ささくれのような違和感

「こちらはいかがですか? ああでも、奥様はもともと静謐な雰囲気をお持ちのお顔立ちだから、少々地味すぎますかしら。ではこちらの柄は?」


 本日すでに二度目の着せ替え人形になっている琴葉は、その道の玄人に全てを委ねようと早々に抵抗を諦めた。着物の紋様の組み合わせ方について議論を交わすなら興味はあるが、自分が着る物で似合うかどうかという点に強いこだわりはない。そもそも、百貨店で売られているような高価な反物など、自分には分不相応すぎて気が遠くなる思いだ。

 ただ、八重の好意を無碍にしないように、約束を果たすため、それだけである。


 あれこれと顔に布地を当ててくる店員はさておき、琴葉はちらりと遠くの清一郎を一瞥した。

 反物にはあまり興味がなさそうな彼が、所在なさげにぼんやりと視線を彷徨わせていた。

 以前活字が好きだと言っていたから、本屋にでも行ってもらった方が良かったのではないか。しかし店の人に着物を一着買うと清一郎が宣言してしまったため、ここから動く事ができないのかもしれない。琴葉は申し訳なく思った。


 そうやってろくろく店員の話を聞いていなかった琴葉は、ふと奥の衣桁いこうにかけてある着物に目をとめた。



「今からのお仕立てですと、出来上がるのは……」

「あ、あの、すみません。少々お尋ねしたいのですが」

「はい?」


 店の者の言葉を遮って、琴葉はその衣桁の着物を指す。


「あちらのお着物は、どなたかが買われた物ですか?」

「ああ、あちらは……」


 少し顔を顰めて、店の者は声を落とした。


「あちらはほんのつい先ほど、さる良家のお嬢様がご返品になった物です。なんでも、仕上がりがお気に召さなかったご様子で……」


 縫賃もまだだというその着物は、白い雪輪を絞りのようにして染め抜いてあった。雪輪の中には四季折々の花が描かれている。地は宵の口の空にも似た、薄い紺色の着物であった。


「あんなに素敵なお着物なのに」

「良い着物だな」


 突然横から聞こえた声に、琴葉はびくりと肩を揺らす。

 離れた場所にいたはずの清一郎が、すぐそばで琴葉の視線の先の着物を見ている。


「気に入ったか?」

「あっ……いえ、その……」

「今合わせているその反物も悪くないが、私にはあちらの方が似合うような気がするな」

「いえ、私には……」


 言い淀んでいるうちに、清一郎は琴葉を接客していた女中と会話を始めた。

 

「あの着物、譲り受けることは出来るのか」

「へ、ええっ? あのお着物、ですか? あまり縁起の良い物ではありませんが」

「物自体に罪はないだろう。雪輪は私たちには大事な紋様でね、良ければ売ってくれないか」

「あの、清一郎さま、それは」


 あたふたする琴葉を尻目に、清一郎は畳み掛けた。


「返品が出たとあっては、外聞も悪かろう。店の損失も大きい。私なら値下げ交渉もしないし、言い値で買おう。今後も扱いづらい品を置いておくよりは、ここで売っておくのも手ではないだろうか」

「で、では店主に聞いて参ります……少々お待ちくださいませ」

「ああ、頼む。雪宮が来たと伝えてくれれば話は早いはずだ」


 女中ははっとした顔をして慌ててお辞儀をし、小走りの勢いで奥へ引っ込んだ。


「こ、こんなところで、良かったのですか、お名前を名乗ったりして……」

「こうするのが一番早い」


 なんということもないように彼が言う。


「雪宮家にとって雪輪紋様が縁起物であることは流石に周知の事実だからな。こういった店は体裁と家名を重んじるだろう。理由がある方が、事が早く進むと思ったまでだ」


 琴葉の中で、また疑問が膨らんでしまう。

 どうしてここまで、してくれるのだろうか。


「どうして、と思っている?」


 清一郎は琴葉を見て、的確に心を読んでくる。


「きみが私の妻だから、では駄目だろうか」


 琴葉は息を呑んだ。

 その言葉が、喜びと共に琴葉の心を重く締め付けていることには、きっと気がついていないだろう。


「強いて言えば、今着ている着物を八重が着て揃ってでかけるなら、あれの方が色の取り合わせも良いだろうな、と思っただけだ。私は取り立てて衣装の良し悪しに詳しいわけではないが、直感とも言うべきかな。こういうのはえにしだから」


