Track #20 最後の日(11)


 サラが不安げに言った。

「ねえ、トビア。あの音が聞こえる? 誰かがハッチをこじ開けようとしてる!」


 トマロックが画面を切り換える。

 操舵室のメインモニターに船外の映像が表示された。

 都市の住人たちはユーノス号を取り囲んで、乗り込める場所を探している。


 上部甲板には溢れそうなほど人が集まっていた。

 レンチやニッパー、のこぎりなど、様々な道具を使って艦橋のハッチを開けようとしている。

 しかし、それで破られてしまうほど旧世代の金属は弱くない。


 だが──。


 一人がアセチレン・バーナーを手に艦橋に登った。

 バーナーの点火と同時にまばゆい光が放たれ、映像の露光調節が一瞬おかしくなる。


「あれは、ま、まずいです……」

 トマロックがうろたえる。

「どういうこと?」とアスタルテが言った。

 本当は彼女にも分かっているはずだった。


「あ、あの……バーナーを使われたら、ハッチが、や、焼き切られてしまいます……」

 ユーノス号のソナーを通じて、くぐもった音が聞こえてきた。


 ごぉぉ──。


 勢いよく吹き出すアセチレンの炎が、ハッチの真ん中あたりに当てられる。

 船体に穴が空くまで、五分か、十分か。

 たとえ小さな穴だろうと、ユーノス号は航行不能になってしまう。


 選択の時だった。


「……トマロック、注水を開始しろ」

「へ?」

「だから、研究室に注水しろって言ってるんだ! 出航シークエンスを開始するんだよ!!」

「あんた、自分が何を言ってるのか分かってんの?」

 青ざめた顔でアスタルテが叫ぶ。

「見ての通り、船の外にはたくさんの人がいるのよ。このまま研究室に注水したら、みんな溺死してしまうわ!」

「放っておけば、あいつらはユーノス号を航行できなくする。そうなれば俺たちも一緒に死ぬことになる」

 都市がこのまま崩壊することを、俺はもう疑っていなかった。

「だったら、今すぐハッチを開けてあげればいいじゃないの!」

 アスタルテは声を張り上げる。語尾が震えていた。

「集まった人を乗せてあげれば、穴を開けるなんてバカな考えは捨てるはずよ。そうよ、みんなを乗せてあげましょうよ!」

「あいつらを?」

 思わず乾いた笑いが漏れた。

「ろくに潜水艇の操縦もできない人間たちを? アスタルテ、冷静になってくれ。食料や空気だって、あの人数をまかなえるほど積んでいない」

 ソナーが人々の怒号を拾っていた。呪詛に満ちた言葉がメインモニターから聞こえてくる。


『……卑怯者!』

『……お前らだけ生き延びようとしやがって!』

『……死なばもろともだ! 絶対に許さない!』


 俺はモニターを指差した。

「聞いただろ! あいつらは見境が付かなくなっている! もしもハッチを開ければ、俺たち四人は殺されて、潜水艦を奪われてしまうのがオチだ!」

「だからって、あの人たちを溺死させていいことにはならないでしょう!」

 アスタルテは視線を泳がせた。

 助けを求めるように、トマロックに声をかける。

「ねえ、トマロック……。あなたはどう思う?」

 今にも泣き出しそうな声で、彼は答えた。

「ぼ、僕には、選べません……。そんなこと、選べません!」

 アスタルテは「ああもう」と失望の声を漏らす。

 そしてサラに目を向けた。

「ねえ、サラさん。あなたからも言ってあげてよ。いくらトビアでも、あなたの言葉には聞く耳を持っているはずだから」


「ええと、わたしは……」

 サラは祈るように、両手を胸の前で組んだ。

 息苦しそうに、彼女は答えた。

「……わたしは、だと思います」


「それなら決まりだ」すかさず俺は言った。「ここで手をこまねいて全員死ぬか、それとも俺たち四人だけでも助かるか、だ」

 助けられる最大人数は、四人だ。

 本音を言えば、サラの命を救うことさえできれば何でもよかった。


 歯噛みするように、アスタルテが言う。

「ホオリ叔父さんとの連絡も、途絶えたままなのよ?」

「叔父さんなら分かってくれるよ」

 俺はトマロックを押しのけて、操作盤に指を走らせる。

 出航シークエンスが始まった。


 あまりにもあっけなかった。


 研究室の壁から、膨大な量の海水が流れ込んだ。

 集まった人々は悲鳴を上げることもできずに、反対側の壁に叩き付けられた。

 アセチレンバーナーは水中でぶくぶくと泡を吹きながら燃え上がり、やがて消えた。


 水圧計が規定の数値に達したときには、もはや誰一人として生き残っていなかった。


 研究室のいちばん奥の壁に切れ込みが入り、ゆっくりと上下に開いた。

 俺たち四人を乗せて、ユーノス号は出航した。

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