第16話

シュルツ様との会話を終えた数日後、ついにその日は訪れた。


「クレア様、お迎えに上がりました」


清潔に整えられた衣装を身にまとう、伯爵家の使用人。

私と会うことが初めてだからか、少し緊張しているようにも感じられる。

もっとも、私の方は全く初対面なんかじゃないのだけれど。


「それじゃあクレア、今日は心行くまで楽しんできなさい。わざわざ伯爵様がご用意してくださったんだ。きっと君にとって、楽しい時間になると思うよ♪」

「ありがとうございます、お父様」

「大丈夫ですよお嬢様!私が丹精を込めて身づくろいをさせていただきましたので、間違いなく伯爵様の心を一撃で仕留めることができると信じております!」

「こ、これこれサリナ…。ま、まだ気が早いであろう…」

「あ、これは失礼しました…♪」


きっとお父様とサリナは、普段からこんな様子なのだろう。

主人と使用人という関係でこそあるけれど、きっと二人の関係を現すにふさわしいのは”家族”という言葉だと思う。

本当の家族なんじゃないかと思えるくらい、二人の関係は温かいものに見えた。


「それじゃあ、行ってきますね」

「あぁ、行ってらっしゃい!」

「いってらっしゃいませー!」


二人の暖かい声に見送られながら、私は使用人の人に導かれるままに馬車へ乗り込んだ。

…この馬車にも、いろんな思い出がある。

ジーク様が私を最初にデートに誘ってくれた時、この馬車に乗って森林の中にある美しい景色を見に行った。

最初のころは私もジーク様に心を開いていなかったから、緊張ばかりしてあまり楽しい時間を過ごせたわけではなかったけれど、それでも凍り付いていた私の心を溶かすには、十分なものだった。


「…なにか考え事ですかな?クレア様」


考え込んでいた私を不思議に思ったのか、それともただ沈黙が苦しかったのか、私の隣に腰かける使用人……ルアク様はそう言葉を発した。


「いえ、さすがは伯爵様の馬車、快適な乗り心地だと思っていただけですわ」

「はっはっは。そう言っていただけますと大変うれしいです。しかしこの馬車、実はついこの間までは全くふさわしくない者が乗っておりましたので、その汚れを取り除くことにも苦労したものです」

「そうでしたか、それは大変でしたね」


それが誰なのかなんて、聞くまでもないことでしょう。


「…伯爵様にお仕えする私がこんなことを言うのはふさわしくないのかもしれませんが、ジーク様はあなた様の事を大層気に入っておられる様子でした。これからお二人でお食事をされるにあたって、その気持ちだけは知っておいていただければなと」

「…ジーク様にそこまで思っていただけるなんて、もったいないですね」


どこまで本当なのかもわからないような、そんな会話を繰り返すうち、ついに私たちを乗せた馬車は伯爵家へと到着した。

…ここで彼との生活を送っていた私の心の中には、いろいろな感情が複雑に絡み合っているけれど、今はそれらを無視して目的地を目指すことに集中する。


「さぁ、伯爵様のもとまでご案内いたします」


私はルアク様に導かれ、慣れ親しんだ伯爵家の中に再び足を踏み入れた。

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