閑話 清一郎の思惑

「朝から訓練とは、まったく精が出ますね。冬見・・隊長」


 雪宮清一郎が振り返ると、訓練場の入口にもたれて呆れ顔をする部下の姿があった。

 


紫藤しどうか。お前もやるか」


 清一郎が手元に用意した訓練用の札をちらつかせるが、彼は短い髪の頭をぶんぶんと振って拒否した。


「これからもう一回街の見回りなんで、遠慮しておきます」

「そうか」

「まだ夜も明けきらないこんな早朝のうちから、可憐な奥さんをほっぽって出勤のうえ、やる事が札打ちの訓練とは。冬見隊長も相変わらずだ」


 紫藤の言葉に清一郎はぐっと言葉を詰まらせた。

 剣道場を改装して作られた退魔科の訓練場が、しんと静まり返る。板張りの床から、ひそやかな冷気が上ってくる心地がした。


「あれは、俺の都合に付き合わせているだけの、飾りの妻だ」

「貴方はそうでも、向こうはそうじゃないかもしれないでしょう。今頃、貴方に構ってもらえない寂しさで涙で枕を濡らしているかも知れませんよ」

「それは無い」


 おどける口調の紫藤に、間髪入れずに否定の言葉を告げておく。

 今朝は普段よりもさらに早めに家を出た。わざわざ起こすつもりもなかったから言わなかったのに、どこから聞きつけたのか、見送りに出てくれた彼女はすでに身支度を整えていた。


 先日は少し憔悴していたこともあったが、それ以降はきくから伝え聞く様子でも、おかしな点はないという。

 むしろ少しづつ慣れてきたのか、清一郎の前でも、時々綻ぶような笑顔を見せることが増えてきた気がする。特に不満もないはずだ。


 その笑顔に時々自分の心が騒つくのには、あえて気づかないふりをしている。


「奥さんの優しさに、あんまり甘えすぎない方がいいですよ。時々は外出に誘うとかしたらいかがですか。ほら、先日できたばかりの百貨店とか──」

「人の家庭に首を突っ込むな」


 清一郎はあきれて大きなため息をついた。

 野次馬根性丸出しで誰に対してもお節介焼きなのは、彼の悪い癖だと清一郎は思っている。


 紫藤大河しどうたいがは自分と同じ五藤宮家の一つ、紫藤家の三男坊だ。人当たりが良いのは悪いことではないが、もう少し自分の言霊に責任を持つべきだと清一郎は口を酸っぱくして伝えている。

 彼がまだ若いこともあり、清一郎にとっては手のかかる弟のような存在だった。

 もう一度見回りに行くと言った割には、まだ雑談を続けるつもりなのか、大河は体重を入り口に預けたまま、腕を頭上で組んでいた。


「それにしても、まさか隊長が『結婚』という最終手段にまで踏み切るとは思いませんでした。それだけ、彼女が『魅力的』だったという事ですか?」


 魅力的。

 含みがあるその言葉に、清一郎は心の端が僅かにささくれ立つような感覚がした。唾と共にそれを呑み下して、清一郎は口を開く。


「ああ、そうだな。『魅力的』だった。札への造詣が深く、技術者としても抜きん出た才を持っている。おまけに白藤の血を引く令嬢だ、血筋も申し分ない。『あの件』について協力を仰げるかもしれないとなれば、一番確実な方法で繋ぎ止めるのが堅実。この場合は結婚という関係が最適だった、ただ、それだけだ」

「それだけ、ねえ。その割には、随分と中途半端な『契約内容』に見えますけど。うーんと……夫側の宣誓しか成立してないな。彼女の方からは、簡単に誓約破棄して逃げられるようになっていませんか? だいぶわかりづらくはしてありますが」


 大河がもたれていた柱から体を起こし、すっと目を細めた。彼の視線を追い払うように、清一郎は右手を軽く振った。


「人の術や契約をあまり覗き込むな。そう教えたはずだが」

「だって気になるじゃないですか、純粋に」


 悪びれもせず、大河は口を尖らせる。


「俺たちの言霊は、力を持つ。日頃から術士たちに自分の本当の苗字を呼ばせない、という事を徹底してまで、厳重に力の制御を行なっていた隊長が、急に雪宮の名前を振りかざして結婚したんですよ? 帝から勅命を受けた『あの件』だけが理由なのかって、勘繰りたくもなります」


 確かに、つい先日まで自分は母の旧姓である「冬見」と名乗って仕事をしていた。

 本名を知るのは、ごく一部の上官たちと、五藤宮家から入隊している者に限られていた。それは名前に釣られて媚を売ってくる輩を極力減らしたかったのもあるが、繰り返し呼ばれる事で微弱ながらも勝手に増幅していく己の力を制御する意味もあった。


 自分が不用意に他人の名前を呼ばないようにしているのは、無意識に相手を縛らない為だ。

 逆に、自分が大河の事をあえて『紫藤』と呼ぶのは、彼の力を自分の勢力下に置くことを意識しているからだ。

 また、紫藤の力を彼自身がもっと使いこなしてほしいという願いも込めている。

 

「別に、振り翳してはいない。名前のことは時期がくれば、公表するはずだった。偶然今になっただけのことだ」

「ふうん。まあいいか」


 まだ何か言いたそうな大河に、今度はこちらから話を切り返す。


「ところで紫藤、『あの件』について、何か進展は」

「あったらここで雑談なんてしていませんよ。隊内の禁書庫は手当たり次第確認しましたし、資料管理をしている司書にも当たりました。馴染みの札屋、印刷所、退魔士、聞けるところは全部聞きました。弓弦家に潜入している者からも、それらしき情報は無かったと。逆に、弓弦も同じ情報を探っているような気配がありそうです」

「情報収集はいいが、あまり目立つなよ」

「そうは言っても、『怪異に侵された病人を治す札』なんて、聞き回るだけで目立ちますけどね。情報料としていくら金を積んだところで、他人の口に戸は立てられないし」


 現に琴葉に対して、あの墨島印刷所が洩らしたくらいだ。これ以上外部に情報を求めるのは危険だと判断して、清一郎は大河に情報捜索の中断を言い渡す。


「それこそ、奥様は何かご存知ないんですか。札作りの第一人者にも、引けを取らない技術をお持ちなんでしょう」

「そう簡単に聞き出せれば苦労はしない。あの反応は何か知っているだろうが、今急に距離を詰めれば悪手だ。殿下には、もう少し頑張って頂くしかない」

「それもいつまで保つか……。殿下が怪異に襲われてから、もう半年が経ちますよ。このまま昏睡状態が長引けば、体内の怪異を祓ってもなんらかの後遺症が残るかも知れない。そうですよね」

「それでも……皇太子が怪異に襲われたという失態を、外部に握られるわけにはいかないだろう。国内の術士はもとより、外国とつくにに情報が洩れでもしたら、この不安定な世の中は瞬く間に全土が火の海だ」

「全く、警護隊は何をしていたんでしょうかね」

「それは言わないと約定を結んだはずだ。終わった事は仕方がない」


 中途半端に誤魔化したりしないで、きちんと説明して奥様にも協力を仰げば良かったのに、という大河の呟きが聞こえた気がしたが、清一郎は聞こえないふりをした。


「殿下には、俺が命を賭してでも返さなければならない恩がある。それだけだ」

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