天国への道のりは猫が知っている

洞貝 渉

天国への道のりは猫が知っている

 感情というものは体とリンクしているものらしい。


 さっきすれ違った子の表情を思い返して考えてみる。

 きっと死ぬほどつらいことがあったのだろう。私にも経験があるから、そこはよくわかる。だけど、今の私にはよくわからない。

 お腹が空けばイライラするし、ジェットコースターに乗ればハラハラドキドキする。ガタイのいい強面の人に凄まれれば心臓がキュッとするし、理不尽な扱いを受ければ頭の中がグシャグシャになる。


 つらかったのは覚えている。

 あれはつらいな、と、今振り返ってみても、思う。

 だけど、やっぱりわからない。今の私はイライラもハラハラドキドキもしないし、何が起きようとも心臓も頭もこれっぽちも反応しない。

 そもそも、死ぬほどつらいこと、というのがそんなに重大なこととは思えなくなっている。


 だって、私、もう死んでいるし。



 ドサリと、音がした。

 いや、嘘だ。本当はもっと大きくて遠慮のない、肉が固い地面に叩きつけられる音がした。

 お仲間に会えるかな、という淡い期待と好奇心から、音の方へ引き寄せられていく。

 以前の私がそうだったのと同じように、その子はその子だったものに成り果て、地面に横たわっていた。でも、それだけだ。

 私の時とは違い、自分の体だったものをポカンと眺める、もう一人の誰にも見えない私になってはいないみたい。ああ、でも、なっているのかも、この子も。同じ存在であるはずの私にさえも見えていないだけで。


 毎日が静かだった。

 孤独とも退屈とも違う。

 哀愁とも追憶とも違う。

 世界は明るくて、ほんの少し薄暗い。

 だからとても息がしやすくて、今の私は肩の力がちょうどいい具合に抜けているように感じる。


 幽霊、という存在になった。そう自覚してから時間の感覚が無い。

 毎日同じようなことが繰り返され、そのいちいちにほっとしている。よく見れば全然違う一日なんだろうけれど、単純にその違いにいちいち気付くことが出来なくなったのかもしれない。



 でも、そういえば、今日はちょっといつもとは違うのかもしれない。

 あの子が、あの子だったものになったのを見たから。その後人がたくさん寄って来て、あの子だったものを持っていき、また静かになった。


 それから、静かになったあの場所に一匹の猫がやって来た。

 

 猫は、あの子だったものが横たわっていた辺りをじっと見つめ、目を細め、ゴロゴロと喉を鳴らしていた。

 やっぱり、私には見えないだけで、あの子も私と同じになっていたのだろうか。


 猫は誘うように、振り返り振り返りしながらゆっくりとどこかへ行ってしまった。おそらく私には見えないあの子の幽霊を、どこかあの猫の気に入りの場所へ招待したのだろう。

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