心に決めたもの

「……琴葉様。どうかされたの? お顔色が悪いわ」


 八重の言葉で、琴葉ははっと顔を上げた。

 正のところから帰ってきてから、どうも考え事をしてしまっていけない。


 八重からも心配されるほど、自分が取り繕えていないことを悟る。琴葉は慌てて作り笑いを浮かべた。

 

「久しぶりの外出で、少し消耗したかもしれません」

「それはそうですわ。お兄様を待たないで、今日は早く休まれては」

「いえ、夕飯時には戻られるというお話でしたので、ご一緒することに致します」


 待っていると約束した。初日からそれを違えるのは、琴葉の気が咎める。


「『術士、言ノ葉をたがうべからず』……ですから」

「それは術士の心得のお話でしょう?」


 八重が眉根を寄せて困った顔をする。


「術士の言霊は強い力を持つから、例えたわごと……冗談でも、嘘をついてはいけない、という戒めですよね。琴葉様は術士ではないのだし、具合が悪いのは嘘ではないのだから、言の葉を違えることにはならないのではなくて?」

「ですが、清一郎様に、ご相談したいこともありますから」

「そう……それなら仕方無いかしら。けれど、本当に無理するのは駄目ですよ。琴葉さまにはずっとお元気でいていただかないと。でないと、お母様みたいに……」


 何かを言いかけて、けれどはっと我に返った八重は、頭をぶんぶんとふってその思考を追い出したようだった。


 八重の、ひいては清一郎の母親について、重たい病であるということしか琴葉は聞かされていない。まだ幼い八重には、具合が悪い人が総じて母と重なって見えるのかも知れない。いつも気丈に振る舞っているとはいえ、寂しく思っているのは事実だろう。八重に無駄な心労をかけてはいけないと思った。


「そうだ、今日学校で出された宿題で、見ていただきたいものがあるのです。琴葉様もこれを見たら、きっと元気になると思うわ」

「何でしょう?」


 気を取り直した八重が、ぱちんと両手を叩いて何かをとりに席を立った。

 しばらくして戻ってきた彼女は、にこにことして小さな鉢植えを両手に乗せてきた。


「この、手乗りの小さな鉢植えをようく見ていらしてね」


 きらきらと輝かせた目をいったん閉じて、八重はふう、とひとつ深呼吸をする。そして厳かな面持ちで、祝詞を唱えた。


「奉る――『催花さいかの雨、萌えいずる春』……ほらっ!」


 ぽん、と軽やかな音を立て、その鉢植えからぴょこりと双葉が飛び出した。見間違いではない。先ほどまではそこになかった物だ。


「ねっ! 双葉が生えるの! かわいらしいでしょう!」


 はしゃぎながら鉢植えを見せる八重に、琴葉は素直に驚いた。


「祝詞で双葉が生えるのですか。生物に干渉する札なんて、初めて見ました」

「縁結びの札の応用らしいのですが。清一郎お兄様くらい神力の強い人なら、もっと大きな芽が出るかもしれないわ」


 添えられていたという説明書をかいつまんで読んでみると、土の中に札が仕掛けられていて、祝詞を唱えるとそれが養分の役目を果たし、種子が急速に育つ。種と自分の神力を『縁結び』することで発動させる仕組みになっているようだった。


 女学校の巫女修行をする授業で使うらしく、学校にももうひと鉢あるのだそうだ。こちらは家庭用の課題ということらしい。


「これに入っているのは使い切りの札だから、芽が出た後は自分で毎日水やりをしてお世話しないといけないみたいなのだけど……枯らさないかしら」


 継続する「お世話」があまり得意ではないらしい八重に、琴葉はにっこりと微笑みかけた。


「赤か、青か、黄色の花が咲くようですよ。私もお手伝いいたします。どのお花になるか、楽しみですね」


 琴葉の笑顔に、八重も肩の力を抜いたらしい。そうですね、と言って可愛らしい微笑みを返した。


 本当は中に隠されていた札の文字などを解析したかったが、使い切りの札ならば、土の中で影も形もなくなっているところだろう。双葉の出た鉢植えを、掘り返すわけにもいかない。琴葉は自身の胸に疼く好奇心をそっとしまいこんだ。


「可愛らしい双葉に、和みますね。とっておきをお見せいただいて、ありがとうございます。おかげさまで元気になりました」


 ほんとう? と聞き返す彼女の、なんといじらしいことか。


 心優しい彼女の表情を曇らせないためにも、自分にできることをしなければ、と琴葉は考えた。




 約束通り早く帰ってきた清一郎は、琴葉ときくで用意した夕餉を美味しそうに食べた。口数の決して多い人ではないが、彼は「美味い」「ありがとう」を必ず口にしてくれる。そういった小さな行動一つ一つの積み重ねが、あの日琴葉に札のお礼を伝えてくれた律儀な人格を形作っているのだろう。


 夕餉が終わり、自室に戻ろうとする清一郎を琴葉は呼び止めた。

 今日墨島印刷に顔を出したこと、そこで言われた事について簡潔に話す。なんとなく、清一郎の耳にも入れておいた方がいい気がしたからだ。


「人に取り憑いた怪異を払う札、か。墨島家でそんな話を聞いたと」

「問い合わせがあったと、申しておりました。清一郎様も、ご存知ではありませんよね」

「そうだな。それがあるなら、我々の仕事はもっと楽になっているはずだが」


 清一郎の言葉に、琴葉は頷いた。


「札の第一人者であるきみが知らないのなら、私が知るはずがないな」

「そう、ですか」

「浮かない顔だが、何か心当たりが?」

「いえ、私にも特には……あ、一つだけ、お伺いしてもよろしいでしょうか」

「何だ」


 琴葉は浅く息を吸う。


「もしも、もしもの話です。怪異に侵された人を救う、そんな奇跡のような札が一度きりだけ使えるとしたら……清一郎様には、その札を使いたい方が、いらっしゃいますか?」


 清一郎が目を見開く。二人の間には痛いほどの沈黙が横たわった。


 その静けさを破ったのは、はは、とわざと明るい声で笑った出した清一郎の方だった。彼は少しおどけるようにして肩をすくめた。


「そうだな、たった一度しか使えないのであれば、それは帝の御身にもしもがあった時の保険として取っておくかな。身内の為に使ったりしたら――自分が罪悪感で潰れそうだ」


 その顔を見て、何故か琴葉は胸が引き絞られるような痛みを覚えた。

 清一郎の言葉の奥にわずかに滲んだ、何かに対する諦めや憤り。だがそれよりももっと強い、軍人としての生き様や誇りが、彼の本当の強さなのかもしれない。

 

 

 琴葉は自分の右腕をそっと押さえた。

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