 ややあって、慌てた様子の店主が出てきて、清一郎と商談をはじめた。瞬く間に決着をつけて着物を包んでもらう様を見て、琴葉は眩暈のする気持ちになった。


 本当のことは言えない。

 あの着物の色が、明るい日差しの元で見る清一郎の瞳によく似ていると思ったから目を引いた、それだけのことだと。





「さて、妹からの言いつけも済んだことだし、文房具が売っているところがあるのだが、少し覗いて行かないか」


 すでに一週間分ほどの疲労を覚えていた琴葉だが、清一郎の言葉にぴんと背筋が伸びる。


「文具屋があるのですか」

「……興味がありそうだな。舶来の品も取扱があると聞く」


 この機会を逃せば、いつまたそんな高価な品を拝む事が出来るか分からない。

 元来の貧乏性と疼く好奇心が顔を出す。その反応を見て、清一郎が薄く笑った。


「行ってみよう」

「み、見るだけですが……立ち寄らせていただけるのであれば……」

「気に入ったものがあれば、出会いを大切にすると良い。仕事道具は一人でゆっくり選びたいだろう? 私は隣接している書物の場所にいることにするよ」


 琴葉は今日だけで何度目か分からない高揚感に包まれた。


 ひとたび文具の売り場へ足を踏み入れると、外の喧騒がまるで嘘かのような静寂が支配していた。

 最新の万年筆や、ガラスペンがずらりと並ぶ。室内がやや暗めの照明に調整されていても、そのペンの輝きは色褪せない。

 墨やインクも数々置いてあった。舶来製と思われるインク瓶には、琴葉の読めない文字で装飾が施されている。

 琴葉は感嘆のため息を吐いた。


「女人ひとりとはお珍しいお客様だと思ったら……やれやれ、琴葉じゃないか」


 突然、自分の名前を呼ばれて弾かれたように顔を上げた琴葉は、目の前に懐かしい人を見つけて頬が緩んだ。


「まあ、史也おじさまではないですか。どうしてここへ」

「それはこっちの台詞だよ。最近会わないから、嫌われたのかと思っていたよ」


 砕けた言葉の強さとは裏腹に、その顔は娘を見るように優しい。

 彼は望月史也と言った。白藤家の細い細い分家に属する家の出身で、変わり者だった彼の父は文具店を立ち上げた。筆村家とも懇意にしていて、父もよくここで仕事道具を買っていたので、面識がある。

 文具屋を継いだ史也は、琴葉より十五歳ほど上だ。初めての自分の筆は彼から買った物だった。

 近頃は新しい文具を買う事なく、父の遺品やあるものを使い回していたのですっかりご無沙汰していたのだが、まさかここで再会するとは思っても見なかった。


 聞けば、この百貨店に新店舗の二号店を構える事ができたとか。繁盛しているようで何よりである。


 文具屋とは思えぬほど日焼けした、精悍な顔の史也は、人好きのする笑みを浮かべて琴葉に聞いた。


「今日も一人で仕事道具探しかい?」

「今日は、その。ええと――しゅじん、と一緒に外へ出ることになりまして、それで偶然立ち寄ったのです」

「しゅじん……主人か! へーえ! 琴葉、結婚したのかい! なんだそういう目出度いことは早く言いなさい」

「なかなかご挨拶に伺えず、申し訳ございません」


 雪宮の周囲の挨拶が多すぎて、自分の周囲に挨拶すべき人が残されていたことさえ失念していた。悪かったと反省していると、史也が顔を寄せて耳元で囁いてくる。


「で、旦那さん、どこの誰」

「あ、あの……退魔科に所属している、雪宮――」

「ゆ、ゆきみ――ッ!?」


 うっかり大声を出しそうになった彼を急いで制し、琴葉は声を顰めた。


「あまり、大声を出されては困ります」

「す、すまん、まさかそんな大きな家に嫁いだとは思いもしなかった。退魔科にわざわざ所属しているとなれば、雪宮家でも名うての術士だろう? 本家筋なのか」

「本家筋というか……ご嫡男です」

「嫡男!? あの!? 近頃急に結婚したと大層話題になっていた、かのご子息のお相手が琴葉だったと!?」

「声が、声が大きいですおじさま、抑えてください!」


 すまない、と再度謝った史也は、周囲をそっと伺った。幸い人がおらず、琴葉と史也は二人して胸を撫で下ろした。


「しかしまた、なぜそんなことに。白藤家の差金か」

「それが私にもとんと理由が分からないのです。気がつけば、このような事態に」


 結局、白藤の家がこの結婚に何を求めていたのか、まだ分からないままだ。


「何か脅されているとか、不便なことはないのか? もし困り事なら力を貸すが」

「とんでもございません。よくしていただいております。この通り、大層良い着物をお貸しくださるほどには」

「――そのようだな」


 上から下まで、肌艶の良さまで確認された琴葉はいささか居心地が悪かった。一応納得はしたものの、まだ訝しげな目で見てくる史也に、琴葉は心の中で謝った。


 この結婚は、契約上のものであるという事実を、黙っていることに対しての罪悪感だ。

 実際、仮初であることを忘れるほど、よくしてもらっている。今日でさえ幾度となく、初めての気持ちをもらっている。


「そうだ、退魔科といえば妙な噂を聞いたが、あれは本当なのかい」

「うわさ? 何のことでしょう」


 琴葉が首を傾げると、史也は一段と声を低くして囁いた。


「退魔科には、怪異の襲撃を受けても、稀に運良く長く生き残る人がいるらしいじゃないか。やっぱり、持つ神力の違いなのかね?」

「え?」

「しかも、その人たちの後遺症を治すための治験をしているんだろう、今。早く開発されれば、少しでも手遅れになる人を減らせるな。琴葉の旦那様にも、頑張ってもらわなければ」


 何のことだろう、と琴葉は思った。

 まるで、先日墨島印刷所で聞いた話と繋がるような言葉だ。


 ただし、あの場で聞いたのは、「怪異の後遺症を治す札」の存在の有無だ。

 そしてそのようなものは、清一郎も「知らない」と言っていたはずだ。


 それが治験とは、一体どういう事なのだろうか。


「『琴葉』、何かいいものはあったか」


 そこへ、清一郎が前触れなく唐突に現れた。

 初めて、琴葉の名前をはっきりと呼んで。

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