彼の申し出
「随分と、浮かない顔をしているな」
開口一番、清一郎がそんなことを言ったので、琴葉は境内の掃除に使っていた竹箒を思わず取り落とした。
「そ……んなに、分かりやすい顔をしておりますか」
「まあ、一目でやつれている、と私が分かる程度には。それに、家の周りに随分とたくさんの札の気配がする。まるで、周囲を威嚇するような雰囲気だ。何か、あったのではないかと思って」
退魔科の術者ともなると、札の気配まで察知するものなのか。その能力に舌を巻きつつ、琴葉は作業場の方を振り返る。
ひっそりと何事もなかったかのように佇む我が家がそこにあった。
琴葉は竹箒を拾い直して、ぎゅっとその柄を握りしめた。
「私で良ければ、相談に乗るが。具体的な解決策は保証できないが、話すだけで気が楽になるということもある」
少し眉根を寄せて、心配そうにこちらを見る清一郎に、思わず縋りつきそうになる。けれど琴葉はそれを堪えて、無理やりの笑顔を浮かべた。
「さる高貴なお方から、縁談をいただいて──私にとっては、身に余る大変光栄なお話なのですが、あまりに分不相応なので、少し考えてしまって」
そう、悪い話ではないはずなのだ。
弓弦の言う通り、彼の選んだ人へ自分の技を伝えれば、札技術はきちんと後継の者に受け継げる。莫大なお金は手に入る。愛のない契約結婚なのだから、札のこと以外に彼の興味はないだろう。弓弦の後継ぎは、愛人でも作って好きにしてくれればいい。
箱庭の場所が変わるだけだ。今と変わらずに、息を潜めて生きていけば良い。
そう、理解はしているはずなのに。
どうして俯いてしまうのか。
どうして、相手が目の前の青年ならばよかったのにと、叶いもしない願望が頭をもたげてしまうのか。
「本当にそれだけ? 考えを保留にしているだけなら、ここまで物々しく家を警備したりはしないだろう」
低く、まるで琴葉を甘やかすような優しい声が、耳を打つ。
「『退魔の旧家に破格の待遇で迎え入れたいと申し出を受けたが、札作りを対価に差し出さなければならない。その上、世話になっている家の明暗もかかっている。八方塞がりだが、とりあえず家にある大切な物を守るために貼り札を施した』――おおかた、そんなところだろう」
状況を的確に言い当てた清一郎に、琴葉はびっくりして顔を上げた。
「なぜ、それを」
「図星かな。こんな簡単な鎌かけに引っかかるなんて、少し心配になってしまうが」
言われて、清一郎の台詞を自分が肯定してしまったことに気がつく。
ふ、と笑みを溢した清一郎は、「それで、きみの本心は」と尋ねた。
「私、ですか」
「そうだ。きみは、どうしたい? 何を選ぶのが正解か、ではなくて、きみがどうしたいか、だよ。自分の心に、耳を傾けてみて」
「私が……どうしたいか」
そのようなことは、考えたこともなかった。聞かれたことも、無かった。白藤の家や、仕事相手の決める事が絶対だ。嫌であろうがなんであろうが、それは常に自分の気持ちよりも優先されるべき事柄だった。
「そんな不安そうな顔をするな」と言って、清一郎はひと房落ちていた琴葉の横髪を耳にかけた。耳に彼の指が触れ、琴葉は自分の頬がさっと朱に染まったことを自覚する。
「きみがもし、本当にその縁談を断りたいと思うなら、一つだけ手立てがある。少し準備は必要だが――そうだな、今日中に片をつけることはできるだろう。返事の期限は明後日、だったね。それまでに、私がなんとかしてみせる。どうかな」
「お断り、出来るんですか? でももし、そんな事をしたら」
「きみの安全は保証する。それから、きみが気にしている家のことも、丸く収まるように采配できる。どこから漏れるかわからないから、今は詳細を話せないが」
どうしたい、ともう一度尋ねる清一郎に、琴葉は一度目を閉じた。
『ちょっとそれ、流石に騙されているのではないの?』
『あまり見知らぬ人に気を許すものではないよ、琴葉さん』
墨島家で聞かされた言葉が、脳裏に蘇る。
だが同時に、清一郎の美しい瞳に射抜かれた、あの日のことを思い出す。
『いつも私たちを護ってくれて、ありがとう』
自分の意思を、信じていいのなら。
自分の声を、彼に伝えていいのなら。
「私は――冬見様を、信じます。このまま、
己の人生を、彼に預けようと思った。
理由は分からないけれど、それが一番最善だと、自分の芯が熱を持って叫んでいる。
そんな気がした。
「分かった。きみの事は、必ず守る。きみの大切なものも、まるごと」
境内の森が、清一郎の言葉と呼応するようにざわめいた。
彼は腰に括り付けてある鞄から、札を一枚抜き取って琴葉に渡す。
「これを肌身離さず持っていて欲しい。何かあれば、この札を握って私のことを強く念じてくれ。必ず助けに行く」
「念じる、と言っても、私には」
「札を扱えないのは分かっている。けれど、人の想いというのは、時に光より早く相手の元へ届くものだよ。私のことを、信じてくれるんだろう?」
黒とも、青ともつかない深い色の瞳が琴葉をまっすぐに見ていた。あまりに真摯な表情を受けて、琴葉は息を詰まらせた。
「は、い……」
「よろしい」
いたずらっ子のように笑って、彼は琴葉の頭をぽんぽんと撫でた。
「その札は必ず、肌身離さず持っていてくれ。では、準備が整ったら迎えに来る。それまで、いい子にしているように」
まるで幼子にする扱いのようだ。
踵を返す清一郎の後ろ姿を、琴葉は左の二の腕を押さえながら黙って見送った。
果たして自分は、清一郎に「明後日まで」という縁談の回答期限を話しただろうかという、ふと胸に湧いた疑問には、目を瞑って。
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