Track #18 最後の日(9)


「……死ね!」

 リーダー格の男が腕をふり上げるのが見えた。


 散々に殴られたせいで意識は白濁して、今にも目の前が真っ暗になりそうだった。

 このまま眠ってしまいたい。

 徹夜を何日も続けたあとのような、不快な酩酊感──。


 俺が目を閉じようとした時だ。

「何をやっているのかね」

 聞き覚えのある声がして、男たちは動きを止めた。

 バタバタと部屋に押し入る足音が続く。別の声が叫んだ。

「全員、手をあげて武器を捨てろ!」

 黒服の男たちが取り囲んで、銃を向けていた。

 俺の顔のすぐ横にドライバーが落ちてきた。


「まったく、嘆かわしい!」


 言葉に怒気を滲ませながら、ヘルモントが入ってきた。

「この緊急時に、貴様たちは何を考えているのかね。こんな面倒を起こすとは……。親の顔が見てみたいものだ」

 ヘルモントは護衛の男たちに指示して、あっという間に暴漢を取り押さえてしまった。


 サラが両手を宙にさまよわせる。

「トビア、トビア!」

「俺は無事だ」

 その手を取ると、彼女はしがみついてきた。

 爪が食い込むほど強く抱きついてくる。

 ヘルモントが冷ややかな目で見ていた。


 リーダー格の男が吠える。

「クソじじい、こんな時まで偉そうにしやがって」

「こんな時だからこそ、私がしっかりせねばならんのだ」

 男は嘲るように笑った。

「あんたもついにボケちまったようだな。窓の外を見ろよ、この都市はもう終わりだ。こんな時に何をしようと勝手だろ」

「バカ者め、この都市は終わらない」

 ヘルモントは相手の襟首を掴んだ。

 鼻と鼻がくっつきそうになるほど強く、相手の顔を引き寄せる。

「私が終わらせない。住人の一人ひとりがきちんと指示に従いさえすれば、必ず危機を脱することができるのだ!」


 相手が暴れそうになると、ヘルモントは容赦なく平手打ちを浴びせた。

 ――パァン!

「……っ!?」

 リーダー格の男は、目を白黒させる。


 ヘルモントは言った。

「貴様が今ここでおかしなことをしでかせば、危機が去ったあとに貴様の居場所はなくなる。正規の手段で逮捕、起訴して、牢屋にぶち込んでやる。貴様にその覚悟があるのかね?」

 相手は、少し青ざめる。

「ここで私に従うのか、それとも刃向かうのか。どちらが貴様のためになるのか、よく考えなさい」

 言い捨てると、ヘルモントは相手を突き放した。

 すかさず黒服の男が駆け寄って、暴漢に手錠をかける。

 彼らをシェルターまで護送するようにとヘルモントは指示した。


 俺はつぶやいた。

「……そんなやつら、殺してしまえばよかったのに」

 殴られた頬が熱を発していた。体じゅうがズキズキと痛んだ。

 サラは気づかわしげな表情で、俺の腕を撫でている。


 ヘルモントは娘に一瞥をくれると、俺に目を向けた。

「それが君のやり方なのかね、トビアくん」


「俺の名前を知っていたとは驚きだ」

「口の聞き方に気をつけたまえ。君はサラといい仲なのだろう。……それとも娘との関係はただの遊びで、私を『お父さん』と呼ぶつもりはないのかな?」

 にやりと笑ってみせる。本心の読めない顔だった。

「俺がサラとどんな関係になるかと、あんたを父親と呼ぶかどうかとは別の問題だ」

「面白いことを言う」とヘルモントは笑った。「それで、質問に答えてくれるかな。それが、君のやり方なのか」

「俺のやり方?」

「殺してしまえばいい。本気でそう思ったのかね」


 二人の警官のことが頭をよぎった。

 驚愕に固まった表情、壁に飛び散った脳のかけら──。

 俺は顔をうつむける。


「いや……。ただ、やられたぶんはやりかえしたいだけだ」

 口の中は鉄っぽい味でいっぱいだった。

 立っているのがやっとで、サラがいなければ座り込んでいたかもしれない。

「ならば殺してはいかんな。君はまだ殺されていないのだから」

 ヘルモントは肩をすくめる。

「まあ、若いころは誰でも血の気が多いものだ。しかし、トビアくん。気に入らない連中を片っ端から殺していたら、やがて自分以外のすべてを殺さざるを得なくなる。だがヒトは一人では生きていけないのだ」


 黒服の男が駆け寄って、ヘルモントに何か耳打ちした。

「ふむ、そうか」

 彼は娘に目を向ける。

「サラ、その男は信用に値するかね」


 サラはびくっと背筋を伸ばす。

「は、はい……」

 彼女の声は決して大きくなかった。が、口調は力強かった。

「わたしは彼を……トビアを、信じています。彼はわたしに自由を教えてくれました」

「……自由、か」

 ヘルモントは首を横に振り、まったく嘆かわしいとぼやいた。

「とはいえ、しかたあるまい。隣の集落で暴動が起きているそうだ。私たちはそれを止めに行かねばならん。トビアくん、娘の避難を手助けしてくれるかな」

「ああ、任せてくれ」

 驚きを隠せないまま俺は答えた。

「ちゃんと俺は、二輪車も持っているから……」

 ヘルモントは吹き出した。

「あはは! そうか、二輪車か! くれぐれも安全運手でお願いするよ」


 そして真剣な表情に戻ると、言った。

「娘を頼む」

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