Track #21 最後の日(12)


 映像を船外に切り換えると、メインモニターに崩れゆく都市が表示された。


 ユーノス号の左舷のすぐ近くに、透明なドームがそびえ立っていた。

 都市の内部には絶えず水が流れ込み、そこらじゅうで炎と煙が上がっている。

 かつて地表だった場所は濁流に覆われて、もはや原形をとどめていない。

 背の高い建物や丘陵地帯だけが、かろうじて泥水の上に頭をのぞかせていた。


 俺たちは呆然としたまま画面を眺めていた。

 生まれ育った場所が、人類の最後の砦が、目の前で消えようとしていた。


 黙りこくっていた通信機に、ザッ、ザザッ……と雑音が混ざった。

 少し遅れて、声が聞こえてきた。


『……ルテ、トマ……答せよ。ユーノ……応……。……タルテ、トマロック、応答せよ』


 俺たちはマイクに飛びかかった。

「ホオリ叔父さん!」

『その声はトビアか?』

「そうだよ、トビアだよ。サラも一緒だ!」

 通信機の向こうで、叔父さんは長いため息をついた。


『そうか、お前たちが無事でよかった……』


 アスタルテがマイクを奪い取る。

「ねえ、ホオリ叔父さん。今どこにいるの? トランシーバーの電池が切れたんじゃなかったの? カネンスさんは──」

『いっぺんに訊かれても困る』

 叔父さんは笑った。

『トランシーバーの電源を落としていたら、少しだけ電池が回復したんだ。だけど長くは保たないだろう。これが最後の通信になる』

「そんな、最後だなんて……」

 アスタルテは鼻声になる。


 通信機の向こう、叔父さんの背後から、女性と子供の声が聞こえていた。

「ホオリ叔父さんは、カネンスさんと一緒にいるのか?」

『ああ、そうだ』


 叔父さんは手短かに状況を説明した。

 道路が分断されて、ガラクタ部屋に行けなくなったこと。

 シェルターに向かおうとしたが濁流に阻まれたこと。


『今は都市の中心部にいるよ。水から逃れるために、摩天楼のいちばん高いビルに登ったんだ。……ビルの周りは完全に水没している。もう、ここから逃げ出すことはできないだろうな』

 アスタルテは悲鳴のような声を漏らした。

 トマロックは辛そうに顔を伏せて、サラは両手を口元に当てた。


 俺たちもユーノス号の状況を伝える。

『……それなら、早く都市から離れたほうがいい。ドームが完全に潰れる瞬間、強烈な陰圧が働くはずだ。その時の水流に吸い込まれたら、さすがのユーノス号でもし潰されてしまう』

「で、ですが、ホオリ博士──」

 トマロックは食い下がる。

『お願いだ、私の言う通りにしてくれ』

 決然とした口調だった。


『後悔が無いと言えば嘘になる。私は都市の住人すべてを助けることができたはずだ。けれど、過ぎたことを悔やんでもしかたない。君たち四人だけでも助かってよかった』

 叔父さんの背後で、カネンスさんが生徒をなだめていた。


(いいですか、みなさん。歌を歌えば怖くありません。このビルのスピーカーを通じて、ドーム全体に歌を届けましょう──)


 子供たちは声の限りに、歌い慣れた童謡を口ずさむ。


『アスタルテ、トビア。君たちと一緒に暮らすことができて本当によかった。私が君たちを育てたのではなく、私のほうが君たちに育てられたような気がするよ』

 アスタルテは通信機から顔を背けると、低い嗚咽を漏らした。

『トマロック、私の右腕としてよく働いてくれたね。まだ教え足りないものは多いけれど……。君なら大丈夫だ、独学で知識を身につけられるはずだ』

 トマロックはメガネを外して、目元を押さえた。

『そしてサラ、君とはもっと話がしたかった。トビアのいい部分は、すべて彼が生まれ持ったものだ。彼の悪い部分はすべて、私の教育が至らなかったせいだ。……トビアをよろしく頼む』

「はい……」


 子供たちの歌声は、だんだん大きくなっていく。

(見よ 天は創造主のみわざを語る)


 ホオリ叔父さんは嘆息した。

『ああ、そこから見えるかな。都市の南西部が』

 シェルターがあるはずの場所が、押し寄せる濁流に飲み込まれた。

 都市の住民たちが避難していたはずの場所だ。

 少し間を置いて、真っ赤な炎が上がった。


(かの栄誉 かのみわざ 御空にあり)


 爆発の衝撃でドームの照明装置が消えた。

 都市は薄闇に包まれる。

 海水を押しのけて噴き上がる火柱だけが、残った建物を赤く照らした。

 それでも子供たちは歌い続けていた。


『もう時間がなさそうだ。みんな、さよな──』


 そこで通信は途絶えた。


   ◇


 頬を涙で濡らしながら、トマロックは進路を変更した。

 船体をわずかに傾けながら、ユーノス号は都市から離れ始めた。


 俺たちは声も出せず、じっと画面を見つめていた。

 深海の暗闇に隠されて、都市の景色はすぐに見えなくなってしまった。

 燃え盛る炎の赤さだけが、黒い画面に揺れていた。


 やがて、サラが口を開いた。

「──ねえ、みんな。ミタマクジラの唄が聴こえるよ」


 いつの間にか、彼女はヘッドフォンを当てて、ソナーの音に耳を傾けていた。

「驚くことはないだろう。前にも聴いたはずだ」

「ううん、違うの」

 サラは目を閉じていた。

、ミタマクジラの唄が聴こえてくるの」


 俺たちはそれぞれ、ヘッドフォンを耳に当てた。

 たしかにサラの言う通りだった。

 都市のあった方角から、優しく、はかないメロディが流れていた。


 けれど激しい崩壊音とともに、唄は聴こえなくなった。

 メインモニターの黒い画面から、赤い光点が消えた。

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