Track #4 盲目の時計職人


 ほとんど脊髄反射だった。


 俺は荷物を投げ捨てて少女に飛びかかった。

 細い手首を掴んでナイフを振り落とす。

 彼女は大声でわけのわからない言葉を叫び、俺から逃れようと暴れた。

「やめて、じいや! 放っておいて!」

「落ち着け。俺はこの家の人間じゃない」

 うつむいたまま、彼女はぴたりと動きを止めた。

「あんた、サラ・ウィーセルか?」

 彼女は顔を上げた。

 濡れそぼった銀色の瞳。まぶたは腫れて、頬には髪の毛が貼り付いて、それでも美しいと分かる顔だった。

「……もしかして、あなたはトビア──、クズ屋の、トビア・アハシマ?」

「そうだ。あんたに商品を持ってきた」

 彼女の目から、ぽろぽろと涙が落ちた。

 くちびるをわななかせながら、力なく首を振った。

「いいの、ごめんなさい。せっかく持ってきてもらったけれど、もう要らないの」

「俺は遊びでやっているわけじゃない。注文されたぶんはきちんと払ってもらう」

 言いながら、ちくりと胸が痛んだ。相手は道楽娘だ、わがままなお嬢様だと自分に言い聞かせても、痛みは消えなかった。

「どうせカネを払うのはあんたの親父だ。だから……」

「お願い、やめて」

 フッと火が消えるように、彼女は真剣な口調になった。

 視力のない目で必死に俺を見つめながら――。

「どうかお父さまには、は秘密にしておいて」

 手首を切ろうとしていたことは。


 サラのまぶたのふちに大粒の涙が溜まっていった。

 彼女はぽろぽろと泣き出した。

 俺はため息をつく。


「いったい何があったんだ?」


 少し逡巡してから、彼女は口を開いた。

「わたしは時計を作っているのだけど──」

「知っている。タイタニウムはその部品にするんだろう?」

 サラはこくりとうなずいた。自分で自分の手首をぎゅっと握ると、続けた。

「お小遣いを貯めて、少しずつ買い集めていたの。タイタニウムのカバーで覆って、中には窒素を充填した、絶対に錆びない時計だよ。次に目が見えるようになった時に、一気に完成させるつもりだった」

「目が見えるようになったときに……?」

「うん」銀色の瞳がまっすぐ俺に向けられた。「わたしの目は、もう一年以上、見えないままなんだ」

 うるんだ瞳に見とれている俺に向かって、サラは事情を説明した。

 視力が回復と失明を繰り返していたこと。完全に失明する前に最高傑作を残そうとしていたこと。そして、作りかけの時計を継母に捨てられてしまったこと。自嘲気味にサラは言った。

「時計作りなんておかしな趣味だ──って、あなたも思うでしょう?」

「いいや、思わない」

 サラは不思議そうな顔をした。俺は続けた。

「俺はもっとおかしなモノを作っている人と暮らしているからな」

「ほんとに?」

「もっとも、あんたの時計のデキが悪ければ話は別だ」

 荷物を拾い上げながら俺は言った。

「子供だましのガラクタにカネを注ぎ込んでいるとしたら、酔狂だとしか言えない」

 相手はあからさまに不機嫌になった。

「子供だまし? たしかにわたしは子供かもしれないけど……。でも、ガラクタかどうかは実物を見てから言ってほしいな」


   ◇


 サラの部屋は毛足の長い絨毯が敷かれ、天井まで届きそうなガラスの戸棚が壁を覆っていた。棚の中にはエンジ色の繻子布が張られ、数えきれないほどの装飾時計が並んでいた。

「……すごいな」

 思わず声を漏らすと、サラは満足げにうなずいた。

「気になる時計があれば、手に取って見ていいよ」

 どの時計にも高価な金属や宝石が使われていた。サラが小学生のころから作り続けてきた、いわば彼女の生きた証だ。万が一にも壊さないよう、俺は慎重に戸棚から時計を取り出した。

「それは若い女の子向けに作った腕時計なの。文字盤には数字の代わりに、桃色のサンゴを埋め込んでみたんだ。金の鎖をちぎらないように気をつけてね」

 すらすらと解説するサラに驚いて、俺はぽかんと口を開けた。まるで、俺の手にした時計が見えているかのような口調だった。


「音だよ」


 さも当然のようにサラは言った。

「ゼンマイがほどけていく音や、歯車の噛み合う音は、一つひとつ違うの。だからトビア、あなたがどの時計を手にしているのか、音を聞けば分かるんだよ」

 視力を失った人は他の感覚が鋭くなるという。サラの耳もその一例なのかもしれない。後から分かることだが、時計の音に限らず、彼女は並外れた聴覚の持ち主だった。


 部屋の真ん中には作業机が置かれ、ほこり除けの薄布がかけられていた。

「本当はここに、あなたのタイタニウムを使った時計があったのだけど──」

 サラは沈痛な面持ちで布の表面をなでた。

「今日、病院から帰ってきたら捨てられていたの。こんなものはだからって、お母さまは言っていたよ」

 時計を作りかけにしておけば、いつか視力が回復するかもしれないという思いをふり払えない。盲目になった自分を受け入れられない。だから捨てたのだと、継母は言ったそうだ。

「さっきはごめんなさい。時計を捨てられたショックで取り乱してしまって……」

 そして、手首を切ろうとするほど思い詰めてしまったのだ。

「近いうちに家柄のいい相手とのお見合いを設定してあげるから安心しなさいと、お母さまは言ったの。時計なんか作れなくてもサラはしあわせになれるわよ──って。やっぱり結婚することが女の子のしあわせなのかな。女の子が時計作りに熱中するなんて、変なのかな」

 手にした時計を俺は見つめた。

「さあな。……女のしあわせは俺には分からないし、時計作りにも興味はない」

 緻密な文字盤。寸分の狂いもなく時を刻む秒針。

「でも、世の中には二種類の人間がいると思う。何かを作らずにはいられない人と、そうでない人だ。頼まれなくても何かを作ってしまうし、四六時中、次に作る物のことを考えている、そういう人間がいる。あんたも、きっとそうなんだろう」

 サラの目から、また、ぽろぽろと涙が落ちた。

「ありがとう。……ごめんなさい。でも、ありがとう」

 何度ぬぐっても、涙は止まらないようだった。

 取り繕うように俺は言った。

「俺はそういう人間と一緒に暮らしているんだよ。トマロックもホオリ叔父さんも、何かを作りはじめたら食事も忘れて没頭してしまうんだ」

 サラは顔を上げた。

「ホオリさんって、あのホオリ博士のこと?」

「叔父さんのことを知ってんのか?」

「だってホオリ博士といったら、ちょっとした有名人だよ。ガラクタ部屋に子供たちと暮らしている変人だって」

「変人か……」

 訂正できなかった。

「ホオリ博士も時計作りがお好きなの?」

「いいや。叔父さんの場合はもう少し大きなモノを作っているよ。よければ一度、うちに来てみるか?」

「ガラクタ部屋に?」

「叔父さんの作っているモノを知ったら、きっと驚くはずだ」

 涙は乾いていなかった。だが、サラは小さく微笑んだ。

「そうだね。……うん、そうする」

 付け足すように、彼女はつぶやいた。

「ホオリ博士の秘密の発明を知るまでは、まだ死ねないよね」

 自分に言い聞かせるような口調だった。

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