第4話 衝撃

突然、ユティアが驚いたようにコートのポケットから通信機を取り出したのを見て、イズリは何となしに辺りの空を見渡した。


「もうすぐ来るって」

 ユティアが叫びながら駆け寄ってくる。やっと帰れることに喜んでいるのだろう、表情は明るい。


「ああ……」

 しかしイズリは訝しげな面持ちで東の空を見遣っていた。遠く黒く染まった山脈の上辺を、黒い点がゆっくり動いている。


「双眼鏡、貸してくれないか」

 ユティアがバックパックから取り出す。それを覗き込んだイズリはますます表情を険しくさせた。

「プロペラが前方に四つ……あいつら、ヘリじゃなくて飛行機をよこしがった」

「垂直離着陸機…じゃないか…」

 ユティアは辺りを見回す。横の建物が邪魔で遠くまでは見えないが―


「この辺りにそんなものを降ろせる場所はないと思う」

「だろうな」


 イズリは双眼鏡を下ろし、舌打ちをついた。ユティアに通信機を借りると、ダルコの軍部とすぐに繋がった。イズリは苛立ちを抑えながら話し始める。

「輸送機が飛行機なんて聞いていないが。送る時には帰りは同じ場所だと言っていただろう」

 相手は年齢の読めない、すこしくぐもった声の男だった。

『すまない。急遽作戦が変更になった…通信では現在地はリンガー通りの突き当たりとあるが』

「そこであっている。どこへ向かえば良いか教えてくれ」


 しばしの沈黙の後、通信相手はノイズ混じりの声で言った。

「…いや、そこでいい。最寄りのレイスター基地から小型扇翼機を向かわせている。あと5分ほどで着くはずだ」

「余り待たせるなよ」

 イズリが言い終わるのを待たずに通信はぶつりと切られた。

 失礼なやつだ。


「どうだった?」

 移動するつもりでいたのか、荷物を背負ったユティアが聞いた。

「もう少しで代わりのヘリが来る。ここで待機しておこう」

 イズリはどかりと座り込んだ。ユティアもならって荷物を下ろす。


 桃色も薄くなった夕方の空を、断続的な音を響かせながら小さく空輸機が滑っていく。




――何かおかしい。


 イズリは言い知らぬ違和感の正体を探った。


 …レイスター基地は最寄りとは言え決して近い距離じゃない。仮に最高速度で飛んだとしても、小型ヘリで5分でここに着くことはできないから今の通信の段階ではヘリは既に飛び立っていた事になる。なぜその時連絡が入らなかった?


 空輸機の影は薄白い筋を暮れ刻の空に残し、巨大な矢印を描いているように見える。


―通信の男は作戦が急遽変更されたと言っていた。しかし戦地の傭兵を連れ帰る事を作戦と呼称するだろうか?何かもっと、他の―


 イズリは空を見上げる。白い矢はまっすぐに、大地の杭、イーザンを指していた。


 その瞬間、ぱっと火花が散るように、一つの可能性が彼の思考で閃いた。馬鹿げた考えだった。しかし理性は否定しなかった。あるいはその思いつきを補強する、数々の証拠を記憶の中から見つけ出しもした。


 イズリはユティアから借りて首にかけたままの双眼鏡を、向きを空の黒い影に向けてもう一度構えた。倍率を調整すると、進みゆく空輸機の詳細がはっきりと見えた。

 鯨を思わせる体躯に頑丈な鉄の翼が四機のプロペラと共に取り付けられ、勇ましく空を切っている。その鋼鉄の体が示す物は…

「――爆撃機…!」

 飽きるほど戦地で見てきたものと違い、それには一切の砲門がなく、黒く鈍く光る滑らかな機体のみが単身、飛行していた。しかし滑走輪の格納部では無いところにある腹の亀裂は、間違いなくそれが爆撃機である証左だった。


(…まさか本当に「そう」なのか?)


 己の腹が否定する。しかし理性はこう反駁した。

―この次の瞬間、彼がユティアを抱き抱えながら屋上から飛んだのと同時に、その爆撃機はメルツンバートの夕闇を燃やし尽くす太陽のように一つの巨大な火球と化した!



!)



 閃光。


薄桃色のエネルギーのうねりが急速にその中心へと集まり、瞬間的に赤く染まり爆縮した。直後、破壊エネルギーが全開放され、真っ白い雲のような球体が生じ、ありえない速度で広がって高層ビル群を撫でるように破壊し尽くしていく。


 ほとんど反射的な動きだった。地上18階のビルから飛び出した巨体は少女を抱え込みながら重力に引かれ想像以上の速さで落ちてゆく。

 間も無く全身に衝撃が走った。遅れてやってくる、足を内側からぐちゃぐちゃにされるような痛み。


「チッ…!」


 右膝が奇妙な音を立てて変形した。骨が服を突き破って露出し、赤黒い染みが広がっていく。

「い、イズリ!」

ユティアが叫ぶ。何か返している暇はなかった。直線道路の奥まで白い崩壊の波は押し寄せていた。


 蹴る地面が爆ぜる。イズリはその腕に少女を抱えつつ、その人を超えた筋力を爆発させ、正確にその路地裏へと飛び込んだ。コンクリートの壁に指を食い込ませて勢いを殺し、慣性で振れた左足で鉄製のドアを蹴破る。ドアが腹部を中心にすり鉢状に凹み、情けない音を立てて階段を跳ねて転がっていく。


「行けッ…!!」


 残った運動エネルギーを全て腕に流し、階段の奥へユティアの軽い体を投げ飛ばした。


ユティアは壁に激突してそのまま倒れた。


「イズリぃっ…!」


 悲鳴もその異形の耳に届かぬうちに、彼の体は音速で押し寄せるコンクリート片と衝撃波の濁流の中へ一瞬で消えた。

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