青年ハ運命ヲ変エル
遺書
前略 清一郎様
これをお読みになっていると言うことは、私の企てがきっと全て上手くいったのでしょう。
直接申し上げる事ができず、手紙の文面でのお話になってしまうご無礼をお許しください。
私の右腕には、清一郎様の求める、無言病を治す為の札が刻まれてございました。
けれどこの札はもともと、言霊の詠唱を行うと同時に、術者の記憶の一部と、術者のすべての神力を対価に発動するものです。
私の父が改良し、多少は対価が軽くなりましたが、それでもまだ、未完成品でした。
私の母は、父の作った無言病を治す札を試してみると言って身内に使い、その結果それまでの記憶と神力の全てを失って心を病み、亡くなりました。
私の父は、母のような人間を一人も出すまいと研究を重ね、その無理が祟って、六年前にこの世を去りました。未完成だったその治療札を私の身に刻み込んで、ゆめゆめ簡単に使うことのないよう、戒めました。
この札一つでは、救える命は一つだけ。貴方様なら迷いなく、お上の為にご自分の全てを投げ出す事でしょう。
けれど私は、誠に勝手ながら、母上の咲子様のことも、諦めたくは無かった。
清一郎様には、何一つ憂いなく、今後の生を歩んでいただきたかったのです。
お母様の病は、とある術士の方に協力していただいて、彼の記憶と野心の一部を対価に、私の腕の刻印で完治させました。
この手紙と同封する、完成した札は、対価を相殺してあります。
清一郎様が言霊をお唱えになっても、なんの副作用もなくお使いいただけることと存じます。
但し、一度きりです。
くれぐれも、このまま複製したりすることのないよう、伏してお願い申し上げます。
手短に、と思っていましたのに、このような長文になってしまい、誠に申し訳ございません。
どうか清一郎様の行く道が、これからも幸せに満ちた実りあるものでありますよう、お祈り申し上げます。
八重様、きく様、そしてお話する事の叶わなかったご両親様にも、数多の加護と幸福のあらんことを、祈念致します。
願はくは 雪の下にて 春待たむ
福寿の花の 芽吹く時まで
――――――――――――――――
「そう、琴葉がこれを、君宛に」
血の染みがついた手紙を、端から端まで丁寧に読んだ白藤涼夜は、手紙から目をあげて清一郎を見た。
清一郎はその視線を正面から受け止めて、軽く顎を引いて頷く。
「美しい、辞世の句だ。本歌は西行かな」
琴葉らしいまっすぐな歌だ、と話す涼夜に、清一郎は返事をしなかった。
「ところで。母君はお元気かい」
「まだ時々意識と記憶が混濁するが、起き上がれるようになった。八重も久しぶりに母と再会出来たところだ」
「それはなにより」
涼夜が読んでいたのは、血だらけの琴葉を離れで発見したあの日、彼女が身につけていた着物の合わせから出てきた手紙だった。
手紙を持参した清一郎が、白藤邸を訪れて涼夜と面会したのは、あの日から一週間経ってのことだった。
穏やかに聞こえる会話とはうらはらに、畳の上に正座する二人の間には、異様な緊迫感が流れている。
「琴葉の腕に札が刻まれていることは、白藤家では周知の事実だったのか」
「そりゃあ、一時期うちで預かっていた時期もあるから、知っていたけれども。でも、あれは琴葉のお父上が、札を扱えない琴葉に自分の神力を紐づけて、筆ノ森の神社に帰れる帰巣機構を刻んだだけのものだと思っていた。実際、琴葉はそれをしょっちゅう使っていたしね。二種類の札を刻んでいたのかもしれない」
「無言病を治す札の擬装だったというわけか」
そうだろうね、と涼夜は頷いた。
「君の母上が意識を取り戻すのに『協力』した術士は、見つかったのかい」
「おおよその目星はついた。最も、協力というには程遠い関係だったようだが。琴葉の腕の札に、植物の芽を芽吹かせる時に使う初歩的な『神力結び』を使って術者自身と札を結びつけてから、札を発動したとみられる。副作用からか、術者の記憶が混濁していて、詳しいことはまだ不明だ」
弓弦家に潜入していた者からの報告だ。
あの日、客間に入って行った琴葉と實がいつまでも出てこないのを不審に思った家事手伝いが、こっそり客間を除くと、そこには實が気を失っていたという。
目が覚めた實は全く何も覚えておらず、それどころか琴葉という存在そのものや、退魔科への恨みなどもすっかり消えていた。憑き物でも落ちたかのように別人になってしまった實を、弓弦家の当代である實の父はたいそう気色悪がった。時を同じくして、弓弦の事業で横領していた金を社員が摘発。今、弓弦家は警察の差し押さえ処分となっている。
