Track #19 最後の日(10)


 見上げれば、数えきれないほどの白線が頭上を覆いつくしていた。

 まるで都市全体が巨大なシャワールームになったかのようだ。

 水を跳ね上げながら、二輪車はガラクタ部屋に向かった。


「いいのか。親父さんの言いつけ通りシェルターに行かなくて」

「いいの。わたしはトビアと一緒にいたいんだよ」


 遠くの丘が地響きをあげて崩れた。

 土砂混じりの水が吹き上がり、三階建てのビルを飲み込む。

 道路のあちこちに亀裂が走り、濁った水が流れ込んでいる。

 亀裂は大きなものでは幅五メートルぐらいあり、地下深くで赤々とした炎がちらついていた。


「ねえ、トビア。ユーノス号の様子はどうなの?」

「整備は済んでいるし、荷物も積みこんである。今はトマロックとアスタルテの二人が最後の準備をしているはずだ」

「ホオリ博士は?」

「……分からない」

 頼みの綱の防水トランシーバーは、殴り合っているときに壊れてしまった。


 爆発音がした。


 目を向けると、火柱が上がっていた。

 北部の街、いちばん最初に落水の直撃を受けたあたりだ。

 地下から漏出したガスに引火したのだろう。

 中心部の高層ビルと同じぐらいの高さまで燃え上がり、はるか遠くを走る俺たちでさえ頬に熱気を感じた。

 どーん、どーん、と断続的な爆発が足もとから響く。


「急ごう……」

「うん……」


 会話が続かず、何となく押し黙ってしまう。

 ずぶ濡れになりながら俺たちは走り続けた。


   ◇


 ガラクタ部屋に近づくと、サラが「怖い声がする」と言った。

「何だって?」

 流水や爆発の音で、俺には何も聞こえなかった。

 避難勧告の放送は止まっていたが、相変わらずサイレンは響いている。


 耳元に口を寄せて、サラは答えた。

「だから、ガラクタ部屋のほうから怖い声が聞こえるの。みんなが集まって、怒っているような──」


 霧でかすんだ視界の向こうに、長い階段が見えてきた。

 俺は息を飲んだ。

 サラの言うとおり、ガラクタ部屋には都市の住人がつめかけている。

 農具や棍棒など、武器になりそうなものを手にしている人もいる。


(ここを開けろ──!)

(見殺しにするつもりか、裏切り者──!)


 はっきりは聞こえないが、憤懣だけは伝わってくる。

 見えるだけで、二十人ほどは集まっているだろうか。


 ホオリ叔父さんは、ユーノス号を大っぴらに宣伝していない。

 二十年前の発見当時に、ちょっとだけ新聞の三面記事を飾っただけだという。

 が、人の口に戸は立てられない。

 大型潜水艇のことを覚えていた人たちがいたのだ。


「サラ、ちょっとだけ遠回りをしよう」

 彼女は神妙な顔で、こくりとうなずいた。


   ◇


 迷宮のような通路を抜けて、研究室の通気ダクトにたどり着いた。

 初めてサラがガラクタ部屋に来た日に、トマロックが修理していた場所だ。

 濡れた体にホコリが貼り付いて、二人とも顔が真っ黒だった。

 足もとにユーノス号の上部甲板が広がっていた。


 通気ダクトから甲板まで、およそ二メートル。

 飛び降りると、集まった人々の怒号がはっきりと聞こえてきた。

「さっさと開けろ!」

「潜水艦があることは分かっているんだ!」

 扉を叩く音が、研究室にこだましていた。


 通気ダクトを見上げれば、サラがこわごわと下を覗いている。

「大丈夫だ、飛び降りてもケガをする高さじゃない」

「でも、わたし──」

「早くしろ!」

 かん高い機械音とともに、研究室の扉から火花が飛び散った。

 どうやら蝶番ちょうつがいを切断して、中に押し入るつもりらしい。

 その間にも、遠くのほうから爆発音が聞こえていた。

 ユーノス号の甲板にも振動が伝わってきた。


 サラが飛び降りるのとほぼ同時に、研究室の扉が破られた。

 人々は我先われさきにと扉を抜けて、ユーノス号に駆け寄ってくる。

 俺は船尾に向かうと、はしごを蹴り落とした。

 そのままきびすを返してサラの手を取り、甲板を走った。


 艦橋によじ登って、ハッチを開ける。

「一人で降りられるか?」

「うん、平気」

 答えたときには、サラはもう船内に降り始めていた。

 俺も後に続く。


 ハッチを閉じる瞬間、船尾のはしごがかけ直されるのが見えた。

 固く鍵をかけて、俺は操舵室に向かった。


 アスタルテは声も出せずに立ちすくむと、ぽろぽろと涙を流した。

 トマロックはずり落ちたメガネを押し上げつつ、「おかえりなさい」と言った。

「お、お二人が生きていて、よかったです……」

「ええ、ほんとに」アスタルテは涙をぬぐう。「本当によかったわ。もう会えないかと思った」


 サラは目を閉じた。耳を澄ませているのだろう。

「ねえ、ホオリ博士の声が聞こえないよ」


 俺も同じことを訊こうとしていた。アスタルテとトマロックは視線を交わす。

「ついさっきまでは連絡が取れたのだけど……。今は分からないわ。防水トランシーバーの電池が無くなってしまったらしいの」

「か、カネンスさんとは合流できたみたいですが……」


 俺は二人に詰め寄った。

「それで、叔父さんたちは今どこにいるんだ」


「分からないわ」

 アスタルテは目を伏せる。

「最後に連絡を取ったときは、カネンスさんと一緒に、子供たちを連れてガラクタ部屋に向かっていたの。だけど途中で、地面が大きく陥没している場所があって──。迂回できるかどうかを聞く前に、電池が切れてしまったのよ」


 叔父さんは迂回路を見つけて、今まさにガラクタ部屋に向かっているのだろうか。

 それとも引き返してシェルターに向かったのだろうか。


 サラが俺の袖口を引っ張った。

「ねえ、トビア。あの音が聞こえる? 誰かがハッチをこじ開けようとしてる!」

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