乙女ハ運命ヲ知ル

出かけの誘い

 琴葉が清一郎の見送りと出迎えに慣れる頃には、季節も少しづつ移ろい始め、日が伸びたことを如実に感じるようになってきた。


 行き交う人々も夏の単衣になり、道々に朝顔の蔓が伸びる。相変わらず、琴葉が外に出かける事は滅多にないが、そんな彼女でも街の衣替えに気がつくようになったとある日のこと。


「明日は非番だ。どこか、行きたいところはあるか」


 帰ってくるなりそう告げた清一郎に、琴葉はよく分からないまま「はい……?」と返事をした。


 いつもの通り鞄を受け取った、そこまではいい。

 明日は非番だ、も分かる。もっとも、彼は非番だからといって暇をしているかといえばそうではなく、用事があると称して出掛けて行ったり、自室で書類仕事をしているようなので、ほとんど琴葉とは顔を合わせないのだが。


 つまり、彼が非番だと告げようが告げまいが、琴葉のやる事はたいして変わらないのだ。きくとともに家事をこなし、八重の面倒を見て、あとは静かに札を作る。近頃ようやく気力も戻ってきて、今は墨島から頼まれた守り札の文言をより強固なものに更新出来ないかと試行錯誤中である。


 だが、最後の「どこか行きたいところはあるか」が分からない。

 清一郎が非番であることと、自分が出かけたい先との二つの事柄の間に、何の繋がりがあるのか。


 理解しかねて固まっていると、清一郎も怪訝そうな顔をした。二人して見つめ合ってしまい、不自然な沈黙に場が固まる。こんな時だというのに、彼はやはり美しい瞳をしている。などと現実逃避めいた思考に陥った。


 すると、廊下の奥からひょこりと八重が顔をだした。


「あらお兄様、お帰りなさいませ。お出かけのお誘いならば玄関先などではなく、もっとお寛ぎになってからなさったらよろしいのに」


 お出かけ。

 その単語に、はっとして琴葉は清一郎を振り返る。


「それにそんなお誘いの仕方では、お義姉さまもお答えしづらいのではなくて?」


 追い打ちをかけるような八重の台詞に、琴葉はますます困惑した。

 

「……そんな大層なものでは、ない」

「いえ、それは存じ上げておりますが」


 八重がそう取ったということは、少なくとも。

 鼓膜を打つ音で分かるほど、心拍が跳ね上がる。それを聴きながら、琴葉はゆっくりと口を開いた。


「私を、外出に、お誘いくださった、という事でしょうか……?」

「それ以外に何がある」


 責める様子でこそないが、心底不思議そうな顔をした彼を前に、琴葉はますます内心で首を傾げることになった。


「無いなら私の用に付き合ってもらう。きくにも伝えておくから支度をするように」


 それだけ言って、清一郎は廊下の奥へと消えて行った。


 はい、しか答えられないようなこの状況に、琴葉はただただ立ち尽くすしかなかった。






「まあ、まあまあまあ! 私の見立てどおり、よくお似合いですわ!! これが一番ですわね」


 きくの言葉に、うんうんと八重も頷いている。


 困惑した状況のまま、琴葉は翌日を迎えていた。いつものように家事を始めようとした琴葉を押し留めて衣装部屋に連行したきくは、あれでもないこれでもないと着物を引っ張り出し、問答無用で琴葉を着せ替え人形にした。あれよあれよという間に、薄く化粧も施される。されるがままとはこの事だ。


 いつもは寝坊の多い八重も何故か張り切っており、きらきらと目を輝かせて琴葉の着物に口出しをした。二人が今、満足げな顔をしている前に立つのは、灰色がかった浅葱色の涼しげな着物を身に纏う琴葉である。

 淡い色の着物の上に、濃紺の帯を締めた鏡の中の自分は、信じられないほど大人びて見えた。


「この紋様は……」

「あら琴葉さまともあろうお方が、この時期涼やかに見えてとっても人気の『雪輪』をご存知ないとは言わせませんわ」


 それは琴葉も知っている。よく雪の降る年は作物が豊かに実ることから、五穀の精とも言われる雪をかたどったこの紋様は、古くから「豊作」の象徴とされてきた。

 縁起物の札にもよく見る図柄である。琴葉の得意とする護符よりも、お守りなどでよく見る紋様だ。


「雪輪紋様は、苗字に『雪』の名を冠する雪宮家にとって大切な縁起物とされてきました。このお着物は、咲子様が八重様が大きくなった時のために、とこっそりお仕立てになっていたものです」


 きくの耳打ちに、琴葉はさっと顔色を変えた。


 咲子とは、清一郎と八重の母である。

 今は患って長い、家族でさえもなかなか面会できないという母親が、かつて娘のためを思って仕立てさせた縁起物の服を借りるなど、あってはならない。


「そんな大切なもの、お借り出来ません」

「あら、私が良いと言っているのだから、良いではないですか。箪笥の肥やしにされるより、琴葉様に着ていただける方がこの着物も幸せです」


 八重が胸を張って言うが、琴葉は首を振る。


「確かにこれは八重様のお着物かもしれませんが、お母様が八重様に寄せる、大切な大切なお気持ちそのものです。それにこれは、正絹で織られた高価なものではありませんか。それを私のようなものが、身につけて良いはずがありません」


 慌てて脱ごうとする琴葉の手を、八重がはっしと抑えた。


「では! こういたしましょう。今日は琴葉様がこのお着物でお出かけになって、お出かけの先で、お兄様に素敵なお着物を選んでいただいてきてくださいませ。そうしたら今度は、私がこちらのお着物を着ますから、琴葉様は今日買われるお着物を着て、八重と一緒にお出かけしてくださいませんか?」


 名案でしょう? と言わんばかりの勢いで、八重が一生懸命言い募る。


「ね、お兄様、良いでしょう? 今日は百貨店に行かれるのですよね」


 八重が大きな声を出したので、琴葉はびくりと後ろを振り返った。

 いつからそこにいたのか――清一郎が外出用の紺色の着物を着て、中折れ帽を片手に障子の外へ立っていた。


「琴葉様にとってもお似合いだとおもいませんか?」

「……ああ。よく似合っている」


 八重の言葉に頷いて、清一郎がふわり、と優しく微笑んだ。琴葉の胸がかっと熱くなる。

 

「八重にお土産は要りませんから、お義姉さまにとっておきの素敵な服を買って差し上げてくださいませ。では、お帰りを楽しみにしておりますわ!」


 とん、と前に押し出され、琴葉は一歩、清一郎に近づいた。


「――行こう」


 清一郎はくるりと踵を返す。琴葉は慌ててきくと八重を振り返った。二人は今までに見たこともないような満面の笑みで、ふりふりと見送りの手を振っている。少し気味悪く思えるほどだ。


 そういえば……行き先が百貨店だということを、今初めて聞いた、と琴葉は思った。

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