「乗り込んでいって、弓弦を出し抜いたか。しかし、思い切ったことをしたね琴葉は。彼女の思い切りの良さと肝の座っているのは、母親譲りなんだろうね」
涼夜の青い瞳に懐かしさと後悔のようなものが滲むのを、清一郎は不思議に思った。
涼夜はふと顔を翳らせた。
「琴葉の母が命を落としたのは、僕が原因なんだ」
次に告げられたその言葉に、清一郎は身を固くする。
「幼い頃、白藤家の嫡男である僕が怪異に襲われて、うちの人間は大層取り乱した。その時のことは……僕は、全く覚えていない。この日常が一人の命と引き換えだったことは、後から色々調べて分かったことだ。その頃からかな、この目が深い海のような青を潜ませるようになったのは」
涼夜は言葉を続けた。
「あくまで仮説だけど、僕らのような元々神力の高い術士が怪異の危険に晒された時、あるいは、それが悲しい記憶にまつわるものだった時、何らかの潜在能力的なものが引き出されて、この『青』が生まれるんだと僕は考えている。君はあまり隠していないようだけど、君のその瞳も、三年前からじゃないかい」
言われて、清一郎ははじめて自分の瞳が「青い」と言われるようになった時期を思い返した。確かに、頻繁に言われるようになったのは三年前の、母が怪異に襲われた頃からだ。自分の容姿に頓着が無さすぎて、今までそのことに気が付かなかった。
「無自覚でいられることは、幸せなことだよ。私はこの瞳を不吉だ、隠すようにとしつこく言われて、常に人前では擬態の札を使っている。君相手なら隠さなくてもいいかと思って、こうして素の自分でいられるから楽でいいな」
涼夜は自重気味に笑った。
琴葉が自分の瞳を時々じっと見つめる意味が、少し分かった気がした。涼夜の瞳で見慣れているものと思っていたが、彼女にとっては珍しい青だったということだ。
「さて、話を戻そう。琴葉は今、生死を彷徨っているんだったね――いや、現実には『死んでいないとおかしい』。この手紙にあって、おそらく君も気がついているだろうが、無言病を治す為の札に封じられた対価は、琴葉の命そのものだ。僕の占でも、琴葉は命を落とす、と出ていた」
「占で出ていたのに回避しなかったのか」
思わず腰を浮かせた清一郎を、涼夜は手で制する。
「以前言っただろう。琴葉の運命はあまりにも不確定なもの。この目を持ってしても割り出せない。迂闊に言霊にして、こんな未来を確定させたくなかった。それに、占いは確かに未来をより良くするためのものだけど、全てを回避できる訳ではない。事象を最小限に抑えても、避けて通れない未来は存在する。――ごめんね。君からすれば、言い訳なんだろうけど」
「……すまない。自分が彼女を守れなかった、当てつけだ。気にしないでくれ」
側にいながら、彼女の真意に気がつかなかった。
あまりにも自分が不甲斐なくて、このところ苛立っている。
涼夜は清一郎から視線を外し、部屋の外に見える枯山水の庭へと目を向けた。
「琴葉の心の臓は、止まっていない。まだ君たちが例の札を殿下に使っていない、というのはあるだろうね。殿下の容体だって一刻を争うだろうに、君はまだ、あの札を使う決心がつかないわけだ」
「情け無いと笑うか。妻が身を賭したのに、軍人である私がその覚悟を大切に出来ないなんて」
「――いいや。君が琴葉を本当に大切にしてくれる人で良かったと、心の底から思っているよ」
涼夜はおもむろに、一枚の札を清一郎に差し出した。
「……これは」
「白藤家が占をする時に使う、夢見札だ。うちには色々な占の方法があるけど、大きな未来を占う時は、さまざまな手法で占を行った後、この札を使って眠りにつき、神託をより確かなものにする。これ、君に一枚あげるよ」
「……私に?」
「使い方は自分で考えて」
涼夜が静かに席を立った。そのまま部屋を出ようとする涼夜に、清一郎は「一ついいか」と問いかけた。
「何かな」
「……何故、彼女を娶らなかった」
「そうするのが吉と出たから、かな」
清一郎に背中を向けたまま、涼夜は言葉を紡ぐ。
「僕が琴葉を娶ったら、彼女はもっと早死にしていたよ。僕はね、琴葉の命が存えるなら、何でもする。何でもだ。まだ琴葉に死なれては困るんだ。彼女には、もっともっと幸せになって、笑っている姿を見せてもらわなければ。そしてそれを隣で見守る権利があるのは、君だけなんだよ」
琴葉を頼んだよ、と涼夜は言った。
今度こそ、清一郎を置いて、涼夜は部屋を出て行った。
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