人を紹介していった。四人は、三年前、前丸橋林業に入社した同期でゆこあみ組と呼ばれていると付け加える。

「ゆこあみって、なんですか」

 西尾が不思議そうな顔で訊いた。業界用語だとでも思ったらしい。

「四人の名前の頭文字を並べただけだ」

 オヤジさんが、嬉しそうに返した。

 はじめ、ゆこあみ組などと、幼稚園みたいな名前で呼ばれて、あんまりいい気はしなかったが、今では愛称だとわかっている。十数人いた同期で、残ったのはこの四人だけだった。早い者は入った年の、梅雨になる前にやめてしまった。オヤジさんが、ゆこあみ組を、大切に思ってくれているのを日々感じている。


「頼むぞ。いろいろ教えてやってくれ」

 秋生が男のほうへ向かっていった。手に、自分の水筒を持っている。秋生は水筒の蓋のコップを、男に渡した。

「いい体、してますね」

 秋生は初対面の相手と打ち解けるのが、早い。いつものことだ。そしていつも、ほんとうに打ち解けあえないまま、男たちはいなくなってしまう。

 だが、秋生は気にしていないのだろう。懲りもせず、新入りが来るたびに、蓋のコップを渡すのだ。儀式みたいなものかもしれない。

「ありがとう」

 西尾は笑顔になって、秋生から蓋のコップを受け取った。

 その笑顔を見て、虎太郎はこの新入りをちょっとだけ気に入った。西尾の笑顔は、嘘のない、子どものように無邪気な感じがする。


 どこから来たんですかと、秋生の質問が始まった。これも恒例で、秋生はいつも新入りの身元調査を勝手出る。

 結構図々しく訊く秋生に、西尾は嫌な顔も見せず、素直に答えていた。

 いつものように、そんな二人の会話を、虎太郎は黙って聞いた。虎太郎は、秋生と違って、新入りの人間とすぐには打ち解けられない。なんとなく照れくさいのだ。いっしょの時間を長く過ごした相手でないと、自然な言葉が出てこない。


「そういうのを田舎もんって言うんだよ」

 いつだったか、佑樹に言われた覚えがある。そのときは、馬鹿にされたように思って、腹が立ったが、後で思い返して、佑樹の指摘は当たっていると思った。

 虎太郎は、生まれたときから村で育ち、村を出た経験がない。高校で町に通ったが、結局、村の友達と過ごして三年間を終えてしまった。

 だから、よく知らない人間には警戒心が湧くのだ。それを田舎者だからと言われてしまえば、そうとしか言いようがない。


 だが、そう言った佑樹も、フランクな性格とは言い難いと思う。

 東京や大阪のような大都会ではないにしろ、佑樹は全国チェーンの飲食店が並ぶほどの町の出身だ。それなのに、人見知りの強さは、虎太郎に負けてはいない。


 はしゃぐ美月の声がした。見ると、西尾をはさんで秋生と美月が立ち、すっかり打ち解けた雰囲気だ。

 水筒のお茶を飲み干して、虎太郎は立ち上がった。


 そろそろ、休憩時間が終わる。

 

 


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